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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]とれば憂し とらねば物の数ならず 捨つるべきものは弓矢なりけり

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 比較文化史家・東京大学名誉教授 平川祐弘



平成十八年三月一九日、 防衛大学校卒業式の来賓祝辞は素晴らしいものでした。
祝辞をされたのは、平川祐弘(ひらかわ すけひろ)東大名誉教授で、日本の近代史を文化的に観察し、かつ国際比較において分析する点で洞察の深い文化論を展開し、『和魂洋才の系譜』、『西洋の衝撃と日本』
『米国大統領への手紙 市丸利之助伝』などの著書があります。
以下が、5分間の『祝 辞』から全文を引用します。

この良き卒業式にあたり古歌を引いて御挨拶といたします。
とれば憂(う)し
とらねば物の数ならず
捨(す)つべきものは弓矢なりけり

本学出身の皆さまは武力と関係する。「弓矢」を実際に使えば、人を殺し「とれば憂し」の立場に立たされる。しかしもし武器をとらねば「物の数ならず」。国防の決意なき国は、他国と通じる内外の勢力により心理的に支配され、人の数にならない。
その矛盾の悩みが「捨つべきものは弓矢なりけり」武器は捨てたいものだ、という呻(うめ)きとなりました。

しかし武器は捨ててすむのか。
戦後六十年我が国は、自衛力と同盟国の武力によって護られてきました。二十一世紀世界では一国平和は不可能です。ではなぜ一九四六年憲法を改正し軍隊を認知しないできたのか。それは「とれば憂し」という懸念が常に言われたからです。
だが備えがなければ相手の思うままにされる。それで万一に備え、自衛隊があり防衛大学校があり、国民も皆さまに期待しています。ただし戦前は軍の学校を出 る者に対し、赫々(かくかく)たる武勲を立てることが期待されました。今日皆さまに期待するのは地球社会の平和維持力としての自衛隊であり、その任務が重 く尊いことは、日本の首相が卒業式に必ず参列するのは本学だけであることからもわかります。
「戦ひ好まば国亡び戦ひ忘れなば国危ふし」と申します。昭和初年、軍部は独走し、軍国主義日本は「戦ひ好まば国亡ぶ」惨状を呈しました。戦いを好んではならない、しかし、かといって戦いを忘れてはならない。
釣合いが大切です。ではそのバランス感覚を皆さま個人はいかに磨くか。積極的・能動的な本学卒業生は、敵を知り己を知る知的訓練を生涯積まれることを切望いたします。
昭和の軍人で範とするに足る人は誰か。自己研鑽を生涯怠らぬ立派な人はおりました。今村均大将の自伝は読まれた方もありましょう。私は昭和二十年、硫黄島 で米国大統領へ宛て立派な遺言を日英両文でしたため戦死した海軍草分けのパイロット市丸利之助(いちまるりのすけ)少将についてお話したい。市丸大尉は大 正末年、練習飛行中墜落、三年病臥(びょうが)し、同輩に遅れ、悩みました。しかし和歌を学ぶなど修養につとめました。人生誰しも蹉跌(さてつ)はある が、強制された休暇を善用したからこそ、市丸は軍に復帰する予科練の初代部長として深い感化を与えました。

市丸の歌、
紺青(こんじょう)の駿河の海に聳(そび)えたる
紫匂ふ冬晴れの富士

市丸は富士に日本の永遠を祈りました。皆さまも小原台(おばらだい)から眺めた富士山を末永く心にとめ、裾野の広い、大らかな人格を築 いてください。島国日本は古来外敵に蹂躙(じゅうりん)されることが稀(まれ)でした。専制主義国の圧迫を蒙(こうむ)ることなく、私どもは精神の自由を 失わず生きている。経済発展も嬉しいが、日本が東アジアで例外的に言論の自由を享受できたことを私はさらに誇りに感じます。
この地球社会の自由を皆さまとともに護ることを誓い、祝辞といたします。本日はお目出とうございます。

平成十八年三月一九日  
平川 祐弘(ひらかわ すけひろ)



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市丸 利之助(いちまる りのすけ)海軍中将




平川教授が賞賛してやまない市丸中将は多くのブロガーが記事とされています。
拙ブログの拙稿、
『ルーズベルトニ与フル書』 市丸 利之助海軍少将...でも紹介させていただきました
投稿文字数に制限がありますので、以下に動画を記載します。



市丸中将は、与謝野鉄幹、晶子の主宰する文芸誌「冬柏」に柏邨(はくそん)という号で歌を寄せた歌人でもありました。
以下に中将の歌を抜粋します。


あさみどり空澄みわたる支那の秋楊(やなぎ)の色はなほ衰えず  昭和十五年

生絹とも綿ともつかぬ雲流れ機影とともに虹走るかな  重慶爆撃 昭和十六年

その肩を敲き自爆を命じたる友の写真に揺らぐ香煙

やよ三郎隊長さまが見えたるぞかく媼(おうな)いふ生けるが如く  昭和十七年

いみじかる戦果なれども二十一機は自爆せりあたら若武者 

勇ましき機上戦死ぞ然れどもぬかづけば只涙溢るる 

七星と南十字の向ひ合ひ半月高し島のあかつき            昭和十八年


十余年前に死したる飛行兵生きてありきといふ夢をみぬ 

夢に見んわが養ひし飛行兵少なからぬが亡せにける今 

大陸に太平洋に勇ましき部下を死なせつ我れいまだ在り       昭和十九年


筆者が驚くのは、爆撃に出た機上でさえも、中将のこころが静かなことです。また、部下を思う気持ちが強くあられることも胸を打ちます。
中将の歌は、毅然として立つ軍人としての歌、反面、空に散った教え子の若鷲たちを思って涙する歌、家族愛に満ちた優しい父の顔、源実朝に学んだ自然詠などがあり、ことのほか富士山を憧憬した80余首は、絶唱だと平川教授も讃えています


とれば憂(う)し
とらねば物の数ならず
捨(す)つべきものは弓矢なりけり


国を挙げての戦争は、国家の目的と目的がぶつかったときに、その紛争を解決するための最後の手段です。
大東亜戦争に関していえば、「優秀な白人種」が「劣勢民族である有色人種」を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然とする価値観と、人種の平等と合い共に繁栄することを求める理想との戦いです。

戦いに「かつ」ということは、単に戦闘に勝つということだけを意味しません。
「克つ」は「勝つ」と同じで「かつ」と読みます。
「克つ」は、成し難きことをしおおすことを意味し、戦いに「克つ(かつ)」ことは、戦いの究極の目的を遂げることです。

思うに、市丸中将は、自らの死を目前として、たとえ硫黄島が奪われ、我が身が土に還ったとしても、人が人として生きることの大切さをこの「書」にしたためることで、死して尚、日本の描いた壮大な理想、悠久の大義のために戦い続けようとしたのではないでしょうか?


市丸中将の「書」は、全米の良心を動かし、いまや人類の常識として後世に立派に生き残っているのです。

転載元: 美し国(うましくに)


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