近代信仰、進歩信仰、物中心の文化観
―時代は新しい程よく、世の中は先に行く程よくなるという素朴な盲
信が生んだ歪み!物だけが文化だという歪んだものの考え方は必
ずしも新しいことでなく、信長の頃からもあったー
戸田 今、村松さんから、今日の日本で憂えなければいけない四つの癌にあたるものをお指摘いただいたんですが、それらが全都相互に作用しあっていて、その結果、それこそ病肓膏(やまいこうこう)に入るの感じになっているのが今の日本だと考えられます。そのまず第一が、「正しい文化概念の喪失」、「誤った文化概念の流布」ということでありました。これは明治時代に伝統的な文化観が失われて、文化概念がヨオロッパ化したからであり、戦後はアメリカ化したからであるとみられます。そういった一種の西欧化、近代化ですね、執拗に日本が西欧化、近代化を追いかけてきたところに誤った文化観が出てきている、そうみて来ると明治以降の日本人の文化のとらえ方には、一貫しているものがあるんじゃな
いかと思うんですが。
村松 そう、近代信仰ですね。時代というのは新しいほどいいんだという信仰。これは福田さんの方が御専門だと思いますが、そんなに古いものじゃなくて十八世紀以降の所産ですね。十七世紀にはまだ、古いのと新しいのとどっちがいいかといって、フランスじゃ大論争をやっています。十八世紀の末以後、進歩信仰、先へ行くほど世の中はよくなるんだという信仰が一般化した。ちょうどその進歩信仰が盛んな時代に日本はヨオロッパに窓を開いたので、日本人ほそれにもろに飛びついてしまった。飛びつく理由はまさにあったわけでして、当時あまりにも技術較差が大きすぎたからです。日本が鎖国していた二百四十年は、不幸なことにヨオロッパでは産業革命の時代です。十六世紀にポルトガル人が日本に来た時には、それほどむこうに劣ってはいなかったんですが、もう十九世紀になりますと、大変な差が出てきた。日本としては何とかして技術の差を縮めないことには、植民地にされる。だから富国強兵政策をとったのですし、これは私、大変正しい政策だったと思います。あの政策・をとらなきゃ、今の日本はないですからね、とうに列強に分割されています。その意味で富国強兵は正しかったのですが、それが文化観に対するゆがみをもたらした。船を自分で造ること、鉄道を敷くことが、欧米に追いつくことだった。成功するたびに日本人は非常に喜んできたのですね。やっと欧米に追いついたといって。それを約一世紀繰り返してきている間に、物だけが文化だという歪んだものの考え方が定着してしまった。これはもう明治以来今日に到るまで変らないわけで、明治時代にとり入れたものだって、別にヨオロツパの精神なんていうものじゃない。技術でしょ。第二次大戦後も、アメリカの物量、豊かさに接して目をまわした。「物」中心の文化観が日本に、ほとんど癒し難いほどに強くなってしまったという順序じゃないかと思います。この頃は、「"物〃じゃない、"心〃だ」なんていいだしてますけれども、現実にはそうじゃないんで、物質主義が日本人を支配している。
福田 それは、そのとおりですね。今の村松さんのお話のとおりで、つい数年前は"物じゃない、心だ"とか、或いはみんな"生きがい"を求めているとか、今の繁栄杜会で空虚感を感じてきているとか、もっともらしいことがいわれましたね、そのとき僕はそんなことは、嘘っぱちだ、空虚感なんか感じていない、といったんですけど。それが証拠に、石油ショックで生きがい論というのが吹っ飛んじゃったですね。だから実際は生きがいは石油にあったんだということを証明したわけです。これは日本の"物〃の根元ですから。本当におっしゃる通り、"物〃或いは現実的な豊かさという以外に生きがいはなかったんですよ。今でも大部分はそうですね。私は一般論しかいいませんから、少数の例外者を相手にいってもしようがないから、一般的にそういう状態になっているということは、僕も同感です。
その前に明治以前にはそうじゃなかったかというと、それは日本の民族性にもあるんじゃないかと思うんですよ。私は断定はしませんが、これは手近の例でいうと、西洋の輸入ということは、もう、信長から始まってますよ。やっぱり必要なのは鉄砲で、群雄割拠の中での信長の寓国強丘策ですよ。
種子ガ島は手に入れる、大事であると。キリシタンは、別に大したことはないと思ってたんですけれど、後で禁制になっちゃうでしょう。これは信長じゃないですけれど。別に私はキリシタンはいいという意味でいうんじゃないですが。それから密輸というものが商人の手によって行なわれるけれど、使っている品物は、便利な物、豊かなもの、ものめずらしい物とか、とにかく、さっきの文化住宅と同じ概念でみんな入れてきた。文化何々というとき、その"文化"というのは西洋ふうで便利だということしか意味してない。
「昭和史の天皇・日本」より