2009/2/24(火) 午後 7:09最近の記事練習用 Yahoo!ブックマークに登録
御来訪感謝申し上げます。
戦後レジームの脱却を謳った安倍内閣は閣僚の不祥事等やマスコミの暴力が重なり、短命に終わってしまいましたが、戦後体制(レジーム)の中でも、今の日本を悪くしている元凶の一つが「日教組」でありますが、そんな日教組のセンセイ方にも是非読ませたい文章を見つけましたので、御紹介致します。
もちろん、我々にとっても心しなければならない文章であります。
これは、知り合いの方がある機関紙に寄せた文であります。
もちろん、我々にとっても心しなければならない文章であります。
これは、知り合いの方がある機関紙に寄せた文であります。
『照顧脚下』
昭和の時代までは、「あの人は切れる」といえば、頭の回転が早く、物事を即座に的確に処理する鋭敏な頭脳の持ち主のことだった。
それが平成になると、「切れる」とは感情を制御出来ず突然暴力をふるうケースの意味となる。“堪忍袋の緒が切れる”からきているのだろうが、現代人の堪忍袋は容量がまことに小さいようで、何かというとすぐ切れてしまう。
昭和の時代までは、「あの人は切れる」といえば、頭の回転が早く、物事を即座に的確に処理する鋭敏な頭脳の持ち主のことだった。
それが平成になると、「切れる」とは感情を制御出来ず突然暴力をふるうケースの意味となる。“堪忍袋の緒が切れる”からきているのだろうが、現代人の堪忍袋は容量がまことに小さいようで、何かというとすぐ切れてしまう。
昨秋強攻凶行された元厚生次官殺傷事件のように、何十年前の愛犬の仇を討つという、理由にならない動機でさえ切れる引金となるのだから、それが真実としたらその心理は測り知れない。
特に最近は小学生の暴力が急増しているという。昨年度は200人の児童が補導された。 暴力行為の内訳は、生徒同士が2万8千件、器物損壊が1万5千件、対教師7千件である。
自由とか人権といった耳ざわりのよい主張が幼い小学生にまで適用されてしまう現今の風潮が、頑是無い我侭を助成しているのだ。
その上、家庭でしつけが全くなされていないケースが非常に増えているのも大きな社会問題である。
とにかく子供をしつけるべき親たちが、しつけを受けずに大人になったのだから、世間の常識である“当たり前の決め事を当たり前にさせる”規範さえ分からない始末だ。
親がこんな調子だから、怒るとなると、それこそ切れて度外れな虐待行為となり、子供は子供で親の言う事を聞かないばかりか過剰な復讐を実行する有り様である。
親を親と思わず、先生を先生と思わぬ風潮が、高校から中学へ、更に小学生にまでエスカレートしてしまった。
何しろ授業中、教科書を開くように云われただけで児童が切れてしまうというのだから、教育どころの次元ではない。それもこれも世の常識、マナーといった社会的訓練を一切受けないで、何となく成人してしまった可哀想な人々のツケを、早くも次の世代の児童たちが払わされているのだ。
以前、教えを乞うた方は『子供に罪は無い、大人たちが寄ってたかってこの世をわるくしたんですよ。』と仰っておられる。
フランスの啓蒙思想家ルソーは、「子供を確実に不幸にしたいなら、何でも与えてやることだ。」「子供に苦労させたくない親は、その子を幸せにしたくないことになる。」と人生における苦の大切さを説いている。西郷南洲の『子孫に美田を残さず。』も同じ意味である。
苦労することや、忍耐、責任、誠実など道徳教育をないがしろにしたことが、その子から思いやりの心、感謝の心を奪ってしまい、自分の思い通りにならないと、すぐキレてしまう粗暴な人格を育ててしまったのだ。
無法者、異常者が横行する現今、思わぬ災難に遭わないようにするに、是非とも、徳を身につけることだ。そのためには思い方を大転換する必要がある。自分さえ良ければ、といった当世風の思い方では絶対に徳は身につかない。
先述したあるお方はこう仰る。『徳とは良いことを黙ってして見せんようにかくれてする。それを見えざる天徳というぞかし。』
人は徳と業を持って生まれてくる。 その徳を如何に増やし、業を減らすかがその人の運命の岐路となる。つまりは思い方、心がけ次第。 肉体は一代限りで消滅するけれど、みたまは永遠の存在であることを忘れて目先の私欲に走っては悔いを千載に残すことになる。
何事も自分の足元を確かめ、他人に気を配る思いに徹しよう。
私自身、戦前の教育勅語などの道徳教育を抹殺した戦後教育を受けて育った典型的な世代でありますが、思えば「人としての基本的な教育」である道徳教育を受けたかと再考しても、私だけかも知れませんが、取り立てて思い浮かんで来ないのであります。
日本人の良心、日本人の美徳とも言える道徳の教えであった「教育勅語」に値する教えは戦後教育の中では胡散霧消してしまい、西洋式の合理的思考や自由といった自己の権利の主張だけを主に教えられて来たように思います。
もちろん、戦前の人々がすべて道徳的であったとは言いませんが、日本人が持っていた大切な何かを戦後喪失しながらここまで来てしまった感が強くあります。
昨今のマスコミもそうですが、朝日新聞の「脱税事件」を出すまでもなく、「他人に厳しく、自分に甘い」という風潮の底にあるものは何かを考えると上記の引用文を噛み締めたいと存じます。
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