←忘れずに、最初にクリックをお願いします。
良識ある日本国民の皆様には、「対馬の仏像盗難事件」で仏像は自分の寺から日本が略奪したと主張する韓国の僧侶らが来日したことはご存知だと考えます。
長崎仏像盗難 韓国の寺の僧侶らが来日http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20130314-00000050-nnn-soci
長崎・対馬市の観音寺から盗まれ、韓国で見つかった「観世音菩薩坐像」をめぐって対立が続く中、14日、仏像は数百年前に自分たちの寺から日本が略奪したと主張する韓国・浮石寺の僧侶らが来日した。
僧侶らは、仏像は返せないが、感謝の気持ちをこめて贈り物を持ってきたという。贈り物とは、小さな仏像と浮石寺のマスコット。マスコットは、浮石寺で一体1万ウォン(約870円)で販売しているものだという。僧侶らまた、「仏像を失った喪失感や痛みがわかる」と、いたわりをつづった手紙なども持参した。
僧侶らは14日正午頃、観音寺に到着したが、観音寺はもともと無人の寺のため、誰とも面会できなかった。
観世音菩薩坐像は、1330年、高麗時代の朝鮮半島で作られたとみられ、長崎県の有形文化財にも指定されている。
浮石寺の僧侶らは14日午後に開いた会見で、「私たちは、仏像を『本来の場所』でまつりたいと思っている」と話し、改めて浮石寺に仏像を安置したいと主張した。
一方、対馬市側は、略奪ではなく、交易などの中でもたらされたのではないかと正当性を主張している。
対馬市教育委員会文化財課・村瀬達郎主事は「当時、朝鮮半島では儒教を国の宗教としていたので。仏教が弾圧された。対馬の信仰心のあつい人たちが、保護するためにもらったりとか買ったりした可能性はある」
また、菅官房長官が14日に「日本に返却するよう、外交ルート通じて韓国政府に対してすでに要請していますから、そこは全く変わることはない」と述べるなど、日本政府も、速やかに返還されるよう、引き続き働きかけていく考えを示している。
日本テレビ系(NNN) 3月14日
>長崎・対馬市の観音寺から盗まれ、韓国で見つかった「観世音菩薩坐像」をめぐって対立が続く中、14日、仏像は数百年前に自分たちの寺から日本が略奪したと主張する韓国・浮石寺の僧侶らが来日した
浮石寺の僧侶らは「観世音菩薩坐像」を持参せず、アポなしで観音寺に押しかけてきました。
14日、対馬の観音寺で誰とも面会できなかった浮石寺の僧侶
「観世音菩薩坐像」をめぐって対立が続いているのは、韓国が国際法を遵守しない国家だからです。
日本と韓国は、「文化財不法輸出入禁止条約」の締結国です。
韓国政府には、「文化財不法輸出入禁止条約」を遵守する義務があり、国際法上、韓国政府は「観世音菩薩坐像」を日本に返還する義務があります。
①他の締約国の博物館等から盗取された文化財(所蔵品目録に属することが証明されたものに限る)の輸入を禁止する。
②原産国である締約国の要請により,①の文化財の回復及び返還について適当な措置をとる。ただし,善意の購入者に対して適正な補償金が支払われることを条件とする。
2012年10月の「対馬の仏像盗難事件」で、観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」について、韓国の浮石寺はメチャクチャな主張をし、韓国の地裁も認めています。
韓国の浮石寺の関係者らは、「韓国の浮石寺にあった仏像を日本の倭寇がドサクサ紛れに略奪した」などと主張しています。
浮石寺は、仏像を保管している韓国政府による移転禁止を求める仮処分申請を韓国の地裁に請求しました。
韓国の地裁は2月26日、観音寺が仏像を正当に取得したことが証明されるまで、韓国政府は日本側に返還してはならないとする仮処分決定を下しました。
● 関連記事
韓国の窃盗団による仏像の盗難騒動が、思わぬ展開を見せている。韓国の僧侶の発した一言に、日本の関係者は怒り心頭となっている。
2月、檀家(だんか)は
2月、檀家(だんか)は
「自分たちの...、600年拝んできたご先祖様が盗まれた」と話していた。
この盗難騒動は、長崎県の重要文化財に指定されている、対馬市の観音寺の「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」が、2012年、韓国人の窃盗団に盗まれたもの。
さらに
この盗難騒動は、長崎県の重要文化財に指定されている、対馬市の観音寺の「観世音菩薩坐像(かんぜおんぼさつざぞう)」が、2012年、韓国人の窃盗団に盗まれたもの。
さらに
韓国の裁判所が、今後行われるとみられる民事裁判で判決が確定するまで
日本に仏像を返還できないという趣旨の仮処分を出し、仏像は現在、韓国側が保管しているという。
そうした中
そうした中
韓国・瑞山(ソサン)市にある浮石(プソク)寺。
周辺住民らは集会を開き、
周辺住民らは集会を開き、
「(われわれの寺に)安置しろ! 安置しろ! 安置しろ!」と声を上げた。
日本側が、「仏像は、朝鮮半島の文化を伝えるために対馬に持ち込まれた」と主張しているのに対し、浮石寺の関係者らは
「西暦1370年ごろに日本に略奪された」と主張している。
日韓の主張が対立し、仏像が戻る見通しが立たない中、韓国側の僧侶のある発言が波紋を広げている。
日韓の主張が対立し、仏像が戻る見通しが立たない中、韓国側の僧侶のある発言が波紋を広げている。
韓国・浮石寺の僧侶は「わたしたちが(対馬に)行って、今回の仏像問題を解決できればと思います」と話した。
仏像を返すのではなく、この僧侶自身が対馬へ向かうという。
どのような意図があるのか、FNNは、あらためてこの僧侶を直撃した。
韓国・浮石寺の僧侶は、
仏像を返すのではなく、この僧侶自身が対馬へ向かうという。
どのような意図があるのか、FNNは、あらためてこの僧侶を直撃した。
韓国・浮石寺の僧侶は、
「時期的なものを突き詰めれば、日本が盗んだことが先です」と話し、
「仏像の所有権は自分たちにある」と主張した。
また、対馬に行く理由については
また、対馬に行く理由については
「仏像をなくしたことが、どれくらい大きな痛みか、よくわかります。
今回は、傷ついたその方に慰労の言葉や手紙を差し上げて
われわれの寺を象徴するマスコットや小さな仏像も、贈り物として持っていきます」と話した。
韓国・浮石寺の僧侶は、別の小さな仏像と、寺を象徴するマスコットを持っていくという。
浮石寺に問い合わせしたところ、寺の象徴であるマスコットの写真が送られてきた。
浮石寺に問い合わせしたところ、寺の象徴であるマスコットの写真が送られてきた。
マスコットは、非常にカラフルで、はっきりとした顔立ちとなっている。
14日に対馬に入る韓国の関係者は、観音寺から盗まれた仏像を返すわけでもなく、親書とともに代わりの仏像を持ってくるということで、寺の関係者は困惑している。
前住職は
14日に対馬に入る韓国の関係者は、観音寺から盗まれた仏像を返すわけでもなく、親書とともに代わりの仏像を持ってくるということで、寺の関係者は困惑している。
前住職は
「丁重ににらみつけて、『1歩たりとも入ることは許さん』と言いたい。
対日本の問題に仏像をすり替えてしまった。政治問題化してしまった」と話した。
また、対馬市教育委員会は
また、対馬市教育委員会は
「代わりの仏像を持ってくると聞いたので、それは向こうの既成事実をつくるだけでは」と話した。
>僧侶らは、仏像は返せないが、感謝の気持ちをこめて贈り物を持ってきたという。贈り物とは、小さな仏像と浮石寺のマスコット。マスコットは、浮石寺で一体1万ウォン(約870円)で販売している
なにが感謝の気持ちをこめた贈り物だ!
浮石寺のマスコットについて、ネットの掲示板では「あんなゴミが870円もするのか」「日本を馬鹿にするな」など批判の声があがっています。
持参した小さな仏像というのも、約20年前に作ったコピーです。
浮石寺はこれらゴミの贈り物で、観音寺と和解して「観世音菩薩坐像」を取得しようと企んだだけです。
>対馬市教育委員会文化財課・村瀬達郎主事は「当時、朝鮮半島では儒教を国の宗教としていたので。仏教が弾圧された。対馬の信仰心のあつい人たちが、保護するためにもらったりとか買ったりした可能性はある」
対馬市側が主張しているのが真実であり、李氏朝鮮は仏教を大弾圧していたのです。
豊臣秀吉軍が朝鮮に渡った際、朝鮮に1万以上あったといわれる寺院は、わずか36ヵ寺にまで減らされていたのです。
コリアでは、骨董屋を覗くと首のない仏像が売られていることが多い。李朝の斥仏政策のもとで、仏像の首が切り落とされたからである。それに今日でも韓国では、平地に仏教の寺がない。寺をたずねようとしたら、山を奥深く分け入ってゆかねばならない。
李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。仏教は目の敵とされた。
李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年~18年)の治世になると、仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。
その後も、仏教への弾圧と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。四代目の国王の世宗(在位1418年~50年)は、全宗派を禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。
儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。九代目の成宗(在位1469年~94年)は、出家することを全面的に禁じた。
李朝時代は、そのまま仏教を苛めた歴史であるといってよい。十一代目の中宗(在位1506年~44年)は、全国にわたって仏像を没収して、溶かしたうえで武器に鋳造した。また僧侶を土木工事に使うようになった。僧侶は使役されるとき以外は、漢城(ソウル)に出入りを禁じられるようになった。仏教は、山のなかに逃げ込んで細々と命脈を保った。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられた。
李朝では代を重ねるごとに、儒教による仏教に対する締めつけが、いっそう強められるようになった。儒教という怪物が時とともに大きく成長してゆき、儒教唯一絶対主義といわれる体制が固まっていった。仏教は目の敵とされた。
李朝三代目の国王となった太宗(在位1400年~18年)の治世になると、仏教にさらに苛酷な弾圧が加えられた。高麗朝が倒れたときには、全国に1万以上も寺があったというのに、寺の数を242にまで減らし、寺が所有していた土地や、奴婢(ノビ)と呼ばれた奴隷を没収した。
その後も、仏教への弾圧と繰り出された。仏教はよろめき続け、ついにマットに沈んだ。四代目の国王の世宗(在位1418年~50年)は、全宗派を禅教2宗に統合して、それぞれわずか18寺院だけを残して、他の寺を廃した。世宗はハングルを創製した名君であったのに、仏教には好意をいだいていなかった。
儒教は、個人が自らを磨くことによって完成することを目指したので、宗教を軽蔑した。仏教の輪廻の教えは、根拠がなく、天国や地獄は、人々の利己心や恐怖心から生まれた空想の産物であるとみなした。九代目の成宗(在位1469年~94年)は、出家することを全面的に禁じた。
李朝時代は、そのまま仏教を苛めた歴史であるといってよい。十一代目の中宗(在位1506年~44年)は、全国にわたって仏像を没収して、溶かしたうえで武器に鋳造した。また僧侶を土木工事に使うようになった。僧侶は使役されるとき以外は、漢城(ソウル)に出入りを禁じられるようになった。仏教は、山のなかに逃げ込んで細々と命脈を保った。僧侶は、奴婢と同じ賤民の範疇に組み入れられた。
このような李氏朝鮮で、「観世音菩薩坐像」が対馬に渡らずに、朝鮮に残っていたままなら「観世音菩薩坐像」は破壊されていたのです。
実際に、李氏朝鮮による仏教弾圧を逃れて、朝鮮から対馬など日本に渡った仏像や経典があります。
対馬の信仰心のあつい人たちが、仏像を保護するために、朝鮮から観音寺に「観世音菩薩坐像」をもらったり、朝鮮から買ったりした可能性が高いのです。
事実として、対馬など日本にはこのようにして渡ってきた仏像や経典が多数現存しています。
事実として、対馬など日本にはこのようにして渡ってきた仏像や経典が多数現存しています。
韓国が日本の重要文化財などを盗んだのは、「観世音菩薩坐像」だけではありません。
韓国が日本からの盗品を国宝に指定するなど、日本の返還要求に応じていないものが沢山あります。
● 関連記事
>菅官房長官が14日に「日本に返却するよう、外交ルート通じて韓国政府に対してすでに要請しています
岸田外相は、韓国の新外相との電話会談で「韓国政府は国際法を遵守し仏像を返還しろ!」と言わない(――;)
韓日外相が電話会談 「正しい歴史認識」強調http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130314-00000045-yonh-kr
【ソウル聯合ニュース】韓国外交通商部の尹炳世(ユン・ビョンセ)長官は14日、就任後初めて岸田文雄外相と電話会談を行い、「日本は正しい歴史認識に基づき、過去の歴史問題を扱うべきだ」と述べた上で、両国関係が安定的に発展するよう努力する考えを示した。尹長官は11日に就任した。
3月14日聯合ニュース 抜粋
韓国は竹島と同じで、日本から盗んだ仏像の歴史を捏造して韓国のものだと主張しているだけであり、日本政府は「観世音菩薩坐像」を取り戻すべきです。
良識ある日本国民の皆様、韓国についてご考慮下さい。
ふざけるな泥棒韓国!
と思われた方は、↓クリックをお願いします。↓