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国思う ゆえに我あり

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国思う ゆえに我あり
2009/7/24(金) 午後 1:32最近の記事練習用  Yahoo!ブックマークに登録
 

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 昨日は更新記事を書き終えて最後のチェックも終わり、投稿しようとした矢先に誤って記事を消してしまいました。
 
 久しぶりにこのオッサンもグレました。“どうにでもしやがれ!”と独りパソコンの前で暴れていました。
 こういうのを大の大人のくせにみっともない!というのでしょう。
 何を言われても返す言葉はありません。
 
 そこで、昨日の未投稿記事のことは『不必要なものだった』と自分に言い聞かせ、改めて本日出直しをしようと思います。
 
 
 かなり前のことになりますが、日頃から尊敬してやまないある人生の先輩から、「敬天君のアイデンティティーは何か?」と唐突に質問を受けた事がありました。
 普段何も考えずボーっとして目先の利益だけに目を奪われて、自分の都合のみで生きて来た愚人である不肖敬天愛人がまともに答えられる筈もありません。
 「とにかく、縁あってこの世に生まれて来たのですから、与えられた寿命を精一杯生きる事ですかねえ」と答えにもならない愚にもつかない返事をしました。
 
 さすがにその先輩も「聞いた相手が悪かった」と後悔したのか、苦笑しながら 「確かにその通りだよね。でも、俺が聞きたかったのは生きて行くうえにおいての君の矜持みたいなものがあれば・・・・教えてもらいたいと思ったんだよ」と出来の悪い教え子を諭すように仰いました。
 
 この時、先輩は私に日本人としての心得を教えたかったのです。
 
 西洋の個人主義を端的に現す言葉として、フランスの哲学者デカルトの有名な言葉(命題)「我思う故に我あり」があります。
 先輩に言わせると、この命題こそ近代西洋社会を司って来た根底のものであり、ここから国や社会よりも個人の権利を最優先する個人主義に基づく共和制という政治体が生まれたというのです。
 
 国や社会といった集合体は、集合知の中にある個人知ではなく様々な個人知の集合知で構成されるべきだという考えです。
 これが民主主義の基本的な思想の基礎となるのですが、これは西洋社会には神を除いては絶対的な存在がなかったという背景が大前提であり、国王といえど武力を持って征服して覇権を握った支配者に過ぎず、被支配者にとっては、たまたま力があったから支配者になり得たのであって、根本的には自分たちと同じ人間なのだという意識があったからだといいます。
 
 つまり、力で支配されているが精神は支配されていない、という意識の現れだと考えます。
 
 だからこそ、時々の権力者は被支配層を精神的にも支配するために、本来は権力から独立している宗教を利用するしかなかったのです。
 しかし、武力以外、何ら絶対的な正統性も神聖性も持たない権力に過ぎませんから、権力維持のためにどんなに宗教を巧妙に活用しようとしても一般大衆の心のベクトルは、権力者への忠誠ではなく宗教への忠誠に向くことになり、宗教をアイデンティティーとした被支配層によって組織化された対抗集団が生まれ、君主権力が打倒されて共和制に移行する歴史があったわけです。
 
 宗教は個人個人の気ままな心まで受け入れる包容力がありますが、支配することが絶対の目的である存在の権力(君主)は権力の意に沿わない個人の心は排除しようとしますから、権力が宗教を完璧に利用するのは不可能であると思います。
 
 話が長くなりましたが、西洋社会では国家や社会の枠組みの中にある個ではなく、それを超越した存在としての個であることが絶対条件だということです。
 
 翻って我が国においては幸いにも天皇という絶対的存在が、国家という概念の枠組みとしての国の創生期からありました。
 
 西洋のように出自の違いこそあれ、同じ人間に過ぎない者が武力で権力を握った、君主従民の関係ではありません。
 
 元神の司祭者としても精神的にも絶対的な存在であり、一系の血筋を引き継いだ元々から民を超越した存在であります。
 そして『君民一体』を国体として来た比類の無い国家が日本であります。
 簡単にいうと、君民=国であり、君=国と民=国でもあるのです。
 
 西洋では国家及び国体は権力者個人のものでありましたが、日本では国家及び国体を為すものは君民一体であるのです。
 
 したがって、個人主義という概念は西洋の土壌に芽生えるべくして芽生えたのであって、君民一体の日本には概念すら生まれる土壌はなく、むしろ不要なものだったということでもあります。
 
 だからこそ、「我思う ゆえに我あり」ではなく「国思う ゆえに我あり」が生粋の日本人のアイデンティティーなのであります。 
 
 しかし、そんな素晴しい日本の国是も西洋人によって英語で作成され日本語に翻訳されただけの占領憲法により無残にも踏みにじられてしまいました。
 
 その結果、国体でもある国民が自分の存在意義も忘れ愛国心を語ることすら憚れる世の中となり、友愛という耳ざわりだけは良い悪魔の言葉で近隣の反日国家との同化を進めようとする国賊勢力が政権を担おうと虎視眈々と狙っています。
 
 二大政党制とは、あくまでも国体護持と愛国心を持った政党であることが前提であり、支持層と政治手法が異なるだけの二大政党による政権交代を可能として政治のダイナミズムを生み出そうというものであります。
 
 日本の主権や国体を外国に売り渡すような売国・国賊政党が一方の勢力であるという二大政党制はあってはいけないことなのです。
 
 マスコミや反日勢力の甘言や流言飛語に惑わされること無く、選挙の前にもう一度、日本の国体と日本人の原点にまで思いを馳せて国の行く末を考えることが我々有権者の義務ではないかと思うのです。
 
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