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「教育勅語」が発布されたのは明治23年10月30日である。
そのくらい、教育勅語には守り抜く”日本人の価値”がある。
明治初期の頃、教育勅語が渙発されるまで、西欧化を推進した日本は西欧の個人主義や自由が入り、日本的なものを否定して、道徳の荒廃が進んだ。
これを憂えた明治天皇が「教育勅語」を発すると状況は一変、日本人らしさを取り戻していった。
当時、芳川文部大臣は「教育勅語が一旦下されると、天下は一斉になびいて勅語に服従し、民心は旱魃時に雲や虹を渇望するようであった」と言った。
教育勅語を何度も素読すれば、教育勅語の完成度の高さを思い知らされる。
戦後、道徳は日教組を中心に否定されてきたが、一国が存立する基礎は「道徳」しかない。
明治天皇の御製には「人も我も道を守りて変わらずば この敷島の国は動かじ」とある。
これは「日本国の安泰は道(道義)を守るところにあり、これは一国の根底になければならない」ということである。
教育勅語にはいくつもの「徳目」がある。その中で「一旦緩急あれば義勇公に奉じ」とあり「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と続くため「天皇のために死ぬ」と批判する者がいる。
しかし、これをいう人達は日本がどういう国だか知らないのだろう。戦後教育の弊害はここにある。
日本の建国と万世一系の皇統は「天壌無窮の神勅」を受けたものである。
天壌無窮の神勅とは、天照大御神の子孫である天皇陛下が日本国を統治すれば日本は永遠に栄えるということである。
吉田松陰も処刑される直前に「天壌無窮の神勅がある限り日本が滅ぶことはない」と言った。
天皇陛下は大御心で国民を愛し、国民は陛下を尊崇する。これが我が國體の精華である。こういう国柄は世界で日本だけである。
明治に谷干城(たに たてき)という軍人がいた。谷は少年の頃、祖父の庭訓にこう教えられた。
陛下のおられる京都に万一のことがあった場合には、どんな困難を冒しても京都に上り、もし旅費がなければ乞食をしてでも行け。行って陛下をお守りしろ。もしどうしようもなくて力尽きた時は、御所の塀に寄りかかって死ね。死んで御所の土となって大君を守護し奉れ、と。
なぜ、日本人たる者、命を捧げて天皇陛下をお守りするのか?
それは「天壌無窮の神勅」である。陛下がいなくなると日本は日本でなくなり、滅びてしまうからである。
そのためには命を懸けて陛下をお守りしなければならない。これが大東亜戦争末期、「國體護持」のために命を捧げた一番大きな理由である。
子孫のために命を捧げて日本の国を残す。戦後、国は一時、荒廃するが、我々の子孫が建て直してくれるだろう。その思いが「後を頼む」と言って散華されたのだ。
そして、今、万世一系の天皇陛下の下、平和な日本がある。
日本国の安泰は道(教育勅語)を守ることなのである。
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