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[転載]皇室と国民 

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皇室と国民   
 
元侍従次長  木下道雄著より (昭和四十四年)
 
われわれ日本人には、民族としての長い間の君民同和の歴史があり且つ
これに伴う信仰がある。終戦時、占領軍と共に国内に持ち込まれた「自由」
と「艮主主義」とに関する半知半解の鵜呑みの模倣は三十余年後の今日、
果たレて国内各地に意外な程の無秩序な混乱をかもしつつある
 
 
元来、われわれは海外のよきものを採り入れて之を活用することに特に
すぐれた才能を持った民族である。模倣も採り入れた。仏教もとりいれた。
これらは、ともに、国民の共同生活の上で、且つまた、一家、一族、一国の
秩序、組織を固める上で非常に役に立った。
 
この経験を生かし、「自由」も「民主主義」も単なる模傲をやめ、われわれの
英知と信仰とを以て、これをよりよきものに向上させ、以て世界平和の中核
たらしめようではないか。
 
この国民運動を起こすに先だち、まず承りたいのは、陛下の御心境である。
 
(駐)「自由」も「民主主義」も口先きだけでは何もならぬ。教とまごころと信仰」
とを似て必ずこれを包むことを忘れてはならない。これを怠れば、世の中
たちまち混乱し悪党横行の天下となること必定、民主主義の元祖の如く
いわれるリンカーン大統領も米合衆国南北戦争のさなか、ゲッチスバーグ
の古戦場跡の建墓式々典で「われわれは神のみ前に跪いて「自由」という
言葉の意味を、もう一度よく考えなおしてみようではないか」という意味の
ことを聴衆に訴えているし、また「孟子」にも、仁義に関し、自重自由の
重んずぺきことを思わせる自暴自棄論があるではないか。
 
私は大正十三年の夏、三十七歳のとき、内閣書記官から東宮事務官兼
東宮侍従に転任を命ぜられ、親しく東宮殿下(昭和天皇)の御身辺に
侍することとなった。友人などからは、さぞ窮屈だろうなどと同情の言葉を
もらったこともあったが、私としては初めこそは、見るもの、聞くもの、皆
珍らしく思ったこともあったが、だんだん落ちついてくると、ちょっと暫らく
海外旅行をしてきた者が久しぷりで目本の港の土を踏んだときの気持
ちのようなものを感ずるようになった。
 
それは、こここそは、ほんとうの日本だな、というような気持ちだ。なぜ
そんな気持ちになったか、その理由を尋ねられても一寸説明はできないが、
とにかく、そんな気持ちになったことは事実であり、恩えば不恩議なことである。
 
私が転任したのは東宮殿下御結婚直後のことであり、殿下のお年が廿三、
妃殿下(皇后さま)のお年が廿一、おん父君、大正天皇が久しく御病気で
あらせられたため、東宮殿下が天皇に代って摂政のお仕事をしておいでに
なったときであった。両殿下の周囲には珍田東宮大夫、入江東宮侍従長、
奈良東宮武官長、島津東宮女官長という年長のかたがたは別として若い
連中としては東宮侍従が七人、東宮武官が陸海各二人、東宮女官が五人、
侍医が四人いたが、これらの者は各一人づつ宿直するのが定めであった。

当時、両殿下のお住居は今の赤坂迎賓館であり、正面から向って右半分が
奥宮殿、左半分が表宮殿として使われており、摂政殿下の御政務室、
謁見室その他東宮職の事務室、宿直.室等は全部表宮殿にあり、奥宮殿は
御家庭向きのところとして使われていた。
 
夜、われわれが宿直をしながら雑談をレていると、ときどき、殿下がわれわれの
仲間入りをなさる。われわれは殿下が仲間入りをなさったからといって別段
四角張りもしなかったが、ただ他人の批評特に悪口は絶対につつしむことに
申し合わせていた。
 
 
そのうちに私は、はっきりした解決がつかないまま、一沫の疑問を胸中に
抱くようになった。それは何かというと、世の中には身分の高い貴族の家や
大金持ちの家に生れ、幼少のときから多くの召使に世話をうけて育った人で
非常に聡明な人物も少くないが、残念なことに殆んどが一種の通弊を持って
いる。それは何かというと、周囲の人々に対する好き嫌いの感情が露骨に
表われるということで、自分では努めて抑制しているつもりでも、どことなく、
それが現われてくる。
 
ところが、殿下は常に十数人の男たちに囲まれておられながら誰彼への
好憎の念をいささかもお持ちにならない。そこで私はひそかに考えた。
殿下に限ってこの共通の弱点をお持ちにならないということは一体何に帰因
するのであろうか。殿下の御幼少の頃から殿下をおあずかり申して専心
その御教育につとめたのが東郷元帥、乃木大将、杉浦重剛先生の諸氏で
あるから、その懸命の努力の結果であろうか、それとも、これが皇室の
御伝統であろうか。
 
たまたま、その秋、殿下は京都に御旅行になり、京都御所内にある仙洞御所に
一週間御滞在になったことがある。京都御所内には数棟の土蔵があるが、
そのうちの一つ、別に目立たぬ普通のお蔵のようではあるが。これが所謂
東山御文庫で皇室にとっては非常に大切なお蔵である。扉には勅封が
施されてあり、毎年秋季に東京から特に侍従が差し遣わされ、開扉の上、
約一ケ月かかって内蔵品を曝涼するのが例となっている。内蔵されている
ものは御歴代の宸翰、旧記の類である。
 
続く
 
 
 
注:この中に、昭和天皇が話の中に仲間入りなされるとある事に驚いた。
  私達が聞いているのは、戦前、戦中は天皇は神であったと教えられていた
  からである。もちろん軍隊の中では一部あったかも知れないが、戦時中
  刑務所に入っていた左翼達の戦前、戦中は暗かったと宣伝したように
  自分達が刑務所の中で暗かっただけで、暗かったのは終戦間近だけで、
  明るかったように、天皇を神様と刑務所で言わされた左翼と占領軍達の
  誇張ではないのではないかと思った次第である。
 
 
 
 
 
 

転載元: サイタニのブログ


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