今日は、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。
いつ日本国は成立したのか。この設問に対して答えることは、簡単ではありません。現在、国家承認を受けている世界のどの国の歴史を見てみましても、紆余曲折、離合集散を繰り返して、ようやく一国家としての態を整えており、太古の昔から現在の領土、領域、国民において存在していた国家はないからです。
では、日本はどうなのでしょう。『漢書』によると紀元前後においては、日本国は百余国に分かれていたようです。また、『魏志』によると、3世紀の日本国は卑弥呼を女王に共立した30ケ国連合と、狗奴国連合の二大勢力とに二分されています。こうした分裂状態を脱して、日本国が一国として成立していたことが確実視されえる時期、すなわち一国家としての行政・司法制度(律令制度)などが整い、ようやく分離・分裂問題が過去のものとなったのは、蝦夷問題や沖縄問題を抱えながらも、8世紀と捉えてよいのではないでしょうか(蝦夷はもちろんのこと、沖縄の言葉と日本語との近似性から、沖縄の人々は、大和民族の分派とみてよいでしょう)。
8世紀と言いますと、それは、『日本書紀』(720年)や『古事記』(715年)が成立した時代です。記紀の成立期こそが、曲がりなりにも、日本国の統合の時期とも重なるのです。記紀は、日本国の統合を強く意識して編纂された歴史書であるとともに、また国民が統合の重要性を再確認するための、“精神の拠りどころ”でもあります。たとえて言えば、記紀は、日本の国歌の『きみが世』の如き史書です。『きみが世』の歌詞、「さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」は、記紀にあっては、「小さな国家が集まって大きな一国家となったのですから、永久に一緒に一国家として存続してゆきましょう」と言祝いでいるのです、
統合の再確認が編纂の柱でしたので、記紀は、それより以前に遡る離合集散の歴史を、上手には表現していません。すなわち、統合までの歴史的経緯が詳しく記されていないのです(記紀には、邪馬台国も狗奴国も登場しません)。分裂状態の時期もあったという史実を伝えるという点においては、統合を基軸とした記紀の編纂方針は、弱点となっていると言えるでしょう。しかし、心配することはありません。人間というものは、どうにか真の歴史を後世に伝えようとするものであるからです。
ここで、注目したい点は、記紀は、似て非なる書物であって、同じ内容の文章もあれば、内容にかなりの隔たりがある場合があることです。この内容の相違こそが、日本国統合の謎を解く手掛かりともなるのです。次回からは、似て非なる史書、『日本書紀』と『古事記』の相違から見えてくる日本国統合について、まずは、記紀神話からお話してゆきましょう(次回に続く)。
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いつ日本国は成立したのか。この設問に対して答えることは、簡単ではありません。現在、国家承認を受けている世界のどの国の歴史を見てみましても、紆余曲折、離合集散を繰り返して、ようやく一国家としての態を整えており、太古の昔から現在の領土、領域、国民において存在していた国家はないからです。
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8世紀と言いますと、それは、『日本書紀』(720年)や『古事記』(715年)が成立した時代です。記紀の成立期こそが、曲がりなりにも、日本国の統合の時期とも重なるのです。記紀は、日本国の統合を強く意識して編纂された歴史書であるとともに、また国民が統合の重要性を再確認するための、“精神の拠りどころ”でもあります。たとえて言えば、記紀は、日本の国歌の『きみが世』の如き史書です。『きみが世』の歌詞、「さざれ石の巌となりて、苔のむすまで」は、記紀にあっては、「小さな国家が集まって大きな一国家となったのですから、永久に一緒に一国家として存続してゆきましょう」と言祝いでいるのです、
統合の再確認が編纂の柱でしたので、記紀は、それより以前に遡る離合集散の歴史を、上手には表現していません。すなわち、統合までの歴史的経緯が詳しく記されていないのです(記紀には、邪馬台国も狗奴国も登場しません)。分裂状態の時期もあったという史実を伝えるという点においては、統合を基軸とした記紀の編纂方針は、弱点となっていると言えるでしょう。しかし、心配することはありません。人間というものは、どうにか真の歴史を後世に伝えようとするものであるからです。
ここで、注目したい点は、記紀は、似て非なる書物であって、同じ内容の文章もあれば、内容にかなりの隔たりがある場合があることです。この内容の相違こそが、日本国統合の謎を解く手掛かりともなるのです。次回からは、似て非なる史書、『日本書紀』と『古事記』の相違から見えてくる日本国統合について、まずは、記紀神話からお話してゆきましょう(次回に続く)。
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