神宮で神楽が始まって140周年を迎え、内宮神楽殿で1日、祝いと感謝の神楽が奉納された。
神楽は神に感謝し、さらなる加護を願う祈祷(きとう)の一つ。神宮では明治6年2月1日から行われている。
明治5年7月、皇大神宮祈祷所及び大麻授与所が創設され、翌年2月1日より神楽の奉奏が開始され、去る2月1日は神楽が奏行されてより140年の佳節に当たり、参宮の方々と共に、神恩に感謝し平安と安寧を祈る記念の催しとして、神楽の奏告、舞楽の公開を執り行われた。
「萬代舞」
この日は、神楽殿で「賀殿(かてん)」の舞楽を奉納した後、参集殿で「振鉾(えんぶ)」「萬代舞(よろづよまい)」「賀殿」の三演目を一般公開された。
「萬代舞」は、昭和二十八年の第五十九回神宮式年遷宮の奉祝で作られた神宮独自の歌舞で、公に披露する機会は珍しく、冠に山桜の花飾りを付け、衣装の裾を長く引いた舞姫四人が、扇を手に、笛や琴の優雅な旋律に合わせて踊り、参拝者を魅了しました。
公開舞楽 萬代舞(よろずよまい)
公開舞楽 賀殿(かてん)
公開舞楽 振鉾(えんぶ)
天孫降臨の神話によると、天照大御神の孫・瓊瓊杵命(ににぎのみこと)が地上へ降りるとき、大御神は、自らの分身として「三種の神器」と、天上世界の稲穂を授けられた。天孫は授かった稲穂を地上で大切に育て、やがて実ったお米は、日本人の"命の糧"に。これが、瑞穂の国・日本、そして神宮のはじまりです。私たちは、神様や自然によって生かされている――。聖地・神宮は、そのことを教えてくれます。
江戸時代に流行したおかげ参りを描いた「伊勢参宮略図」(安藤広重/大阪・玉造稲荷神社所蔵
「参宮」とは、伊勢神宮にお参りすること。参宮がブームとなった江戸時代、お伊勢参りの旅人は、筒状に丸めて背負ったゴザの先に「ひしゃく」を差し、伊勢の人々はそれを目印に施行(おもてなし)を行いました。「神恩のおかげ」「温かい人々のおかげ」でお参りをはたせたことから、お伊勢参りは感謝の念を込めて、「おかげ参り」とも呼ばれたのです。
「参宮」とは、伊勢神宮にお参りすること。参宮がブームとなった江戸時代、お伊勢参りの旅人は、筒状に丸めて背負ったゴザの先に「ひしゃく」を差し、伊勢の人々はそれを目印に施行(おもてなし)を行いました。「神恩のおかげ」「温かい人々のおかげ」でお参りをはたせたことから、お伊勢参りは感謝の念を込めて、「おかげ参り」とも呼ばれたのです。
日本文明の自立性を考える上で重要なものに、伊勢神宮・『古事記』・『日本書紀』・『万葉集』があります。神宮は垂仁天皇の24年(紀元前4年)に、皇女・倭姫命が各地を行啓されたすえ、、「伊勢の国は豊かで美し国であり、この国にいつまでもいたい」との天照大神の思いを語られ、現在の五十鈴川の川上を大宮地(御鎮座)されたと伝えられます。そして天武天皇の宿願によって、第1回の遷宮は持統天皇4年(690)に行われました。建築様式は、シナ文明のそれとはまったく異なるものであり、日本文明の独自性を明確に表しています。社殿の建立後、20年に1度、式年遷宮が行われ、正殿をはじめとする建物全てが新造され、神宝・道具類も新調されてきました。
「美(うま)し国」に御鎮座された神宮ですが、以来、「おかげ参り」に代表されるような、日本人ならば一度は訪れてみたいと思うわが国の代表的な名所であり続け、いまは世界中からも多くの人が訪れている。その魅力や凄さは一体何なのだろうか。
二十年に一度、御社殿を新しく造り替える式年遷宮は、皇租の天照大御神が常に瑞々(みずみず)しくあってほしいと願う表象でありますが、同時に私たち日本民族の「いのちの甦り」「常若」(とこわか)の祈りが込められているのです。