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[転載]米国による原爆投下は民間人大虐殺という戦争犯罪、米国側が主張する原爆投下により戦争終結が早まり多数の命が救われたは大嘘、日本は二度と核攻撃を受けないため近隣諸国の平和と繁栄を守るために核武装をすべきだ

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良識ある日本国民の皆様には、米国による広島、長崎への原爆投下はご存知だと考えます。
 
大東亜戦争末期、1945年8月6日に米国は、広島へ原爆を投下しました。
 
米国は、同年8月9日には長崎へ原爆を投下しました。
 
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2010年8月6日、米国のルース駐日大使の広島平和記念式典出席について、クローリー米国務次官補はツイッターで、「われわれが謝罪することは何もない」と発言しました。
 
米国のニューヨーク・ポストは社説で、「日本のアジア攻撃は悲惨なもので、原爆は戦争を効果的に終わらせた」・「日本に対して謝罪する必要はない」と報道しました。
 
米国のCNNテレビの報道番組に、広島に原爆を投下した米軍の爆撃機「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ元機長の息子、ジーン・ティベッツが出演しました。
 
ジーン・ティベッツは、「原爆投下で戦争終結が早まり、多数の命が救われた。我々は正しいことをした。」などと、父親の生前の主張を述べました。
 
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広島原爆投下の出撃に際し、機長席から手を振るポール・ティベッツ大佐
 
私は一民族主義者で、左翼のような反米主義者ではなく対米自立論者です。
 
しかし、米国による広島・長崎への原爆投下は「民間人大虐殺」という戦争犯罪だと非難しています。
 
米国側が主張している、「原爆投下により戦争終結が早まり、多数の命が救われた」などということは大嘘です。
 
日本は、米国による原爆投下よりも早い時点で、大東亜戦争終結の和平交渉を求めていました。
 
米国が広島、長崎に原爆を投下出来たのは、日本が原爆を持っていなかったからです。
 
トルーマン政権による原爆投下の決定に参画したジョン・マックロイは、「もし、日本があの時に原爆を持っていたとしたら、使用することはありえなかった」と話しています。
 
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日本が大東亜戦争終結の和平交渉を求めても、日本が世界で唯一の被爆国になったのは、日本が原爆を持っていなかったからです。
 
米国が日本へ原爆を投下した理由の一つとして、米国には核実験をする目的がありました。
 
だからこそ米国は、「広島(ウラン)型」(ウラン235)と、「長崎(プルトニウム)型」(プルトニウム239)の2種類の原子爆弾を投下したのです。
 
 
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米国の「マンハッタン計画」の意思決定者、ヘンリー・スティムソン陸軍長官は、原爆投下に対する批判を抑えようとしました。
 
そして、「原爆投下によって戦争を早く終わらせ、100万人のアメリカ兵の生命が救われた」(1947年2月)と発言しました。
 
これが、米国の原爆使用を正当化する定説になりました。
 
しかし、米国が日本へ原爆を投下した真実とは、米国による「ソ連牽制」と「人体実験」でした。
 
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「原爆投下が米兵百万人救う」アメリカの大ウソ
 
アメリカの政治家は、日本に原爆を落としたのは百万人のアメリカ兵の命を救うためだったと今日なおも語り、アメリカの学校ではそのように教えてきている。原爆投下の本当の理由を承知しているアメリカ人は当然ながらいる。
 
トルーマン大統領が原爆を日本の都市に是が非でも投下したかったのは、4年の歳月と20億ドルの巨費をかけた究極兵器の力を議会と国民に教え、戦後の核計画への支持を獲得し、スターリンに対しては、その絶対的な威力を誇示し、脅しをかけるためだった。
 
私が残念に思っているのは、日本での論議だ。「百万人」の話をする日本人は、さすがに今はいない。だが、鈴木貫太郎内閣がポツダム宣言を「黙殺」したがために、原爆が投下されたのだと語る歴史研究者は今もなお存在する。
 
1945年の五月末から六月、七月に戻ってみよう。
 
陸軍長官スティムソンと国務次官グルーは、日本に降伏を勧告するときだと大統領トルーマンに何回も説き、日本側が受け入れることができるように、天皇の地位保全を約束すべきだと主張した。それでも日本が降伏を拒否するのであれば、そのときこそ原爆の投下を警告すべきだと説いたのである。
 
海軍長官フォレスタル、陸軍参謀総長マーシャル、海軍軍令部総長キングもまた、警告なしに日本の都市に原爆を投下することには反対の立場であった。
 
ところが、トルーマンと彼のただ一人の協力者である国務長官バーンズは、日本に降伏を勧告するスティムソンの草案から天皇の地位保全を認める条項を削ってしまう。
 
また、スティムソンの草案では共同提案国にソ連の名前が入っていたが、トルーマンとバーンズは、日本がソ連に和平の仲介を依頼していることを日本外務省とモスクワの日本大使館との間の往復電報から知り、ソ連の名前を削り、重慶の国民党政府に差し替えたのである。
 
日本にソ連への期待を持ち続けさせ、降伏勧告を無視させようとしてのことだった。
 
さらに、その降伏勧告をホワイトハウス、国務省からではなく、宣伝機関の戦時情報局から発表させた。日本側をして宣伝文書と思わせるようにしたのである。
 
さて、トルーマンとバーンズは、広島と長崎での“原爆実験”に成功した後、直ちにスティムソンとグルーの計画に立ち戻り、天皇の地位保全を日本側に告げることにした。
 
バーンズが手の込んだごまかしをしたことから、日本の歴史研究者はそれが事実上のスティムソン草案の復活であることに気づくことなく、その解明をも忘れている。
 
(評論家・鳥居民 継続すべき原爆投下の裏面史検証)より抜粋
 
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■■第4章:戦争犯罪者 トルーマン大統領

「原爆ホロコースト」に重大な責任がある人物を挙げるなら、その筆頭は、直接ゴーサインを出したトルーマン大統領だろう。
 
「原爆の誕生」自体は、当時の「原子物理学」発展の流れにおいて避けられなかったとしても、原爆の「実戦使用」に関しては、彼個人の「政治的な判断」で避けようと思えば避けられたのだ。(原爆は作った人よりも使う人に問題があると思う)。
 
しかし彼は、原爆を使わずに戦争を終わらせるなどとは考えもしなかった。彼は誕生したばかりの超兵器=原爆を使用したくてたまらなかった。人間のいない荒野で爆発させるのではなく、人間が密集する大都市の上で爆発させて、その破壊力を試してみたい気持ちに駆られていたのだ。人体実験をしたかったのだ。
 
彼は日本から提示された降伏条件をはねつけ、日本への原爆投下を命じた。しかも無警告で。2発も。そうしたうえでその降伏条件を認めたのだった。彼は自分の行動を正当化するために、「原爆投下により100万のアメリカ兵の生命が救われた」とする「原爆神話」を積極的に広めた張本人でもある。
 
広島大学の名誉教授である芝田進午氏は、原爆の対日使用は「人体実験」だったとして、1994年に次のように述べている。
 
「広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。
 
だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、
 
第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。
 
第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。
 
第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。
 
第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。」
 
広島で女学生(14歳)のときに原爆にあい、現在も原爆後遺症で苦しむ詩人の橋爪文さんは、「ABCC」(原爆傷害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)について、次のような恐ろしい事実を述べている。
 
まさにアメリカがやったことは、「人体実験」だったといえよう。
 
「私は広島の生き残りのひとりです。 〈中略〉 ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。
 
その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。
 
しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。
 
このように原爆は人体実験であり、戦後のアメリカの利を確立するための暴挙だったにもかかわらず、原爆投下によって大戦が終結し、米日の多くの生命が救われたという大義名分にすりかえられました。このことによって核兵器の判断に大きな過ちが生じたと私は思っています。」
 
「原爆ホロコースト」の実態、より引用
http://inri.client.jp/hexagon/floorA4F_ha/a4fhc700.html
 
 
日本国民は反米になる必要はありませんが、原爆投下の事実は知っておくべきです。
 
 
2010年8月6日、「平和と安全を求める被爆者たちの会」は、「 広島市 平和記念式典で読まれないもう一つの平和宣言」を読み上げました。
 
広島市長の「核の傘からの離脱」などという「平和宣言」とは全く異なる素晴らしい宣言でした。
 
本ブログには投稿文字数に制限がありますので、「 広島市 平和記念式典で読まれないもう一つの平和宣言」は、下記の動画をご覧下さい。
 
【原爆忌】広島・式典で読まれないもう一つの平和宣言[H22/8/6](動画)
 
 
 
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広島市平和記念式典で読まれないもう一つの平和宣言にある、「骸(むくろ)になった幼い妹を背負い、直立不動で焼き場に立つ少年」
 
原爆を開発し、投下して撮影をした科学者、ハロルド・アグニュー博士がどのようなことを考えているのか、これも日本人が知っておくべきことです。
 
本ブログには投稿文字数に制限がありますので、ハロルド・アグニュー博士が広島を訪れた際の発言は、下記の動画をご覧下さい。
 
原爆投下は悪くない、謝らない。むしろ謝れ。Remember Pearl harbor(動画)
 
 
私は本ブログで記事にしていますが、日本は二度と核攻撃を受けないために、日本と近隣諸国の平和と繁栄を守るためにも核武装をすべきです。
 
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米国による原爆投下は民間人大虐殺という戦争犯罪で、米国側が主張する原爆投下により戦争終結が早まり多数の命が救われたということは大嘘です。
 
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転載元: 近野滋之『民族主義者の警鐘』


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