日本の実用主義(プラグマティズム)と精神主義
ーこの世のものの有効性を重くみる点が世俗化をうながした、。しか
し、昔は精神を入れる努力が強く立派にあった。例えば鎌倉時代に
は非常に新鮮な地上の道徳観念として「義」が生かされていたー
福田 日本では何でも世俗化するということですね。これは宗教でも道徳でもすべて世俗化するということが、日本民族の民族性としてあるのではないかと思う。もっと古くさかのぼれば古代国家において、かなり精神的に仏教でも儒教でも入れてきた。ところがそれは長つづきはしないんで、平安朝になると世俗化してくる。シナでその時代の日本に比べて進んでいるものを日本に入れてくると、例えば宗教の場合、宗教そのものは世俗化してくる。だから鎌倉で、一つの宗教改革が起るんだと思うのですが。それじゃ、それで落ち着くかというと、後でまた世俗化されてしまう。だから本当に心の救いという意味、魂の救いという意味の宗教はいつのまにか、御利益の為のものと、ただ形ばかりの神杜仏閣参りの為のものになって風俗化してくる、葬式に必要な仏教、結婚式に必要な神道というように世俗化する。それというのは、どうも日本人の中にそうさせるものがある。アメリカの文化的特徴としてプラグマテイズム(実用主義)というが、どうも日本人の方が非常にプラグマティズムではないのか。それは必ずしも悪い面とは申しませんけれども。そういう要素は深い民族性の中にあって、それが明治のような時代になってくると、極端になって現われる。つまり先進国に追いつかなきゃならない危機感から。有用なものが鎖国時代と違って入ってくるということはあるけれども、しかし有用性という点では似てやしないかと、私は思うんですがね。
村松 大筋はそうでしようけれども、その福田さんの御意見に全部賛成しちゃうと、私の方が救われなくなっちゃう(笑)ので、若干の異を唱えます。
シナ大陸からいろんなものが、朝鮮経由などで入ってくるわけですが、確かに仏教は日本に入ると、極端に世俗化して、日本化されて……日本化というのは要するに世俗化と似てますね。日本の仏教界の大部分は浄土宗、浄土真宗、それから日蓮宗と、日本でつくった宗派でして、各派の創始者はともかくとして、共通項は極めて世俗的である。南無阿弥陀仏だけを唱えていれば、南無妙法蓮華経だけを唱えていれば救われるという、おそろしく簡単な教えです。戒もだんだんなくなって、世俗的な宗教になっています。仏教の中の学問的形而上学的な都分は、日本に入るとどこかへ消えてしまう、わずかな都分が学問寺に残っている、という程度ですね。だから仏教は日本では完全に相貌を変えていると一般論的にはいってもいい位だろうと思います。若干の偉い人は別ですが。それはその通りですが、にもかかわらず、ともかく昔は、物だけじゃなく、思想を入れようと努力をしています。
例えば、朱子学が鎌倉に入ってくる。そして、「太平記」で初めて「義」ということばが、無数にでてくる。『平家物語』ではまだ非常に少ないですね。重盛のところで、若干「義」が出てきますが、全般には少ないです。それが『太平記」で「義」だらけになっちゃう。あれは日本人にとって、非常に新鮮な地上の道徳だったと思うのです。仏教は少なくとも日本ではあまり、地上の強力な道徳を与えてはくれなかったのですが、儒教がそのかわり地上の道徳体系として、急速に拡まります。これは一例でして、精神的なものを取り入れようとする努力は、やはり私はあったと思うんです。それから、確かに信長から江戸にかけては宗教そのものの力が衰えてきた時代です。キリシタンの受容も、世俗的な、流行を追うような形で入っておりますが、あれだって入った当初は道徳的要求があったのでしょう。さきほど申しました、儒教の「義」だけでは、天国とのつながりがわるい。死後のこ
とが儒教では論じられませんし、かといつて浄土信仰では、死後のことは世話してくれるけれど現世の道徳の方に基準がはっきりしていません。
キリシタンの教えは、来世とか後生を助かるとか、仏教語をそのままとり入れている。そして現世の生き方は、イェズス会は儒教に似てきびしく規定しています。ひとことでいえばキリシタンは、浄土信仰と儒教をワンセツトにしたような、貫徹した道徳体系としての新鮮さをもっていたのですね。
それがキリシタンがあんなに流行した大きな原因だつた、と思うのです。もちろんキリスト教徒を利用して鉄砲を買おうとしたり、一向一挨に対抗させようとしたとか、そういう世俗的な理由もあったにしても。あれほど拡がった背景には、精神的欲求も無視はできないのではないか。
それから江戸は、まさに世俗化の時代ですが、その世俗化の中でそれなりの美的な様式をつくり出しています。時代が安定していたからできたんでしようけれど、とにかく美的な様式を作り上げるだけの力をもっていた。それから特に末期になると、武士道―昔は武士道ということばはなかったらしくて、士道といったらしいのですがー士道の傑作とでもいうべき人物を生んでいますね。「武士は食わねど高楊枝」というストィシズム(禁欲主義)は油がなくなったからといって大あわてするのとは、正反対の精神です。
例えば、乃木大将という人は、一つの顕著な例だと思います。乃木さんは、戦争はあまり上手じゃなかったように思いますが、言葉もどれだけできたんだか。しかし彼は接触した外国の新聞記者達を非常に感動させているでしょう。武士道の生んだある種の型を自分に強制し、そのことによって、全く違ったものの考え方をする外国人達にも感動をあたえた。そういう人間像の原型を、江戸はつくり出していたのですね、世俗化の過程の中で。現代に、それがあるか、ということです。
福田 それはそうですね、私のはあまりに巨視的にいったんで……。
「昭和史の天皇・日本」より