アフターブ・セット氏
象は痩せても象である―インドから見た巨象・日本の底力の著者、アフターブ・セット氏は、元駐日インド大使、慶應義塾大学グローバルセキュリテイ研究所教授。
ビハール州パトナ出身、デリー大学へと入学し在籍時に交換留学プログラムにより1年間慶應義塾大学にて日本語と日本史を学んでいる。1964年にデリー大学を首席で卒業し、1967年にはオックスフォード大学の修士課程を終了。
1968年インドの外務省に入省し、外務省本庁の報道官を経てギリシャ、ベトナム、日本、ミクロネシア連邦など、特命全権大使をつとめた親日家。日本を象にたとえ、「象が痩せるとしたら、どれほど痩せられるだろうか」と問いかけ、低迷するわが国に激励の言葉を送ってくれています。
インドは歴史的・文化的な経緯から、異質のものを排除しないという伝統があります。いたずらに闘争に走るのではなく、相手に対する忍耐と寛容の念で接することを旨としています。有名なマハトマ・ガンジーの無抵抗・不服従による独立運動もこのような伝統的な思考に根ざすものであると考えてよいでしょう。
第2次世界大戦の極東軍事裁判で、唯一わが国の立場を理解したのはインドのパール判事でした。また戦後の荒廃した上野動物園に像のインディラを贈ってくれたのはネール首相でした。
わが国は往古の昔より、「和の国」です。
氏は日本人について次のように述べています。
「集団主義の社会に、突出する個人主義を受け容れるという矛盾も、日本人の精神構造特有のものなのです。やはり、相反することを最終的にはうまくまとめてしまう能力こそが、日本人の持つ特質であると言うことができるのではないでしょうか。 日本人の「可能性」について考える時、初めに脳裏に浮かぶのは、独特のこうした能力なのです。「矛盾」を「管理」する能力があったからこそ、日本は内なる強さを持ちえたのです」
また、「日本人の能力とは、まず「相反する二つの要素を、最終的にはうまく融合させてしまう」というところにあると思います。たとえば、どれだけ美しいかを求める「耽美主義」と高い工業技術を、同時に具現化する術を心得ています」と・・・
また精神伝統について次のように考察しています。
「キリスト教的教義においては、人間が自然を支配し、管理するという構図がごく当たり前のこととして述べられています。川をせき止めるためにダムを造り、波の侵入を防ぐために堤防を築き、木々を切り倒して人間の生活空間を広げ、人間の目から見て有害な野生動物は殺戮します。 しかし、インドや日本では、蛇でさえ聖獣として扱われているのです。京都の三十三間堂には、蛇を体に巻き付けた難蛇龍王というご神体が奉納されていますよね。蛇は崇められこそすれ、決して恐れられている生物ではないことがよく分かります。このことは、日本人の大切な資質の一つであり、現代の環境破壊にも適用されるべきものだと思います」
わが国には、「古川に水絶えず」ということわざがあります。
大意は、古川に水絶えずとは、旧家は衰えてもたやすくはつぶれない。また、基盤がしっかりしているものは、衰えてきてもたやすく滅びないことを例えたものです。
日本人はよく「頑張って」と、口癖のようなものとして日常のように使います
底力とは潜在能力のことを言います、それは霊魂(みたま)の力のことを言うのです。多くの成功者はこの霊魂の力に目覚め、発揮した人々なのです。限界は常に心が決定しますが、霊魂の世界は無限であり完全であり永遠です。日本人は皆、それを直感し信じています。だからいつも「頑張って」「頑張ろう」なのです。
底力を発揮すると言う意味になります。「頑張れ日本」も「頑張ろう日本」も実にそのような意味となります。それでは日本の底力とは何か。それは日本の「魂」の力のことです。人と人との繋がり、絆、あるいは「物づくり」「おもてなし」の心も全て「底力」です。
日本の文化や精神的世界、高き知性、品性、エネルギーも日本的霊性(魂)が顕(あら)しめているのです。日本の底力を発揮するためには、日本の源流にしっかりと目覚め、繋がらなければなりません。明治維新が十年で成功したのは国民、上から下まで皆、尊皇の精神に目覚めたからです。まさに「底力」だったのです。
アフターブ・セット氏はわが国を立ち直らせるのは「自信」と「伝統の力」だと言います。
高度成長を支えた「忠誠心」、「自己犠牲」、「勤勉さ」は失われておらず、日本は「相談」の社会だ。ひとたび話がまとまれば、驚異的速度で回復する。今は「相談」の最中なのだと・・・
日本は過去、知恵と技術によって、明治維新と第二次大戦の二度の危機を乗り越えている。今回の危機も克服できぬわけがないと・・・・
インドは現在大国と言えましょう・・・
しかし、インドから見てもわが国は衰えたとはいえ、巨象なのです。
日本人は自信を持ってよいのです。