3月の朝雲ニュース
3/1日付 | ニュース トップ |
NEXCO東日本 高速道SAを防災拠点化 (図はいずれもNEXCO東日本のホームページから作成)
東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)は2月23日、関東―東北を結ぶ常磐自動車道の守谷サービスエリア(SA、茨城県守谷市)を、首都直下型大地震などの災害発生時に自衛隊や消防など救援部隊の支援ができる防災拠点とすると発表した。同社は2011から13年の中期経営計画で「SA・PA(パーキングエリア)の防災拠点化」を進めており、守谷SAは最初のモデル事業となる。
自衛隊指揮所も 陸東方が協力 第1号に茨城・守谷SA 昨年3月の東日本大震災では、自衛隊の災害派遣部隊は高速道路を使って被災地に進出、その間、SAやPAを部隊の集結地点としたほか、車両のガソリン補給や隊員の食糧確保などに活用した。 こうした事例を受け、同社はSAとPAの防災拠点化を進めるため、自衛隊・警察・消防等からニーズを聞き、各種機能の整備を行っている。昨年12月に設置された「検討準備委員会」では、陸自東部方面隊と協力、具体的な防災拠点としての機能を検討中だ。 第1号の守谷SAは、災害発生時、フードコートなど屋内施設を陸上自衛隊の「前方指揮所」として活用できるよう、大型モニター、パソコン、電話などの機材を整備。医療機関による救援・救護室スペースも設け、避難してきた高齢者や傷病者、乳幼児に対応できるようにする。 また、駐車場には多数の大型テントを設置できるスペースを確保し、被災者を一時的に収容したり、大量の救援物資を施設内に一時保管できるようにする。 さらに多数の緊急車両に対応するため、ガソリンの備蓄量を増やし、自衛隊車両などに十分補給ができるようにするほか、敷地内にはドクターヘリの発着が可能なヘリポートも整備する。 このほか、インフラの被災にも対応できるよう、自家発電機を設置。断水に備えて井戸も準備し、炊き出し用スペースを確保する。衛星通信、携帯電話通信用アンテナなどの整備により、非常時の通信回線も確保する。 同社では約2年半をかけて守谷SAの防災拠点化を進め、実際に運用して課題や問題点を洗い出し、今後、他地域のSA、PAの防災拠点化を順次行っていくことにしている。 |
3/1日付 | ニュース トップ |
タイ「コブラ・ゴールド2012」終わる
|
3/1日付 | ニュース トップ |
5普連 今年も「八甲田演習」 厳寒と豪雪踏み越えて 小銃などの武器と25キロの背のうを身に付け、吹雪の中をスキー機動で行軍する5普連隊員(八甲田山中で)
部隊の遭難を後世に伝えた旧軍の後藤伍長の銅像に敬礼する5普連隊員(2月8日、八甲田山銅像茶屋で)
【5普連=青森】第5普通科連隊(連隊長・青木広治1佐)は2月8日から11日まで、厳しい寒波と降雪の続く青森・八甲田山麓で、同連隊恒例の「八甲田演習」を行った。 演習は"世界山岳遭難史上最大"といわれる明治35年の旧歩兵第5聯隊がたどった行軍ルートを連隊員が追体験して部隊練成を図るとともに、遭難した山口少佐以下210柱を慰霊するため、昭和40年から行われており、今回で43回目。 行軍開始を前に7日午前、青木連隊長以下250人が英霊の眠る幸畑陸軍墓地を参拝し、連隊長が「諸先輩の遺訓を学び、ご遺志を全うすべく、5普連長以下約710名が八甲田演習に臨みます」と報告した。 8日早朝、部隊は青森駐屯地から車両で行進出発地点の小峠に前進。この日の八甲田は気温が氷点下14度、風速6メートルで、体感温度はマイナス20度だった。 防寒具に身を固めた隊員たちは各自25キロの背のうを背負い、午前6時30分、最初に情報小隊が出発。続いて訓練検閲を受ける4中隊など主力もスキー前進を開始し、進路を啓開しながら10キロ先の銅像茶屋を目指した。 茶屋には5聯隊遭難の経緯を後世に伝えた後藤房之助伍長の銅像が立ち、部隊は連隊旗を掲げて後藤伍長に敬礼。田邉揮司良9師団長から激励を受けた部隊は再び前進を開始し、深沢地区に到達後、宿営準備に入った。深い雪の中、雪壕、天幕、歩哨壕を整備し、これを交通壕で結んで敵襲に備えながら宿営した。 9日早朝、主力が行進を再開、大中台まで約12キロを踏破した。一方、受閲部隊の4中隊は八甲田温泉付近から田代平まで雪上車でジョーリング、その後、十和田市増沢までスキー機動。さらに車両で八戸演習場に移動して攻撃準備に移行、各部隊は酷寒の中で敵陣地の解明のため偵察活動を行い、状況を終えた。 隊員にとっては旧5聯隊の将兵が果たせなかった「八戸進出」への思いを代わって成し遂げ、英霊に任務完遂を報告した。 |
3/1日付 | ニュース トップ |
海自2空群が恒例の海氷観測飛行
|