人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。
「蛍の光」を学校で正しく理解させて歌わせるだけで領土の対する意識が変わります。なぜでしょう?・・・
今、「蛍の光」は卒業式で在校生が卒業生を送り出す歌です。そして、卒業生は「仰げば尊し」を歌って去っていく・・。これが卒業式の姿ですが、今ではこれさえしなくなった学校が多いようです。
しかし、この唱歌「蛍の光」は、元々は卒業生を送り出す歌ではなく、我が国の領土防衛の歌であったのです。
明治14年、我が国の北と南の守りの国境が画定してから作られたのが唱歌「蛍の光」です。祖国防衛の任務のため、国境に赴く夫を妻が送る別れの歌なのです。
「蛍の光」の歌詞は四番までありますが、戦後、「国を守ることなど教える必要がない」、「侵略して領土拡大した日本の歌詞などもってのほかである」と言って「蛍の光」の三番と四番が消されてしまいました。
しかし、「蛍の光」は三番と四番を歌って初めてこの歌の意味するところが理解できるのです。それを理解させない、消してしまうのが戦後教育なのです。
国を愛し、国を護ることを避けてきたところに我が国の問題があり、それが日本人の多くが領土問題への無関心とつながって、今頃、領土で大きな問題となっているのです。
蛍の光、窓の雪、ふみ読む月日、重ねつつ、いつしか年も、すぎの戸を、開けてぞ今朝は、別れ行く
止まるも行くも、限りとて、かたみに思う、ちよろづの、心のはしを、一言に、さきくとばかり、歌うなり。
筑紫の極み、陸の奥、海山遠く、隔つとも、その真心は、隔てなく、ひとつに尽くせ、国のため。
千島の奥も、沖縄も、八州(やしま)の内の、守りなり、いたらん国に、勲しく、努めよ我が背、つつがなく。
一番は、明けて今朝、国を護るために夫は別れていくと歌っているのです。
二番は、故郷にとどまる妻も、国境の護りに旅立つ夫も、今日を限りとして別れていく。だからかたみも心の端に、どうぞご無事でと一心に歌うのです。
三番は、ここからが具体的な領土防衛の歌詞です。筑紫の果ても、陸奥の果ても、祖国防衛のために赴く夫とは海や山も遠くに隔てるが、真心は隔てることなく、どうぞお国のために尽くして下さい、と妻が歌うものです。
四番は、明治になってからの領土である千島も沖縄も八州(日本)の内の守りであり、どうぞこれから向かうところで功を立て、ご無事で任務を全うして下さい、と妻が祈っているのです。
ここでいう明治になってからの領土とは、1875年の千島樺太交換条約により日本は千島列島、ロシアは樺太であるという条約を交わしたことによります。
1894年、日清戦争が起き、その最中に閣議決定して尖閣諸島を日本の領土に編入しました。清国も尖閣を日本領としていました。1970年以前のシナの地図は尖閣を日本領と明記しています。しかし今、シナ共産党はそれを隠すために古い地図を買い漁り、「そんな事実はない。日本が日清戦争の時に奪った」と言うのです。
1895年、下関条約により台湾や澎湖島が我が国となりました。
これにより「蛍の光」の四番は、
「千島の奥も台湾も、八州の内の守りなり」と変更するのです。
1904年、日露戦争が起き、その最中に閣議決定して竹島を島根県に編入しました。
これは国際法の「無主地先占」の法理に基づいて合法的に編入したのです。
1905年、日露戦争に勝利した日本はポーツマス条約でロシアから南樺太を譲り受けます。これにより「蛍の光」の四番は、
「台湾の果ても樺太も、八州の内の守りなり」となるのです。
明治時代に領土が拡大することで三度とも歌詞が変わった「蛍の光」。
「蛍の光」がどのような歌か理解するところであります。
だからこそ、その時の背景を含めて学校できちんと教えるべきなのです。
・・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。
正しいことを教えず、正しくないことを教える教育はおかしい、
と思った方はずはここをポチッとお願いします。