Quantcast
Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

[転載]『五箇条の御誓文』こそ日本の国是

$
0
0
イメージ 1
「五箇条の御誓文」
 
 
 
国是(こくぜ)とは、その国の大部分の政策の方向性を決定付ける、国民の支持を得た方針のことであり、基本的には長期的に維持されます。国是を知ればその国の性格がある程度知ることができると言われています。
建国後そのまま国是としているケースも多く、その国の歴史と密接に絡んでいるのが常であるため、その国の国是を理解するには、その国の歴史を学ぶ必要があるります。

経綸(けいりん)とは、国家の秩序をととのえ治めることをいいます。
近代日本が国是を示し経綸を為したのは明治維新です。
 
わが国は、幕末に西洋列強が押寄せ、独立の危機に直面しました。これは、日本文明に対する西洋文明の「挑戦」でした。この「挑戦」に対し、幕末の日本人は近代西洋文明の圧倒的な軍事力・技術力・経済力を前にし、征服・支配されないために、必死で国を守ろうとしました。そして、尊皇倒幕の運動が高まり、明治維新がなしとげられた。それは、世界史上に残る画期的な「応戦」でありました。
 明治の日本人は、日本の伝統・文化・国柄を保持しつつ、そこに近代西洋文明を摂取して近代化を行い、西洋列強に伍すことのできる近代国家を建設しようとしました。この時、日本人が国是としたもの。それが、「五箇条の御誓文」です。

<原文>
「一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
 一、上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
 一、官武一途(いっと)庶民に至るまで、各々其の志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめむことを要す。
 一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし。
 一、智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。
我国未曾有の変革を為(なさ)んとし、朕躬(み)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大(おおい)に斯(この)国是を定め、万民保全の道を立(たて)んとす。衆亦此(この)旨趣(ししゅ)に基き協心努力せよ。」

<訳文>
「一、会議を開き、多くの人の意見を聞いて政策をきめる。
 一、身分の上下に関係なく、心を合わせて、政策を行おう。
 一、公家、武士や庶民の区別なく、国民の志がかなえられ、失望のない社会にしよう。
 一、これまでの慣習をやめ、国際社会の習慣に従おう。
 一、新しい知識を世界の各国に求め、国家を繁栄させよう。
 わが国は、未曾有の大改革を行うので、私はみずから先頭に立ち、天地神明に誓い、重大なる決意を持って、国政の基本方針を決め、国家・国民の安定を図る大方針を確立するつもりである。国民の皆さんにもこの趣旨にしたがい、努力をお願いしたい。」

 われわれの先祖・先人は、明治天皇陛下が発した「御誓文」のもとに、自分たちの国づくりに命を賭けました。そこに自ずと「日本精神、やまと魂」が発揮されたのです。

 わが国は、外発的・後発的な近代化を政府主導で行いました。その点では、欧州の後進国と一定の共通点があり、後進国型の保守主義に多くを学んだのです。西欧で保守主義の元祖とされるエドモンド・バークは戦前、わが国ではほとんど注目されず、明治時代に金子堅太郎がバークを翻訳・紹介したが、注目されていません。政府は主にプロシア(ドイツ)の保守政策を学んだのです。バークの影響を受けて発達した後進国型の保守主義を取り入れたのです。
 これに対し、藩閥政府を有司専制と批判する自由民権運動は、イギリスのミル・スペンサーらの「修正的自由主義」、今日にいう「リベラル」や、フランスのルソーらの思想を取り入れた。自由民権家は、自由の獲得・拡大をめざし、議会開設・憲法制定等を要求しました。その根本にあったのは、「五箇条の御誓文」に示された君民一体の実現であり、尊皇愛国の態度に貫かれていた。

 こうした政府対民権、ドイツ流対英仏流のぶつかり合いのなかで、伊藤博文・井上毅らが主導して、明治22年に帝国憲法の公布、翌年教育勅語渙発、また帝国議会の開設。帝国憲法・教育勅語・帝国議会による近代的な国家体制です。ここに、天皇を中心とした立憲君主制議会政治が開始された。特に教育勅語は、伝統的な「日本精神、お国柄」をよく表現するとともに、それを近代的な国家国民を形成する道徳の基礎、日本人のあり方を示したのです。

 この明治の政体は、近代西洋文明の「挑戦」に「応戦」した日本文明が、わが国古来の国柄を保ちつつ、外来の文化的要素を取り入れて作りあげた傑作でした。「御誓文」に示された国是を具体的な形として実現したものでした。筆者は現代日本人、特に「保守」を自認する人々は、この明治日本の国是と体制を継承する立場にあることを自覚すべきと思う次第です。

 明治20年代に構築された近代日本の国家体制が大きな試練にぶつかったのが、日清・日露戦争だった。この元寇以来の日本存亡の危機において、日本国民は「日本精神、やまと魂」で団結し、大国支那、ロシアに勝利したのです。日本がロシアに勝ったことは、白人種西洋文明が有色人種諸文明を支配してきた近代史を大きく転換点させる重要な意義のある出来事でした。
 
箇条の文言に続いて、明治天皇陛下が「我国未曾有の変革を為とし、朕躬を以て衆にじ」云々と述べておられます。
明治天皇陛下はまた御誓文と同日、御宸翰(ごしんかん)を出されました。宸翰とは天皇直筆の文書を言います。そこには次のような意味のことが記されています。
 「今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、それはすべて私の責任であるから、今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ、困難の真っ先に立ち、歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤めてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかない、そのように行う」
 すべての人が「所を得る」ような状態をめざし、全責任を担う。明治天皇陛下の決意は、崇高です。ここには天皇が国民を「おおみたから」と呼んで、肇国以来大切にしてきたわが国の伝統が生きており、御誓文と御宸翰に示されたもの、それが近代日本のデモクラシーとナショナリズムの始まりでもありました。
新政府は、五箇条の御誓文の国是の下に、封建制度を改め、その一環として封建領主が所有する領民と領地を天皇陛下に返す改革が行われました。まず版籍奉還が行われ、続いて廃藩置県が断行されました。ほとんど無血・流血のない改革が、わずか一日で実現しました。これらは世界に類をみないものでした。明治新政府の課題は、一日も早く近代国家を建設にして、欧米列強に支配されないようにすることでした。それを成し遂げる資金を調達するには、各藩の徴税権を中央政府に集約するしかならず、廃藩置県によって、近代的な租税制度が確立されたのです。

大胆な政策は、政府が国民の信用を確保し得てこそ、実行が可能となります。国民の信用を得るには、政府が国民に大方針を示す必要があります。国家の根本理念や目標像、それを実現するための計画を明確に打ち出し、国民の精神を統合することなくして、こうした大胆な政策は断行できなかったといえます。

「五箇条の御誓文」、先人の心には、長い歴史の中で受け継がれてきた日本人の精神があり、肇国以来国民統合のシンボルでもある天皇陛下への尊皇の志があります。その伝統的な精神を、明治維新の際の先例を通じて学び、今日の日本において復興させること。それが、日本の危機を打開することにつながると私は思うのでが、どうも現世の政治には根本となるものが欠けています。
 
ちなみに非核三原則は、日本の国是と言われています。
しかし、非核三原則が国是といえるでしょうか?
『五箇条の御誓文』こそ日本の国是と言えるのではないでしょうか?
 

転載元: 美し国(うましくに)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>