世界が熱狂した日本の勝利。
明治37年(1904年)~明治38年(1905年)の日露戦争ではユダヤ人ロスチャイルド、ジェイコブ・シフをはじめとする世界のユダヤ人が日本を金銭的に支援しました。他方、ロシアの外債は暴落を続けます。ユダヤ人の妨害によるものです。
明治37年8月、9月の遼陽会戦、10月の沙河会戦の後の11月10日には第二回外債1200万ポンドが売り切れます。(第一回は1000万ポンド) 明治38年(1905年)3月10日、奉天海戦で日本軍が勝利を収めます。3月25日の第三回外債3000万ポンドが売り切れます。5月28日、日本海海戦で連合艦隊が圧勝。7月8日第四回外債3000万ポンドが売り切れます。これらの外債の半分はユダヤ人の引き受けによるものでした。この四回に及ぶ外債で日本は日露戦争を戦い抜くことができました。
日露戦争の日本人勝利の報にアジア民族は狂喜しました。
「新京では支那人が日本人と中心街を練り歩き、花火がいつ果てるとのなく夜空をまった。」(ニューヨーク・タイムズ)
親日国トルコでも熱狂し、トルコ共和国国歌(独立行進曲)の作詞者であるメフメト、アーキフは賞賛を込めて日本の勝利を描写し、女性作家で英文学のハーリデ・エディーブ・アドバルは日本海海戦の年に誕生した息子を「トーゴー」と名づけました。「ノギ」「ジャポンヤ」も付けたといいます。
支那革命の父と呼ばれる孫文はヨーロッパから支那へ帰る途中、スエズ運河でアラビア人が嬉しそうに「お前は日本人か?」と問いかけてくるので「違う支那人だ。何があったのか、なぜそんなに嬉しいのか」と尋ねるとロシアのバルチック艦隊を日本が全滅させたというのを「自分が勝ったようなものだ」と言って喜んでいたといいます。
インド建国の父、ジャワハルラル・ネルーは16歳の少年で、「日本の戦勝は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。相当の金をかけて日本に関する書籍をたくさん買い込んで読もうと努めた」と自伝に書いています。
日本を支援したユダヤ人も子供に「トーゴー」と名づけることが流行します。トーゴー・ミッズラヒというユダヤ人の中では有名な俳優、作家、映画監督がおり明治38年(1905年)の生まれなのだそうです。イスラエルの国歌「ハティクバ」(希望)の歌詞を書いた詩人のナフタリ・インベルは明治天皇と日本国民を称える詩を発表しました。悪い「ロシアのおばさん」と善い「ニッポンのおじさん」の喜劇なんてものもあったそうです。
ロシアでは明治14年(1881年)と日露戦争の前年明治36年(1903年)に、ロシア政府の黙認の下で全国規模でユダヤ人街や、ユダヤ人部落の襲撃が行われ、「ポグロム」(ユダヤ人虐殺)が行われていました。そこでユダヤ人は日本および、レーニンを始めとする過激派革命組織を支援し、日本勝利に熱狂したのです。
ユダヤ人最大の功労者ジェイコブ・シフは民間の外国人では初めて明治天皇に招待され、謁見し、旭日大綬章を授けられました。午餐会では明治天皇の健康のために乾杯することをこっそり提唱すると明治天皇は破顔一笑され、快諾され、シフの乾杯が終わると明治天皇からシフの健康を祝って親しく乾杯の音頭を取られました。シフは大山巌元帥、東郷平八郎元帥にも招待され、日光、箱根、京都、瀬戸内を案内され、韓国の仁川に行き、そこでも日韓あげての歓迎をうけたといいます。
参考文献
朱鳥社「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋(著)
PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
竹書房「世界が愛した日本」四条たか子(著)
徳間書店「ユダヤ製国家日本」ラビ・M・トケイヤー(著)
「歴史通」WILL10月『乃木神話はなぜ生き続けるのか』中山彰彦・山内昌之
添付画像
日本海海戦で後部マストを破損した戦艦三笠 ~ 国立公文書図書館より