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3月10日は「陸軍記念日」である。日露戦争で日本陸軍の決戦ともいえる奉天会戦で勝利した日である。
しかし「陸軍記念日」は戦後消されてしまい、今ではほとんどの日本人が知らない。
この日本の記念する日に米国はやったのは大虐殺である。しかも一晩で10万人を殺害した。
浅草では円で囲うように周囲に焼夷弾を落とし、その円から逃げ出せないようにして、徐々に内側に落として人々を追い詰めて、生きたまま殺したのだ。
これを日本人は「東京大空襲」と言っているが、どう見ても民間人を虐殺した国際法違反の「東京大虐殺」と言うものである。
この大虐殺を指揮したのがカーティス・ルメイ少将である。
カーティス・ルメイは後に、これが大虐殺であったことを証明するかのように、このように自慢して言った。
「3月9~10日の夜、我々は広島と長崎で煙にしたものの合計以上の日本人を、焦がして、煮て、焼いて、殺した」。
この東京大虐殺では皇居正殿も焼失した。
皇居正殿は明治天皇が建築の粋を集めて建造させた和洋折衷で、「明治宮殿」と呼ばれ、大日本帝国憲法の発布式が行われた場所である。
この昇殿炎上の報せを御受けになられた昭和天皇は「あの建物には明治大帝が大層大事になさった品々がある大事なものばかりだ。何とか消しとめたいものだ」とせき込んで仰せになられたが、全焼してしまった。
そして、ここから先の話はほとんど知られていないので、日本人としてよく知っておいてほしい。
昭和37年、元航空幕僚長で参議院議員の源田実はアメリカから「リージョン・オブ・メリット勲章」という叙勲を受けた。
このお返しであるかのように、源田実と防衛庁長官の小泉純也(小泉純一郎の父)が強力に推薦して、東京大虐殺の指揮したカーチス・ルメイに「航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績」という名目で勲一等旭日大綬章を授与した。
勲一等に叙する勲章授与は天皇陛下の親授が通例であったが、昭和天皇はルメイと面会しなかった。
昭和39年10月16日、東京五輪に当たりシナが初めて核実験を行い、日本でも核武装すべきだという考えが出てきた。
しかし昭和40年1月、佐藤栄作・ジョンソン会談で、ジョンソン大統領は「米国の無差別殺戮に謝罪も賠償も要求するな」と言われ、その代わり日本は核武装ではなくアメリカの“核の傘”に組み入れる事で合意した。
しかしこれなら東京大虐殺の謝罪と賠償をさせて、尚かつ核武装した方がよかったのではないか。
3月10日は、こういう事実を踏まえて、これからの日本のあるべき姿を考えるべきである。
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