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橿原神宮と畝傍山
2月11日は神武天皇の御即位の日であります。
大和(奈良)に拠点を定められた神武天皇は畝傍山(うねびやま)のふもと橿原の地に宮殿を造り、初めて天皇の御位に即(つ)かれました。
神武天皇は御即位に先立ち、
「つつしみて、宝位(たかみくら)に臨み、おおみたから(国民)を鎮むべし。・・・然る後、六合(くにのうち)を兼ねて都を開き、八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と為さんこと、またよからずや」
と、八紘一宇を建国の理想を宣言されました。
明治6年、この日を「紀元節」と定め、国民みんなで「建国を偲び、国を愛する心を養う」祝日とされました。
GHQ占領下の昭和23年7月、「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が成立し、衆議院も参議院も祝日案を10日としてつくりました。
しかし、その中でGHQが絶対にダメだと言って認めずに排除した日がありました。
それが2月11日の「紀元節」でした。
当時の多くの国民は「紀元節」を残して欲しいと願いました。
そのため衆議院も参議院も何とか残そうとGHQに名前を変えて「建国の日」とか「国始の日」という案を提出しましたが、強硬に反対され、この日だけは絶対に認められませんでした。そのため、「紀元節」を除く9日が「国民の祝日」に定められたのです。
GHQとしては「紀元節」を認めると天皇陛下を中心とした日本人の団結力が強まり、ふたたびアメリカの脅威となると感じていたのです。
それほど日本の強さを思い知らされ、日本に対しての恐怖があったのです。
その後、講和条約前後から全国の有志の地道な努力で紀元節復活の運動が盛り上がり、明治100年を目前にした昭和41年に「建国記念の日」として復活させました。
先輩諸氏のお陰で2月11日の祝日は残すことができました。
しかし、「建国記念日」としながらも、GHQの思惑通り、神武天皇の建国の理想「八紘一宇」は消え、国を愛することを知らない、行き過ぎた個人主義が跋扈してしまいました。
今の日本では「紀元節」とは言いませんが、心ある国民、目覚めた国民の方々は、
2月11日は神武天皇が示された我が国の建国の理想であった「八紘一宇」と、明治
の先達が「国を愛する心を養う」と定めた紀元節の日をしっかりと受け継いでいきましょう。
神武天皇畝傍山東北御陵御祝詞
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