荒れ果てた首相官邸
首相官邸の西洋館には多少の焼夷弾が落ちたものの、火は消し止められて
消失はまぬがれていた。内部はひどく荒れていて、窓には爆風除けが十文字に
張りっけられ、灯火管制用の遮光幕が張られたままになっていた。特に総理大臣
室は暗くて陰気だった。
各部屋に取り付けられていた電話機もほとんどが繋がらず、また用意されていた
自動車も壊れているものが多く、首相官邸はその機能を完全に失っていた。
新鮮な空気と明かりを求めて大臣室のバルコニーに出た東久邇宮の目に飛び
込んできたのは、数々の官舎や民家が空襲で焼け、黒焦げの残骸が散らばる
首都東京の惨憺(さんたん)たる情景であった。赤坂から六本木にかけて
見渡す限りの焼け野原だったという。
東久邇宮首相は午後4時から初の閣議を開いて一般方針を決めた。そして、
午後8時からは最高戦争指導会議を開き、日本政府の代表者をフィリピンに
派遣する件などを協議した。参謀次長河辺虎四郎(かわべとらしろう)中将を
全権とすることが決められた。最高戦争指導会議は翌日から「終戦処理委員
会」と改称し、終戦に伴う諸事項を協議することになった。
この日、首相はラジオを通じて国民にメッセージを流した。終戦の経緯を説明し
、天皇の思召を伝え、そしてポツダム宣言の実施に関する交渉が最も重大で
あるが、国民の厚生問題、特に衣食住も深刻であると述べ、これに真剣に取り
組む姿勢を見せた。そして最後に国民を激励する言葉があって放送は終わった。
就任初日から大忙しである。
東久邇宮首相がいちばん初めに取り組むべき重大な任務は陸海軍の武装解除
だった。終戦の聖旨を伝達するために朝香宮、竹田宮、閑院宮の三方が
天皇の特使として外地に派遣されたことは既に記した。首相は本土にとどまって、
クーデターを防ぎつつ、完全なる武装解除を目指した。米軍が本土に進駐する
ときに戦火を交えることになっては、聖断が水泡に帰す。しかし、ポツダム宣言
の受諾に不満な軍人は多く、武装解除に応じない部隊もあった。
大規模なクーデター計画が首相に伝えられたのは8月20日だった。東京近県の
陸軍の少壮軍人および軍隊が、夜半に二重橋前に集合し、皇居を占領しようと
する計画があるという。東久邇宮はその首謀者の二人を総理大臣室に案内させ
、一人で面会した。首謀者は、ポツダム宣言受諾で国体が護持できなくなるので
宮城を占領するのだという。東久邇宮は「私が総理となったからには、身をもって
国体を護持する決心である」と答えた。
同じ言葉を皇族でない首相が述べたとしてもこれほどの迫力はなかったと
思われる。宮はその計画は日本を混乱に陥らしめ、滅亡させることになると
述べた上で、「私は、諸君の計画には絶対に反対である」と断言した。そして、
もしこの計画が実行されるなら、私は今夜半、二重橋前に行って諸君を説得
するとまで言った。二人の首謀者は東久邇宮の話を聞き終え「総理がそういう
考えならば、もう一度同士と相談してきましょう」と言い官邸を去っていった。
結局このクーデター計画は東久邇宮の直接の説得により事前に中止される
ことになった。だが東久邇宮はその夜一晩中、官邸の総理大臣室で軍服を
着たまま待機していた。いつクーデターが勃発しても直ぐに現場に行って説得
することができるように備えていたのだ。しかし何も起きなかった。8月21日の
クーデター計画は事前に中止された。反乱の首謀者二人に一人で面会し、
直接交渉を試みるところは命がけで秩序の維持に当たる東久邇宮の凄み
ではないだろうか。
東久邇宮は21日、仮眠をとっただけで直ぐに首相官邸に出向いた。連合国との
交渉のためにフィリピンに行った河辺全権代表一行が帰国して首相官邸に
到着し、直ちに大会議室で報告会が開かれたのだ。一行はマニラで米軍首脳
と2日間にわたって会談し、連合国からの要求事項を記した各種文書を受け
取っていた。その中で特に重要なのは、8月26日に最初の進駐部隊が厚木
飛行場と鹿屋飛行場に到着し、また海上部隊が東京湾に侵入すること、そして
その日までに全ての飛行機の武装を解除し、飛行不可能にしておくこと、
また28日には連合国最高司令官マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着する
ことだつた。
ことだつた。
東久邇宮は陸軍大臣として、陸軍航空隊に武装解除することと飛行機を飛行
不可能にするための措置を取ることを命じ、また総理大臣として海軍大臣に
同様のことを命じた。初め陸軍の一部は進駐軍と決戦するつもりで準備して
いたため、反発していたものの、間もなく全航空機が武装解除して燃料が
抜かれるに至ったが、海軍の航空部隊は最後まで武装解除に抵抗した。
海軍よりも陸軍の方がむしろ強硬とみられていたのであるが、各司令長官に
命令を下したのが現役の首相兼陸軍大臣かつ皇族の東久邇宮だったことが
強く影響しているのではなかったか。このことからも皇族内閣が成立したことの
意義は大きいとみえる。
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
注:天皇陛下の終戦にあたり皇族を戦地に行かせたり、内閣を組閣させたり、と
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
注:天皇陛下の終戦にあたり皇族を戦地に行かせたり、内閣を組閣させたり、と
天皇陛下の智慧に驚くと共に、実践が無血開城に繋がったのではと感じた次第である。
天皇陛下の本当の気持ちが解らなかったら、私が兵隊で飛行パイロットだったら自分の
飛行機を破壊されるぐらいなら、一戦をと考えると思う。その点、皇族が総理大臣だった事が
良かった思う。終戦にあたり、天皇陛下の如何に終息させるかのあらゆる施策が無血開城に
繋がったが解った次第である。
・今の民主党の閣僚や国会議員達には無理なことである。地震、津波、原発処理もできない
・今の民主党の閣僚や国会議員達には無理なことである。地震、津波、原発処理もできない
のであるから、天皇陛下に政権を御返しする時期なのではないだろうか。
天皇陛下は人間でありながら、又人間を超えている存在だと納得する次第である。