核実験
わが国は、世界で唯一、核攻撃を体験した被爆国であることは周知のことです。そのわが国は、わが国に原爆を落としたアメリカと安全保障条約を結び、アメリカに国防の大部分を委ねてきました。現在、わが国は「非核三原則」を「国是」としています。これは佐藤栄作首相が、昭和43年に核を「持たず、作らず、持ち込ませず」という政策を唱え、衆議院で決議したものである。
その後、あたかも憲法の規定に並ぶ大原則であるかのように愚かな政治家は声高らかに唱えています。しかし、この三原則は法制化されたものでなく、また国際条約でも非ず、単なる政策に過ぎないのです。
佐藤が非核三原則を唱えた時、核保有国は、国連安保理の常任理事国5カ国だけでした。注目すべきは、この時点で既に中国は核を保有していたことである。しかも、非核三原則が出されたわずか2年後に、シナはわが国を射程に入れた核ミサイルを開発した。佐藤の政策は、東アジア情勢に逆行し、わが国の国防を危うくするものでした。
佐藤が非核三原則を提唱する前、わが国は、そのような原則を立ててはいなかった。岸信介首相は、昭和35年3月7日参議院予算委員会にて、次のように答弁している。
「憲法は、言うまでもなく、憲法で持ち得ることは自衛権を持っており、これを裏づけるため必要な最小限度の実力を持つということを申しております。(略)いやしくも核兵器という名がついたから全部いかないのだという憲法解釈は、これは憲法の解釈としては、われわれとらないところだということを申しておる」と。
岸発言は、憲法解釈上、将来における核兵器の保有を留保したものと言える。現行憲法は自衛権を認めていると解釈するのであれば、最小限度の自主的な核抑止力は自衛力の一部と考えることができる。あとは核の開発・保有がわが国の国益という観点からプラスかマイナスかの判断であり、これは政策上の問題である。そして、科学兵器の発達の度合いや国際環境の変化におうじて、政策の見直しは必要である。
核の時代において、この約60年の国際社会の歴史が示しているのは、核攻撃を抑止できるものは、核兵器しかないという現実です。また、現代の国際社会で発言力を持つのは、核兵器を保有している国だけということです。北朝鮮のような経済的に非力、同胞を拉致した非道な国家でさえ手出しできないのは核の力です。
自力で国を守るという国防の基本に立ち返るなら、自衛の手段としての核抑止力についての検討がされねばならないと思う。
核兵器は、人類を自滅に招きかねない兵器である。核廃絶は、人類の悲願である。唯一の被爆国である日本は、世界的な核廃絶の先頭に立って行動すべきである。しかし、その前にわが国が、シナや北朝鮮の核で壊滅してしまっては、本(もと)も子もない。日本人の多数が核攻撃で死亡し、生存者の大半が放射線障害に苦しみ、再起不能なほどに生産力を喪失したならば、世界平和への貢献どころではないでしょう。
大東亜戦争後、わが国は、連合国軍の占領下に置かれ、「民主化」の名の下に、日本弱体化の政策が強行されました。GHQによって憲法が押しつけられ、わが国の国防は制限され、その憲法が放置されたまま、昭和43年にわが国は、非核三原則の政策を掲げ、さらに昭和47年には、国防を受動的な防御に徹する専守防衛に限定。
一方、戦後、シナでは、共産主義が勝利し、中華人民共和国が建国された。共産中国は建国後、繰り返しアメリカから核攻撃の威嚇を受けると、1950年代中半に核を保有する方針を決め、国力を集中して核開発を進めました。昭和39年に最初の核実験に成功し、昭和45年日本を射程に収めるIRBMを完成させ、わが国は、この時点から、シナの核ミサイルの標的になっているのです。
その後、あたかも憲法の規定に並ぶ大原則であるかのように愚かな政治家は声高らかに唱えています。しかし、この三原則は法制化されたものでなく、また国際条約でも非ず、単なる政策に過ぎないのです。
佐藤が非核三原則を唱えた時、核保有国は、国連安保理の常任理事国5カ国だけでした。注目すべきは、この時点で既に中国は核を保有していたことである。しかも、非核三原則が出されたわずか2年後に、シナはわが国を射程に入れた核ミサイルを開発した。佐藤の政策は、東アジア情勢に逆行し、わが国の国防を危うくするものでした。
佐藤が非核三原則を提唱する前、わが国は、そのような原則を立ててはいなかった。岸信介首相は、昭和35年3月7日参議院予算委員会にて、次のように答弁している。
「憲法は、言うまでもなく、憲法で持ち得ることは自衛権を持っており、これを裏づけるため必要な最小限度の実力を持つということを申しております。(略)いやしくも核兵器という名がついたから全部いかないのだという憲法解釈は、これは憲法の解釈としては、われわれとらないところだということを申しておる」と。
岸発言は、憲法解釈上、将来における核兵器の保有を留保したものと言える。現行憲法は自衛権を認めていると解釈するのであれば、最小限度の自主的な核抑止力は自衛力の一部と考えることができる。あとは核の開発・保有がわが国の国益という観点からプラスかマイナスかの判断であり、これは政策上の問題である。そして、科学兵器の発達の度合いや国際環境の変化におうじて、政策の見直しは必要である。
核の時代において、この約60年の国際社会の歴史が示しているのは、核攻撃を抑止できるものは、核兵器しかないという現実です。また、現代の国際社会で発言力を持つのは、核兵器を保有している国だけということです。北朝鮮のような経済的に非力、同胞を拉致した非道な国家でさえ手出しできないのは核の力です。
自力で国を守るという国防の基本に立ち返るなら、自衛の手段としての核抑止力についての検討がされねばならないと思う。
核兵器は、人類を自滅に招きかねない兵器である。核廃絶は、人類の悲願である。唯一の被爆国である日本は、世界的な核廃絶の先頭に立って行動すべきである。しかし、その前にわが国が、シナや北朝鮮の核で壊滅してしまっては、本(もと)も子もない。日本人の多数が核攻撃で死亡し、生存者の大半が放射線障害に苦しみ、再起不能なほどに生産力を喪失したならば、世界平和への貢献どころではないでしょう。
大東亜戦争後、わが国は、連合国軍の占領下に置かれ、「民主化」の名の下に、日本弱体化の政策が強行されました。GHQによって憲法が押しつけられ、わが国の国防は制限され、その憲法が放置されたまま、昭和43年にわが国は、非核三原則の政策を掲げ、さらに昭和47年には、国防を受動的な防御に徹する専守防衛に限定。
一方、戦後、シナでは、共産主義が勝利し、中華人民共和国が建国された。共産中国は建国後、繰り返しアメリカから核攻撃の威嚇を受けると、1950年代中半に核を保有する方針を決め、国力を集中して核開発を進めました。昭和39年に最初の核実験に成功し、昭和45年日本を射程に収めるIRBMを完成させ、わが国は、この時点から、シナの核ミサイルの標的になっているのです。
昭和31年4月、毛沢東は中共中央政治局会議で、「今日の世界で、他人の侮りをうけたくなければ、原爆を持たないわけにはいかない」と演説し、国際社会で政治的発言力を持つためには核兵器が必要であり、核兵器は中国を米ソが無視できない地位に引き上げる政治的な兵器であると認識したのです。
独裁的な指導者・毛沢東の決断によって、シナは1950年代中半から、核開発を進めました。開発は、ソ連の援助と協力を受けて進められ、以来、シナは、国民生活の向上や通常戦力の近代化を後回しにして、核兵器の開発・保有を遂行した。その半世紀の過程は、戦力不保持・専守防衛・非核三原則を国是としてきたわが国とは、まさに正反対の歩みでだったのです。
当時、毛は、ソ連が大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功したことをもって、「東風は西風を圧倒している」と認識し、東側の諸国が西側の諸国に対して力の優位に立ったと強調したのです。毛は、ソ連を中心とする社会主義陣営が団結して、アメリカの核を恐れず、「原爆は張子の虎」であることを暴露すれば、世界戦争は起こらない、そればかりか帝国主義を絶えず弱体化させ、究極的には圧倒することができると主張した。
「中国は人口が6億人いるから、仮に原水爆によって半数が死んでも、3億人が生き残り、何年がたてばまた6億人になり、もっと多くなるだろう」と、毛は語りました。
このように、自国民の人命さえ軽く考えるお国柄のシナが覇権に突き進んだ時、世界に殺戮の嵐が吹き荒れます、しかも、今日がその時なのです。
日中国交回復後、わが国は、シナに対して賠償金を支払うのではなく、経済援助を行うことにした。昭和53年、中国と日中平和条約を結び、翌54年から、本格的にシナへの政府開発援助(ODA)の供与を始めた。
日本のODAは、シナの経済成長に大きな助力となった。ODAは総計3兆円支出された。民間からの援助金を含めると、6兆円にもなると推計されている。こうした日本の金は、シナの経済発展にのみ使用されたのではなく、日本の金は、シナの核ミサイルの開発・製造にも使われたのです。わが国は、中国に金を出して、わが国に向けた核ミサイルを作らせ、シナに従属させられるために、せっせと金を貢いだようなものです。
しかも、シナからは、一切感謝ず、シナの一般国民は、日本からの経済援助の事実を知らされていない。そのうえ、シナ指導部は、わが国からもっとむしり取ろうと新手の恫喝材料に躍起です。
昭和56年に、核ミサイルの多弾頭化をめざす実験に成功し、63年には、原子力潜水艦からの弾道ミサイルの水中実験に成功させました。
こうしてシナは、1980年代には、第1世代の核兵器を完成、最小限核抑止力、すなわちアメリカの本土を攻撃できる「対米第二撃能力」を保有したのです。シナは、米国本土を核攻撃するとアメリカを威嚇できるところにまでいたったのです。
これによって、アメリカが同盟国を保護する「核の傘」は、事実上無効になった。同盟国が核攻撃を受ける脅威にさらされても、本土を核攻撃するぞと脅されたら、アメリカは自国の国民の生命を犠牲にしてまでも、他国を守るはずがないのが道理です。日本は、シナの核から国民を守れない状態になっているのです。国民に「核の傘」が機能していると思わせてきた愚かな政治家の行いは、犯罪的です。
近年の中国の高圧的な外交姿勢・内政干渉は、軍事的優位の表われであり、わが国は、シナに土下座外交を続けてきました。それのみならず北朝鮮に対しても、屈辱的な弱腰外交を続けてきたのは、国防の欠陥に最大の原因があるからです。
独裁的な指導者・毛沢東の決断によって、シナは1950年代中半から、核開発を進めました。開発は、ソ連の援助と協力を受けて進められ、以来、シナは、国民生活の向上や通常戦力の近代化を後回しにして、核兵器の開発・保有を遂行した。その半世紀の過程は、戦力不保持・専守防衛・非核三原則を国是としてきたわが国とは、まさに正反対の歩みでだったのです。
当時、毛は、ソ連が大陸間弾道ミサイルの発射実験に成功したことをもって、「東風は西風を圧倒している」と認識し、東側の諸国が西側の諸国に対して力の優位に立ったと強調したのです。毛は、ソ連を中心とする社会主義陣営が団結して、アメリカの核を恐れず、「原爆は張子の虎」であることを暴露すれば、世界戦争は起こらない、そればかりか帝国主義を絶えず弱体化させ、究極的には圧倒することができると主張した。
「中国は人口が6億人いるから、仮に原水爆によって半数が死んでも、3億人が生き残り、何年がたてばまた6億人になり、もっと多くなるだろう」と、毛は語りました。
このように、自国民の人命さえ軽く考えるお国柄のシナが覇権に突き進んだ時、世界に殺戮の嵐が吹き荒れます、しかも、今日がその時なのです。
日中国交回復後、わが国は、シナに対して賠償金を支払うのではなく、経済援助を行うことにした。昭和53年、中国と日中平和条約を結び、翌54年から、本格的にシナへの政府開発援助(ODA)の供与を始めた。
日本のODAは、シナの経済成長に大きな助力となった。ODAは総計3兆円支出された。民間からの援助金を含めると、6兆円にもなると推計されている。こうした日本の金は、シナの経済発展にのみ使用されたのではなく、日本の金は、シナの核ミサイルの開発・製造にも使われたのです。わが国は、中国に金を出して、わが国に向けた核ミサイルを作らせ、シナに従属させられるために、せっせと金を貢いだようなものです。
しかも、シナからは、一切感謝ず、シナの一般国民は、日本からの経済援助の事実を知らされていない。そのうえ、シナ指導部は、わが国からもっとむしり取ろうと新手の恫喝材料に躍起です。
昭和56年に、核ミサイルの多弾頭化をめざす実験に成功し、63年には、原子力潜水艦からの弾道ミサイルの水中実験に成功させました。
こうしてシナは、1980年代には、第1世代の核兵器を完成、最小限核抑止力、すなわちアメリカの本土を攻撃できる「対米第二撃能力」を保有したのです。シナは、米国本土を核攻撃するとアメリカを威嚇できるところにまでいたったのです。
これによって、アメリカが同盟国を保護する「核の傘」は、事実上無効になった。同盟国が核攻撃を受ける脅威にさらされても、本土を核攻撃するぞと脅されたら、アメリカは自国の国民の生命を犠牲にしてまでも、他国を守るはずがないのが道理です。日本は、シナの核から国民を守れない状態になっているのです。国民に「核の傘」が機能していると思わせてきた愚かな政治家の行いは、犯罪的です。
近年の中国の高圧的な外交姿勢・内政干渉は、軍事的優位の表われであり、わが国は、シナに土下座外交を続けてきました。それのみならず北朝鮮に対しても、屈辱的な弱腰外交を続けてきたのは、国防の欠陥に最大の原因があるからです。
核爆弾により大村海軍病院に収容された14歳の少女全身熱傷
世界の歴史から得られる教訓の一つは、国と国の間で、軍事力に大きな差が生じると、強いほうが弱いほうに攻め入るということです。豊かだが力の弱い国は、その豊かさと弱さが、侵入者を刺激し、また別の教訓は、相手に脅威を与えない程度の力では、戦争の抑止力にならないことです。攻めても相手にやり返す力がないことがわかれば、侵攻を誘発する。
戦争を防ぐには、当方が独自の反撃力を持ち、攻められれば必ず反撃すると公言し、相手に当方の反撃の能力と意思を確信させねばならない。当方を攻撃すれば反撃を受け、利益よりも損害がはるかに大きくなることを、相手にはっきりと認識させねばならない。核の時代においても、この国防の基本は、そのまま当てはまる。受動的防御に徹する専守防衛という戦略思想は、歴史の教訓に反し、国防の基本に外れた愚かな愚策にしかすぎません。
最後に、筆者は核を持つこと自体が課題ではなく、日本人が日本の精神を取り戻し、国民が団結し、「国を護る気概、靖国の護国の神々に続くという気概をもつ」ことが最も重要だと思っています。いかに進んだ科学兵器を持とうとも、国民の精神が腐敗しているのでは、調和と繁栄の道を進むことは、できません。
シナによる併合、侵略という迫り来る危機に対処するためにも、改めて日本の精神の復興を呼びかけたい。