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「がんばれ、敵の奴等に負けるな、やっつけろ!」
日本の村の男の子は、声を張り上げて跳び回っていた。
昭和の初め、村の男の子供の遊びは棒切れを振り回しての「戦争ごっこ」であり、集団で隣村の子供達と戦うのであった。その子供達の中で、洗濯をほとんどせず、食べかすや鼻水でガスガスした着物を着て、赤ん坊を背負って走り回っている子供は祖父であった。
祖父は大正9年に7番目の男の子として生まれた。8人兄弟全て男である。
また、この前は心臓の大手術をしたが、退院して一週間後にはもう、三脚という三本足の農業用梯子に乗って働いているのである。当時、祖父は82歳であった。
祖父は日本の陸軍兵として支那大陸、仏印(ベトナム)、シャム(タイ)に出兵し、捕虜となった時期を含めて戦地に6年いた経験を持つ。「戦地に6年」とは、私が物事に挫けそうになった時、よく祖父が私を励ますために使う言葉である。
食うや食わず生きるか死ぬかの戦地にいた祖父の苦労に比べれば、平和で豊かな現代に生きる私の苦労などは小さなものなのであった。
祖父の子供の時もまた貧しかった。学校へ持っていく弁当は、漬物とご飯で、肉や魚は正月か祝日に口に出来る程度であった。
ある日、小学校の祖父が弁当を開けると黄色い卵焼きが入っている。「やった」と思って喜んで頬張ると実は奈良漬けであってがっかりしたという話をよく聞いた。
祖父の通う小学校でも同じように祝日には「君が代」を皆で歌い、校長が「教育勅語」を読み上げていた。紀元節(二月十一日)ともなれば兄のお下がりの袴をはいて式に出席した。
私の家の近くの神社に小さな建物がある。その白い建物は常に扉が閉まっている。子供の頃から、私はこの建物が何であるか不思議に思っていた。神様を祀るならば常に格子から中が見えるはずであるが見えない。しかも神社の境内の不自然な所にある。しかし厳かに祀られている。この建物は「奉安殿」という。
戦前の小学校には「奉安殿」と「忠魂碑」が置かれていた。
「奉安殿」の中には天皇陛下の御写真が飾られ、教育勅語が大切に収められている。
「忠魂碑」には、その小学校の地区出身の戦死した方の名前が彫られている。
戦前の児童はこの二つの前を通る度に、深く頭を下げた。
祖父が20歳となった昭和15年12月に出兵することとなった。村の神社で祖父及び他の2人の出兵の壮行会が盛大に行われた。
村長が励ましに言葉を述べ、祖父が3人を代表して答礼の辞を述べ3人は出発する。神社から一番近くの駅まで約1里(4キロ)ある。それは今でも変わらない。3人はその駅まで徒歩で向かう。そして村の元気な者は皆、この3人を囲んで駅まで共に歩いた。
歩きながら、様々なことを話す。父と幼い時の話、母との思い出、友人との思い出、残された家族のことなど話すことは沢山あった。いくら名誉あることといっても戦場へ向かうのである。生きて帰れる保証はない。
やがて駅に着き、汽車が来た。汽車に乗ると、他の地方から乗ってきた出兵の若者で車内は込み合っていた。祖父の戦友となる人達である。
汽車は出発すると祖父達は窓から乗り出して手を振り、見送りの父母兄弟友人親戚はちぎれんばかりに手を振った。今生の別れかもしれない、そう思う母達は涙をこらえるのに精一杯であった。そして駅に万歳の声が木霊(こだま)した。
戦場へ我が子を送り出す父母の心はいかほどであったであろうか。
しかし、その悲しみに堪えなければならない時があるのである。
国が危機に直面していた当時、国は若者の力を必要としていたのであった。
そして、当時の日本の若者の背中には、日本の子供達の笑顔、平和の内に暮らす日本の老人、そして我等戦後日本人の運命が乗っていたのである。
それを知っていればこそ、若者は勇気を出して命を犠牲にし、守られた日本の児童はその犠牲に感謝し小学校の「忠魂碑」に深々と頭を下げるのであった。
そして私は、ある感動を抑えられないのである。
世界が白人達の植民地支配の中、玉子焼きと奈良漬けを間違え、ガスガスのボロ着物を着、一番上の兄の子を背負いながら遊んだ、貧しい祖父達日本人が国の為に命をかけて、裕福な欧米人と戦い、当時世界中を覆っていた理不尽なる秩序を打ち破ったのである。
実に尊いことではないか。欧米人は恥であるから、その事実から目をそらすが、これは事実であり歴史なのである。
我等日本人はこの事実を正しく理解せねばならない。
祖父達が命をかけて戦った戦争は一体、何であったのか。
そして、日本人の精神は正しかったのか。
歴史は厳然と事実を語っているのである。
(参照:『祖父たちの大東亜戦争』より)
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