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[転載]皇紀2673年、「歌会始の儀」

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「歌会始の儀」で歌の朗詠を聞きあそばされる天皇、皇后両陛下皇族方 御尊影=16日午前、宮城・宮殿「松の間」






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「歌会始の儀」で歌の朗詠を聞きあそばされる天皇、皇后両陛下皇族方 御尊影=16日午前、宮城・宮殿「松の間」






君が代








皇居で新年恒例の歌会始 今年のお題は「立」(13/01/16)





人々が集まって共通の題で歌を詠み,その歌を披講する会を「歌会」といいます。既に奈良時代に行われていたことは,「万葉集」によって知ることができます。
天皇がお催しになる歌会を「歌御会(うたごかい)」といいます。宮中では年中行事としての歌会などのほかに,毎月の月次歌会(つきなみのうたかい)が催されるようにもなりました。これらの中で天皇が年の始めの歌会としてお催しになる歌御会を「歌御会始(うたごかいはじめ)」といいました。
歌御会始の起源は,必ずしも明らかではありません。鎌倉時代中期,亀山天皇の文永4年(1267年)1月15日に宮中で歌御会が行われており,『外記日記』はこれを「内裏御会始」と明記しています。以後,年の始めの歌御会として位置づけられた歌会の記録が断続的に見受けられます。このことから,歌御会始の起源は,遅くともこの時代,鎌倉時代中期まで遡ることができるものといえます。
歌御会始は,江戸時代を通じほぼ毎年催され,明治維新後も,明治2年(1869年)1月に明治天皇により即位後最初の会が開かれました。以後,改革を加えられながら今日まで連綿と続けられています。
明治7年(1874年)には一般の詠進が認められ,これまでのように皇族・貴顕・側近などだけでなく,国民も宮中の歌会に参加できるようになりました。
明治12年(1879年)には一般の詠進歌のうち特に優れたものを選歌とし,歌御会始で披講されることとなりました。これは宮中の歌会始の歴史の中でも画期的な改革であり,今日の国民参加の歌会始の根幹を確立したものであります。
明治15年(1882年)からは,御製を始め選歌までが新聞に発表されるようになり,明治17年(1884年)からは官報に掲載されるようになりました。
大正15年(1926年)には,皇室儀制令が制定され,その附式に歌会始の式次第が定められました。これにより,古くから歌御会始といわれていたものが,以後は「歌会始」といわれることになりました。しかし,大正15年12月,大正天皇崩御のため昭和2年には歌会始は行われなかったので,実際に歌会始と呼ばれたのは昭和3年(1928年)の歌会始からです。
そして,先の大戦後は宮内省に置かれていた御歌所が廃止され,在野の歌人に選歌が委嘱されました。また,広く一般の詠進を求めるため,お題は平易なものとされました。預選者は,式場への参入が認められ,天皇皇后両陛下の拝謁や選者との懇談の機会が設けられるようになりました。召人は広く各分野で活躍し貢献している人々を選び,陪聴者の範囲や人数を拡大しました。また,テレビの中継放送が導入されて,さらに多数の人々が歌会始に親しむことができるようになりました。こうして歌会始への国民参加は,ますます促進されました。
長い歴史を有する宮中の歌会始は,明治と戦後の改革によって世界に類のない国民参加の文化行事となりました。短歌は,日本のあらゆる伝統文化の中心をなすものといわれています。この短歌が日本全国のみならず海外からも寄せられ,これを披講する宮中の年中行事が皇室と国民の心を親しく結ぶものとなっていることは,誠に喜ばしいことであります。
毎年1月の歌会始の儀では,天皇皇后両陛下の御前で,一般から詠進して選に預かった歌,選者の歌,召人(めしうど)の歌,皇族殿下のお歌,皇后陛下の御歌(みうた)と続き,最後に御製(ぎょせい)が披講(ひこう)されます。皇太子殿下をはじめ皇族方が列席され,文部科学大臣,日本芸術院会員,選歌として選ばれた詠進者などが陪聴します。
この儀式は,読師(どくじ)(司会役),講師(こうじ)(全句を節をつけずに読む役),発声(はっせい)(第1句から節をつけて歌う役),講頌(こうしょう)(第2句以下を発声に合わせて歌う役)の諸役によって進行されます。

宮内庁HPより引用


天皇陛下 大御歌(おおみうた)

万座毛(まんざもう)に昔をしのび巡り行けば彼方恩納(あがたおんな)岳さやに立ちたり

 

皇后陛下 御歌(みうた)
天地(あめつち)にきざし来たれるものありて君が春野に立たす日近し


皇太子殿下

幾人の巣立てる子らを見守りし大公孫樹の木は学び舎に立つ

皇太子妃雅子殿下

十一年前吾子の生れたる師走の夜立待ち月はあかく照りたり

秋篠宮殿下

立山にて姿を見たる雷鳥の穏やかな様に心和めり

秋篠宮妃殿下

凛として立つ園児らの歌ごゑは冬日の部屋にあかるくひびく

常陸宮妃殿下

蕗のたう竹籠もちて摘みゆけばわが手の平に香り立ちきぬ

三笠宮妃殿下

俄かにも雲立ち渡る山なみのをちに光れりつよき稻妻

高円宮妃殿下

冬晴れの雲なき空にそびえ立つ雪の大山いともさやけき

高円宮承子女王殿下

立ちどまり募金箱へと背伸びする小さな君の大きな気持

高円宮典子女王殿下

庭すみにひそやかに立つ寒椿朝のひかりに花の色濃く

高円宮絢子女王殿下

冴えわたる冬晴れの朝畦道にきらきら光る霜柱立つ




【召人】
岡野弘彦さん
伊勢の宮み代のさかえと立たすなり岩根(いはね)にとどく心(しん)のみ柱

【選者】
岡井隆さん
やうやくに行方見え来てためらひの泥よりわれは立ち上がりたり

篠弘さん
ゆだぬれば事決まりゆく先見えて次の会議へ席立たむとす

三枝昂之さん
すずかけは冬の木立に還りたりまた新しき空を抱くため

永田和宏さん
百年ばかり寝すごしちまつた頸(くび)を立て亀は春陽に薄き眸(め)を開(あ)く

内藤明さん
遠き日の雨と光を身に湛へ銀杏大樹はビルの間に立つ

【入選者】(年齢順)

北海道 佐藤マサ子さん(89)
●搏きて白鳥の群れとび立てり呼び合ふ声を空へひろげて

埼玉県 若谷政夫さん(84)
ほの白く慈姑(くわゐ)の花の匂ふ朝明日刈る稻の畦に立ちをり

静岡県 青木信一さん(71)
自画像はいまだに未完立て掛けたイーゼル越しの窓が春めく

新潟県 宮沢房良さん(69)
何度目の雪下しかと訊ねられ息をととのへ降る雪に立つ

群馬県 鬼形輝雄さん(66)
いつせいに蚕は赤き頭立て糸吐く刻をひたすらに待つ

新潟県 高橋健治さん(65)
吹く風に向へば力得るやうな竜飛岬の海風に立つ

福島県 金沢憲仁さん(42)
安達太良の馬の背に立ちはつ秋の空の青さをふかく吸ひ込む

栃木県 川俣茉紀さん(22)
ネクタイをゆるめず走る君の背を立ち止まらずに追ひかけるから

大阪府 瀬利由貴乃さん(17)
人々が同じ時間に立ち止まり空を見上げた金環日食

東京都 太田一毅さん(12)
実は僕家でカエルを飼つてゐる夕立来るも鳴かないカエル



新年恒例の「歌会始の儀」が16日、宮城・宮殿「松の間」で行われました。
今年のお題は「」。畏くも天皇、皇后両陛下や皇族方のお歌のほか、1万7800首の一般応募(選考対象)から入選した10人の歌が、古式ゆかしい独特の節回しで披露された。 
畏くも天皇陛下のお招きで歌を詠む召人は国学院大名誉教授で歌人の岡野弘彦さん(88)が務めた。
畏くも天皇陛下におかせられましては昨年11月の沖縄行幸啓時に18世紀の琉球王朝の時代に思いをはせあそばされ、景勝地の万座毛で、沖縄伝統の琉歌に詠まれた恩納岳がさやに(清らかに)感じられた印象を詠まれあそばされた
皇后陛下におかせられましては、昨年2月に心臓手術を受けた陛下のご回復を祈り、「春になるとよくなられる」という医師の言葉を頼りにしていたある日、かすかに春の気配を感じ、心をはずませた思いを詠まれあそばされた。



歌会始 天皇陛下のお歌






皇后陛下のお歌





来年の歌会始のお題は、「静」



大和言葉の「うたふ」の語源は「訴ふ」で、和歌は声に出して歌う(読み上げる)ことに本来の意味があるということです。
しかも、それが千年以上の伝統をもつ雅びな披講の流儀で現代の我國に活きており、毎年公式の正月行事として続けられることの文化意義は大きく、世界に誇れるものであります。






 彌榮 彌榮 彌榮

日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・

天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳



畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。

転載元: 美し国(うましくに)


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