
朝鮮人社会は差別の社会。

明治43年(1910年)の日韓併合前の朝鮮は国王を権力の頂点として、王族、両班、中人、常民、賤民の順の階級差別社会であり、賤民は更に奴婢、俳優、医者、巫女、白丁などに分かれていました。両班がいわゆる貴族のようなもので、国王の名をかりて暴政をしいていました。常民はいわゆる平民ですが、租税、労役、兵役、貢物の義務を負い、職業選択の自由はありませんでした。
差別は階級だけでなく地域差別もあり、流刑の地であった東北、西北地方は差別されており、両班はその地方の民との婚姻の禁止はもちろん付き合うことさえ避けていました。ですので現在の南北分断は有史以来抱えている差別が解決されているという見方もあるようです。
朝鮮民族は現在の北朝鮮と韓国に存在するだけでなく、旧満州にも多く存在しており、中華人民共和国の少数民族となっています。吉林省の東部の延辺(えんぺん)には朝鮮族の自治州という区域もあり、総人口の40%、80万人近くの朝鮮人が居ます。ここには北朝鮮の脱北者も多くいると言われています。
ここの朝鮮族はやけに親日と言われています。日本語教育が盛んで日本人が旅行しても不自由なく、極めて旅行しやすいというのです。
時事問題、国際問題を漫画で描いていく製作集団「曙機関」のレポートによると現地の大学の老教授は「国民党のやり方に比べれば満州国時代の日本の統治ははるかにマシだった」「共産党の政治は国民党よりも腐りきっている」と語ったといいます。
8月15日は敬老の日で人民公園に集まることを「サンポ」と呼び、持参する料理は「ベントウ」と呼んでいるそうです。日本人だとわかると日本の歌を歌ってくれと言われ、曙機関の人が流行歌を知らなかったため軍歌を歌いました。
「勝ってくるぞと勇ましくー」
すると周りにいた老人たちの表情に衝撃が走り、みんないっせいに「誓って国をでたからわー」と大合唱になり、続いて「露営の歌」「歩兵の本領」「愛国行進曲」と次々に歌うと老人たちがどんどん集まり、公園の一角は日本軍歌の大合唱になったといいます。前出の老教授によると「彼らにとって、正規の音楽教育を受けたのは、おそらく日本の統治時代だけのことだったのでしょう。それだけに、子供の頃の楽しい思い出だったのでしょうね」とのことでした。
1992年中韓国交樹立以来、この地に韓国人の投資家やビジネスマンが現われるようになります。同じ民族だからです。しかし地域差別意識の強い韓国人は中共朝鮮族を差別していました。地元の方言をあざ笑い、工場の労働者が怠けていると殴ったそうです。中共朝鮮族は韓国に出稼ぎに行きますが、賃金の不払いなどは当たり前、狭い寮に押し込められてパスポートまで取り上げられる生活で少しでも不満を漏らせば殴るけるの乱暴を受けることもあったといいます。これらのことは延辺のニュースでも度々取り上げられ、中共朝鮮族は憤慨しました。
「韓国の奴等め、口を開けば『経済力がある、経済力がある』って自慢するが、日本ほど経済力がある訳でもないじゃないか。それをなんだってあんな偉そうに!!」
と自然に日本社会への郷愁が高まったといいます。
参考文献
扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
オークラ出版「世界に愛された日本」『中朝国境・朝鮮族の地を歩く』曙機関
参考サイト
WikiPedia「李氏朝鮮」「延辺朝鮮族自治州」
中国朝鮮族の対日観(曙機関) http://akebono.iza.ne.jp/blog/entry/979704/
添付画像
建設中の水豊ダム 鴨緑江(国境)にあるダム(PD)