日本人に対する偏見の歴史。
「日本人は出っ歯で近眼でチビ」・・・米国では大東亜戦争までは日本人をデフォルメして描いていましたが、軍事においても悪意で歪んで伝わっていたものがあります。
軍事評論家のフレッチャー・プラット
「日本人は首が座る前から負ぶわれゆすられるから、バランスをつかさどる内耳に異常をきたし、急降下飛行ができない」
「近眼で鳥目だから夜間飛行はできない」
「個人主義が発達していないから一人で乗る戦闘機が被弾や故障に遭うと、何をしていいか分からない。ただ腕を組んで地上に激突するのを待つ」
こんなことを言っていたのですから驚きです。またそれを信じた人もいるというから人種差別の強さは現代では想像できないところです。
昭和7年(1932年)の第一次上海事変で支那軍の飛行教官だったロバート・ショートはボーイング218戦闘機に乗り込みます。そして日本の空母加賀から発進した三菱13式複座艦上攻撃機6機編隊にいきなり機銃をぶっ放していきます。日本側はなぜ米軍機が?と訝っていましたが反撃し撃墜しました。単機で6機に攻撃するなど普通ありえませんが、フレッチャー・プラットの言うことを信じていたのです。
大東亜戦争当時もこういわれていました。
「日本人はほとんどサルに毛が生えたようなものである」
「日本の飛行機を操縦しているのはドイツ人の飛行士に決まっている」
「日本人には飛行機なんか作れない」
そんな劣等民族が真珠湾を攻撃したのですから、驚いたことでしょう。ブレーク・クラーク著「真珠湾」では以下のように書かれています。
「われわれは日本人は独創力と想像力に欠けている - わずかに能力ありとすれば、それは単に模倣性にしか過ぎぬといったような根も葉もない話ばかり聞かされてきた」
「もしそれが真実であるとするならば、日本海軍の軍艦は荒天に乗り出すやいなや、ただちに一隻残らず転覆していなければならぬ筈である」
戦後すぐ、淵田美津雄大佐はGHQのG2に呼び出され、真珠湾攻撃隊長だったことがわかると「失礼ながら、われわれは日本人を侮っていましたからね。ジャップにしては出来すぎると思いました。それで指揮官はドイツ人将校だろうなどと話し合っていたのでしたがね」と語りかけられています。
大東亜戦争を転機に米国人の日本人に対する見方は変わってきましたが、そう簡単に大きく変わるはずもなく、戦後も「日本人にはテレビはつくれない」「自動車をつくれるはずがない」と言われたのです。映画「猿の惑星」の猿は日本人がモデルだそうです。
今は黒人が大統領になる時代ですから、米国の人種差別意識はかなり薄れていると思いますが、まだまだどこか潜在的に残っているでしょう。
参考文献
「歴史通」2009.10『日本を潰せ - 支那の背後にちらつく露・独・米の影』高山正之
徳間書店「GHQ焚書図書開封」西尾幹二(著)
講談社文庫「真珠湾攻撃総隊長の回想 淵田美津雄自叙伝」中田整一(編/解説)
添付画像
ビゴーが創刊した漫画雑誌『トバエ』の表紙(PD)
欧米における日本人描写のステレオタイプとなった「眼鏡をかけて出っ歯」という姿はビゴーが広めたとも言われる。ビゴー自身は偏見を抱いていなかった。
ビゴーの絵
魚(朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国(清)、横どりをたくらむロシア
魚(朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国(清)、横どりをたくらむロシア
鹿鳴館での舞踏会のあいまの淑女のようすを風刺したビゴーのスケッチ
ノルマントン号事件を風刺したビゴーのスケッチ
WWⅡ米軍マニュアル