2013-02-05
東京裁判は裁判の名をかたった復讐劇
かつて日本は美しかった誇りある日本、美しい日本へ
インチキ裁判の極み。
第二次世界大戦後、敗戦国であるドイツ、日本に対してニュルンベルク裁判、東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。そして戦争犯罪として判決を受けた人は処罰されています。東京裁判の弁護人であった清瀬一郎博士はこれらは復讐劇であったとして次の考証を示しています。
「・・・われわれ連合国が、枢軸国、あるいは枢軸国と交渉する唯一の条件は、カサブランカで宣言した条件、すなわち無条件降伏である。それは彼らの犯罪的な、野蛮な指導者に対しては処罰を加え、復讐を加えることを意味する」
「ヒトラー 一味の犯した彼らの刑事責任の問題は、最も重要な問題である。ヒトラー 一味の殺戮者どもが、その極悪非道の諸犯罪によって、世界のすべての公明誠実な人々、並びにあらゆる自由を愛する人々の胸の中に、最も熾烈(しれつ)、そしておさえることのできない憎悪並びに仮借することのできない応報に対する渇望をわき立たせた今日、この問題はきわめて切実なものとなった」
アメリカ合衆国の判事ジャクソン判事は、ロンドンの会議の結果をルーズベルトに報告し、ヒトラー一味に対しては裁判を用いず、これに制裁を加えることも理屈として可能であるが、やはり公平のため裁判の形式をとることにしたと報告しています。こうしてニュルンベルク裁判が行われました。東京裁判も同等のものとしてニュルンベルク裁判の裁判所条例が適用されています。
(a)平和に対する罪
(b)通例の戦争犯罪
(c)人道に対する罪
「本裁判所は独自の決定に到達せねばならない。右の諸機関の決定を持って本裁判所を拘束しようとは全然意図されたことはないのである。けだしもしそう意図されていたのであれば、本裁判所は『司法裁判所』ではなくて、単なる権力の表示のための道具となるであろう」
パール判事はニュルンベルクを引き継いで戦勝国間で決めた裁判所条例で東京裁判が拘束されるのであれば、それは「権力の表示」に堕ちるものであると述べています。あくまで「法」に従うべきというのがパール判事の主張です。さらにパール判事は次のように述べています。
「かようにして定められた法律に照らして行われる裁判は、復讐の欲望を満たすために、法的手続きを踏んでいるようなふりをするものにほかならない。それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである」
「儀式化された復讐のもたらすところのものは、瞬時の満足に過ぎないばかりでなく、窮極的には後悔をともなうことはほとんど必至である」
ズバリ復讐劇である、と指摘しています。実際判決では死刑となった被告は各国に一人ずつ割り当てられていました。松井-支那、木村-ビルマ、板垣-シンガポール(イギリス)、武藤-バターン(フィリピン)、東條-真珠湾(アメリカ)、土肥原-満州、広田-ソ連・・・復讐劇だからです。
参考文献
中公文庫「秘録 東京裁判」清瀬一郎(著)
WAC「日本は侵略国家だったのか『パル判決書』の真実」渡部昇一(著)
小学館文庫「パール判事の日本無罪論」田中正明(著)
朱鳥社「日本人が知ってはならない歴史 戦後篇」若狭和朋(著)
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