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[転載]「 独立門 」 と 「 東海 」

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http://img2.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/2d/3e/zodiacfumiya/folder/320686/img_320686_21985307_0?20111208211654




朝鮮半島の国家は歴史的に 「 つらい 」 国であった。

日本のように海に囲まれておらず、中国と陸続きであるから、何かと中国が戦争を仕掛けてくる。



七世紀高句麗や百済は唐に抵抗したが、

新羅の金春秋(武烈王)は結局唐の臣下(新羅国王)となってライバルを滅し半島を統一する道を選んだ。



これ以後、半島の国家は新羅であれ高麗であれ朝鮮であれ、

全て 「 国王 」 すなわち中国皇帝の臣下であった。

それが歴史上のまぎれもない事実だ。



だからこそ、日本が清との日清戦争に勝って、下関条約で中国に初めて 「 朝鮮国の独立 」 を認めさせた時、

これで長年にわたる屈辱から解放されたと喜んだ朝鮮人たちは、欣喜雀躍して独立門を建てた。



これが現在も大韓民国ソウル特別市にある独立門だ。

つまりこれは 「 中国からの独立 」 を記念して建てられたものであり、

朝鮮人もそれを明確に意識していたということなのだ。



現在ある場所に建てられたのも理由がある。

ここは、迎恩門といい、朝鮮歴代の王が中国皇帝の使者を迎えるにあたって、

土下座以上の屈辱的な三跪九叩頭の礼をさせられていた場所なのである。



骨の髄まで中国文化(儒教文化)に染まっていた朝鮮は、

漢民族の国家である明が滅ぼされ、遊牧民族が清を建てた時、

「 野蛮人には従えない 」 と明に義理立てした。

怒った清は朝鮮に「征伐軍」を送り、朝鮮の仁祖王を追い詰め、

「 土下座(正確には三跪九叩頭の礼) 」 をさせて服属させた。

これは 「 神話 」 ではない、事実である。



しかも、清国皇帝は、

「 お前たち朝鮮人を滅ぼさないで済ませてやったのだぞ、恩義と思え 」 と強制し、

歴代国王に三跪九叩頭の礼を強制した。

その場所が 「 迎恩門 」 なのである。



ところが、韓国の若い世代はこのことを知らない。

「 有史以来、朝鮮半島の国は独立国家であった 」 などというデタラメが学校で教えられているからだ。

独立門前で 「 この独立って、どこの国からの独立? 」 と質問すると、

多くの若者はそんなことも知らないのかと憤慨しつつ 「 日本からに決まっているだろう 」 と答える。



しかし、そこで、

「 でも、説明板を見てごらん。この独立門が建てられたのは1897年だ。

  韓国併合は1910年だし、光復(独立)は1945年だろう。それ以前の話なんだよ 」

と言うと、彼らは絶句し思考停止してしまう。



先程 「 つらい国 」 という言葉を使った。

侵略を受けながらそれを 「 恩 」 と呼び、

その 「 恩 」 をもたらした野蛮な国の皇帝に、

代変わりのたびにすべての朝鮮国王は 「 土下座 」 しなければならなかったのだから。



当然、侵略は 「 政治 」 だけではなく 「 文化 」 の面にも及ぶ。



たとえば、唐軍を何度も撃退した高句麗の淵蓋蘇文(えんがいそぶん)は、

日本の史料には 「 いりかすみ(伊梨桐須彌) 」 と記されている。



当時の発音ではそうなるらしい。



日本語と韓国語は同じ系統の言葉だが、中国語とは音韻も文法もまったく違う。

だから、新羅が中国一辺倒路線を取るまでは 「 金○○ 」 のような中国式名ではなく、

民族のオリジナルの名前があったはず、ところがこれは今一切消えている。



つまり、中国式に 「 創氏改名 」 を国民に強制したということだろう。



だからこそ、名君世宗が「ハングル」を作ろうとした時、臣下たちは、

「 漢字(中国文字)こそ文字であり、民族固有の文字など有り得ない 」 と大反対したのである。

それを押し切った世宗も、

「 これは文字ではない(中国文化に対する反逆ではない)、

 訓民正音(愚かな民に発音を教える記号)に過ぎない。 」

と言わざるを得なかった。



ハングルは当初から 「 ハングル(偉大な文字)」 であったわけでは決してない。

むしろ文字であることを拒否されたのだ。

それも、言ってみれば 「 中国の文化侵略 」 であろう。

「 骨の髄まで 」 とはそういう意味だ。



それがわかっていないと、迎恩門破壊がどれほど嬉しいことであったか、当時の人々の気分はわからない。

その中には当然、日本に感謝し、日本に頼ってこそ韓国の未来は開かれると思った人々もいた。

もっとも、日本がその期待に完全に応えられた、とは到底言えないだろうが。



しかし、日本が韓国になした功もある。

それは中国のもたらした儒教体制の破壊である。

身分制度、西洋の優れた技術や制度に対する嫌悪、頑固な保守主義

――いわゆる韓流ドラマはこのあたりをゴマカシているが、朝鮮王朝が続いていたら一体どうなっていたか?



朴正熙大統領は自著 「 韓民族の進むべき道 」 で言っている。

「 四色闘争、事大主義、両班の安易な無事主義な生活態度によって後世の子孫まで悪影響を及ぼした、

  民族的犯罪史である 」 と。



儒教体制は 「 祖法(先祖の定めた法)」 を変えるのは第一の悪徳である。

すなわち儒教体制がある限り、近代化はまったく不可能だ。

それを破壊したのは日本である。

だからこそ 「 訓民正音 」 は 「 ハングル 」 になれた。



一方、「 独立は絶対に正しい 」 としてしまえば、

その独立を妨げた日本は 「 徹底的な悪 」 にしなければならない。

その憎悪で国を団結させるというのは政治的な手段であって、歴史の真実とは別のものだ。

そして、真実とかけはなれたところで歴史を利用することは亡国への道である。



「 日本海 」 は日本が領土的野心で言い出した呼称ではなく外国人がそう呼んだ。

自然の成り行きである。

どうしても気に入らないから 「 東韓国海 」 にしたいというなら話はまだわかる。

しかし 「 東海(トンヘ)」 とは何事か? 韓国はいつから世界の中心になったのか? 

それならいっそのこと、南シナ海も 「 南海 」 とすべきだと中国に抗議したらどうか。



また、かつて中国スタンダードに反する 「 オリジナル 」 の許されなかった 「 つらさ 」 はわかるが、

だからといってなんでもかんでも韓国が発祥という 「 ウリジナル 」 は行き過ぎだろう。

尊大で傲慢な国になることは亡国への道だということ、繰り返すがこれが歴史の教訓なのである。




週刊ポスト/12月16日号 22~25ページ 逆説の朝鮮王朝史 井沢元彦


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転載元: 昭和の残党


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