欧米は、思想として民主主義を見出だしたが
日本は、慣習として民主主義を利用してきた
欧米は、全ての国民が多数決に参加することを是としたが
日本は、役割分担の中で専門家による多数決を是としてきた
欧米の民主主義は、参加資格に 知識も理解 も求めないが
日本の民主主義は、参加資格に 知識と理解 を求めた
欧米の民主主義は、各閣議決定で 構造と機能 を重視しないが
日本の民主主義は、各閣議決定が 構造と機能 に基づいていた
欧米の民主主義は、他の要素を抑制し 多数決 に重きを置いた
日本の民主主義は、他の要素も利用し 多数決 も最終手段に過ぎなかった
欧米は、人工概念の創造と発展を求めるが故に価値観の寿命が短く 価値観の入れ替わりが著しいので、その度に 法に瑕疵が顕れる
日本は、自然秩序を慣習としていたので 価値観に寿命はなかったので 法に瑕疵は生じなかった
欧米は、思想(価値観)を押し付けなければ 法を制定することも 秩序を構築することも不可能だが
日本は、個々各々が 当然のこととして 受け入れていた 故に 思想(価値観)は必要なかった。
欧米の思想は、自然秩序を構成する要素の一つに過ぎず 均衡は崩れる
日本の慣習は、其々の要素が渾然一体となり均衡を保っている秩序そのものを踏襲している
日本は、欧米の思想を取り入れてから おかしくなったようです。
*法は、国民が創るものー(国民が守り継承するもの)
*法は、その時代の価値観で決定するー(慣習により定められている)
*法は、憲法が最高規範ー(憲法は最高典範ではあるが、最高規範とはならない。最高規範は慣習法。成文法は、慣習法を文字に著したもの)
*立法府は、法を創らなければならないー(立法府は、法を遵守するべく最高機関。創るのではなく護らなければならない)
*立法府は、国民の監視が必要ー(監視が必要ということは、法そのものに不安があることの証明)
*立法府は、時の政権により基準も変わる(時の政権により基準が変わるということは、立法された法の正当性が保障されない。各法の整合性も認められなくなる)
ともなれば、法の遵守 は どうして保障されるでしょう。
「法を創らなければならない」とは、現行法の遵守とは反対の立場でありますし、「監視しなければ」とは、その危うさを露見しています。そして、時の政権により立法の基準が変わるとは、現行法を軸にしていないことの証明であります。
民主主義は、国民の総意
国民の総意は、大衆の総意
大衆の総意は、愚衆の総意
と、答えは出ています。
国会議員は、国民の代表
国民の代表は、大衆の代表
大衆の代表は、愚衆の代表
と、なることも判っています。
柔道一筋=当選
政治一筋=落選
帰化朝鮮人=当選
生粋日本人=落選
売国主張=当選
愛国主張=落選
立候補する者が、既に愚民
そして、愚民が当選
これが、欧米の民主主義 なんですな。
日本の慣習に戻って、役割分担による専門家による民主主義ならば、こんな馬鹿げたことは起こらないのです。
罷り間違って、愚政となっても 直に修正が可能です。
何故なら、間違いに気付く迄に時間を要さないからですな。
日本が伊達に、2672年の国家継承をしてきたのではないこと、これで多少に拘わらず見えてきたと思います。
現在、法の有効性の議論が白熱しています。
争点もマチマチです。
欧米の思想から一度離れて見直してみませんか。
我々は、日本人であり日本の法について議論しているのですから。
BY柳虫
日本は、慣習として民主主義を利用してきた
欧米は、全ての国民が多数決に参加することを是としたが
日本は、役割分担の中で専門家による多数決を是としてきた
欧米の民主主義は、参加資格に 知識も理解 も求めないが
日本の民主主義は、参加資格に 知識と理解 を求めた
欧米の民主主義は、各閣議決定で 構造と機能 を重視しないが
日本の民主主義は、各閣議決定が 構造と機能 に基づいていた
欧米の民主主義は、他の要素を抑制し 多数決 に重きを置いた
日本の民主主義は、他の要素も利用し 多数決 も最終手段に過ぎなかった
欧米は、人工概念の創造と発展を求めるが故に価値観の寿命が短く 価値観の入れ替わりが著しいので、その度に 法に瑕疵が顕れる
日本は、自然秩序を慣習としていたので 価値観に寿命はなかったので 法に瑕疵は生じなかった
欧米は、思想(価値観)を押し付けなければ 法を制定することも 秩序を構築することも不可能だが
日本は、個々各々が 当然のこととして 受け入れていた 故に 思想(価値観)は必要なかった。
欧米の思想は、自然秩序を構成する要素の一つに過ぎず 均衡は崩れる
日本の慣習は、其々の要素が渾然一体となり均衡を保っている秩序そのものを踏襲している
日本は、欧米の思想を取り入れてから おかしくなったようです。
*法は、国民が創るものー(国民が守り継承するもの)
*法は、その時代の価値観で決定するー(慣習により定められている)
*法は、憲法が最高規範ー(憲法は最高典範ではあるが、最高規範とはならない。最高規範は慣習法。成文法は、慣習法を文字に著したもの)
*立法府は、法を創らなければならないー(立法府は、法を遵守するべく最高機関。創るのではなく護らなければならない)
*立法府は、国民の監視が必要ー(監視が必要ということは、法そのものに不安があることの証明)
*立法府は、時の政権により基準も変わる(時の政権により基準が変わるということは、立法された法の正当性が保障されない。各法の整合性も認められなくなる)
ともなれば、法の遵守 は どうして保障されるでしょう。
「法を創らなければならない」とは、現行法の遵守とは反対の立場でありますし、「監視しなければ」とは、その危うさを露見しています。そして、時の政権により立法の基準が変わるとは、現行法を軸にしていないことの証明であります。
民主主義は、国民の総意
国民の総意は、大衆の総意
大衆の総意は、愚衆の総意
と、答えは出ています。
国会議員は、国民の代表
国民の代表は、大衆の代表
大衆の代表は、愚衆の代表
と、なることも判っています。
柔道一筋=当選
政治一筋=落選
帰化朝鮮人=当選
生粋日本人=落選
売国主張=当選
愛国主張=落選
立候補する者が、既に愚民
そして、愚民が当選
これが、欧米の民主主義 なんですな。
日本の慣習に戻って、役割分担による専門家による民主主義ならば、こんな馬鹿げたことは起こらないのです。
罷り間違って、愚政となっても 直に修正が可能です。
何故なら、間違いに気付く迄に時間を要さないからですな。
日本が伊達に、2672年の国家継承をしてきたのではないこと、これで多少に拘わらず見えてきたと思います。
現在、法の有効性の議論が白熱しています。
争点もマチマチです。
欧米の思想から一度離れて見直してみませんか。
我々は、日本人であり日本の法について議論しているのですから。
BY柳虫