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[転載]靖国参拝へ安倍内閣閣僚参拝自粛せず 

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靖国神社
 
 
靖国、閣僚参拝自粛せず 「自由意思で判断」と安倍首相
 
安倍晋三首相は7日の衆院予算委員会で、閣僚の靖国神社参拝について「内閣として全員が参拝しろとか、してはいけないと申し上げるつもりはまったくない。各閣僚の自由意思で行われることだ」と述べ、安倍内閣として一律に自粛する考えはないとの方針を示した。日本維新の会の山田宏氏に対する答弁。
 山田氏は保守系の閣僚に参拝の意思があるかを質問。稲田朋美行政改革担当相、古屋圭司拉致問題担当相と新藤義孝総務相の3人は、いずれも「内閣の方針に基づき適切に判断したい」などと答えた。
 
 
(2013.2.8 産経ニュース)
 
 


 
筆者としては、全閣僚による参拝を期待したい。
多くの国民は待っているのです。
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、今世間を騒がせている国会の諸問題よりも、日本という国の根幹にかかわる問題です。それほど大事なことなのです。
日本人は自分の国をどういう国でありたいと考えるのか?自主独立の国でありたいと考えるか否か?自ら自分の国を守ろうとする意思を持つか否か?世界最古にして、世界最長の国であり、常に国民と苦楽を共有される万世一系の畏くも天皇陛下を仰ぎ、一国一文明、独自の文化と歴史を持つ国として、その文化と歴史を継承・発展させていこうとするか否か?  単なる個人の寄せ集めではなく、一つの共同体としてまとまった国であろうとするか否か? 先祖と自分たち、そして将来を担う子孫との間に、生命と愛情の「絆」のある国であろうとするか否か? これらの問いに深く関係する問題なのです。
独立自尊の精神を持ち、国家主権を堅持しようとする国民は、自ら国を守ろうという意思を持つでしょう。他国への依存や隷従をよしとしない国民は、そのために努力を惜しまず、自国の文化や伝統を大切にし、それを継承・発展させようと考える国民は、先祖や先人に対し、感謝と尊敬を抱くでしょう。自分達の子供や孫、さらに将来それに続く子供達への責任と愛情を持つ国民は、先祖や先人への愛情を持つだろう。そういう意思を持つ国民は、過去の歴史において自国を守るために命を捧げた人々に感謝と尊敬を禁じえないでしょう。そして、国を挙げて、心から戦没者の慰霊を行うでしょう。

逆に独立自尊の精神を失い、自ら国を守ろうという意思を持たない国民は、過去の世代の貢献に対して鈍感となり、戦没者の慰霊に無関心となろ、それによってますます独立心を失い、国家主権を保とうとする意志の弱い国となるでしょう。祖国の文化を粗末にし、歴史を忘れ、単に自分達の世代の快楽や繁栄をのみ追い求める国民は、先祖や先人に恩義を感じることがなくなるだろう。こういう国は、諸外国の圧力によって、平時からじわじわと溶解、退化していきます。一旦、戦いとなれば、侵略者に対してあっけなく敗れ、占領・支配され、下手をすると亡国にいたる。それが現在の日本という国の姿ではないでしょうか?。

過去において我々の先祖や先人が国のために命を捧げたということは、自分の命を犠牲にしてまでも、国を護ろうされたのです。自分の家族やその時代の国民のためだけではない。これから生まれてくる子孫や、将来の祖国・国民のためでもあったのです。しかし、戦後のわが国では自分を犠牲にして国のために尽くした人々の行為が正当に評価されず、名誉も与えらず、だとすれば、今後、国民が窮地にぶつかった時、評価されることもなく、誇りも名誉もない死とわかっていながら、誰が貴い生命を賭けて国を護ろうとするでしょうか? そして、自分が命を賭けてでも守る値があると感じるのでなければ、この国の文化や精神を本気で守ろうとする人はどれほどいるでしょうか?。
 
しかし、同じ連立与党を為す、公明党の山口那津男代表は7日、東京・有楽町の日本外国特派員協会で講演し、安倍晋三首相の靖国神社への参拝について、「第1次安倍政権では熟慮し、問題を起こさないよう努力した。(今回も)賢明に判断するだろう」と述べた。日中関係などに配慮し、終戦の日の8月15日の参拝見送りに期待感を示しましたが、連立与党の代表にあるまじき「愚論」であり、筆者から言わせれば、このような人物は政治家になってはならないのです。
そもそも、どこの国の政党なのか?どこの国の議員なのか、どこの国の人間なのかの根本が欠如しているのです。
 
明治時代の啓蒙思想家、慶応義塾の創設者でもある、福沢諭吉翁の、「一身独立して一国独立」の三ヶ条目を引用します。
 
第三条 独立の気力なき者は人に依頼して悪事をなすことあり。

世間に外国人の名目を借る者はあらずや。余輩いまだその確証を得ざるゆえ明らかにここに論ずること能わざれども、昔日のことを思えば今の世の中にも疑念なきを得ず。こののち万々一も外国人雑居などの場合に及び、その名目を借りて奸(かん)を働く者あらば、国の禍(わざわい)、 実に言うべからざるべし。ゆえに人民に独立の気力なきはその取扱いに便利などとて油断すべからず。禍は思わぬところに起こるものなり。国民に独立の気力いよいよ少なければ、国を売るの禍もまたしたがってますます大なるべし。すなわちこの条のはじめに言える、人に依頼して悪事をなすとはこのことなり。
 
靖国神社は、国事に命を捧げた人々を追悼するための施設です。だから、靖国神社への正しい理解なくして、日本という国のあり方を根本的に考えることはありえません。それとともに、日本人の公共心、社会道徳の再建もありえません。
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題とは、日本という国が、一つの共同体であろうとするか否かという大きな問題でもあるのです。すなわち、日本国民が共通の先祖を持ち、その先祖から受継いできた生命を共有し、独自の文化と歴史を継承してきたことを自覚し、今後とも生命と文化と歴史を共有する社会であり続けようという意思を持つか否かという、「国のかたち」を為す問題なのです。
 
ですから、シナ・韓国など雑言にとらわれることなく、参拝していただきたいものです。
前述した、福澤翁は、、「貧富強弱の有様は、天然の約束に非ず、人の勉と不勉とに由って移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。我日本国人も今より学問に志し、気力のたしかにして先ず一身の独立を謀り、随って一国の富強を致すことあらば、何ぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこの事なり」
と、日本人があるべき姿を説いておられます。

護国の神々(英霊)が望まれているのは、この精神ではないでしょうか?
 
 
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安倍内閣
 
 

転載元: 美し国(うましくに)


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