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[転載]永遠に美しい日本の聖地「神宮」(上)

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神宮(内宮)


 
筆者は一年に数回神宮に参拝しています。
清流・五十鈴川に架かる内宮の宇治橋を渡り、千古の杉が生い茂る神域に入ると、空気が違うのを感じ、そして、川のせせらぎ、野鳥の声に耳を澄ませ、玉砂利の参道を一歩一歩歩みを進めていくと、不思議なやすらぎに包まれます。なぜなら、ここは"日本人の心のふるさと"だからです。
目には見えないけれど、神様の懐(ふところ)に抱かれて、心身が浄化されていきます。天照大御神がお祀りされる正宮の前で祈りを捧げていると、自然と感謝の思いが湧いてきます。特別な場所"お伊勢さん"へお参りすることは、古来、日本人にとって無上の喜びであり、それは、言葉や理屈ではなく、この聖地に来てこそ味わえる素直な気持です。

神宮は、一般的には「伊勢神宮」、「お伊勢さま」などと呼ばれ親しまれていますが、正式な名称は「神宮(じんぐう)」です。全国には多くの「~神宮」の称号がつくお社(やしろ)がありますが、神階が授与されたことがなく、
石清水八幡宮と共に二所宗廟の一つとされました。
「神宮」とのみ称されるのは、伊勢の「神宮」だけです。それだけ特別なお社なのです。

『古事記』・『日本書紀』が物語る壮大な天孫降臨(てんそんこうりん)の神話。天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅(しんちょく)を受けた皇孫(こうそん)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天降(あまくだ)る場面では、天上の高天原で大御神がつくられた田の稲穂を下の画像のように手渡されます。そして、米を作る暮らしこそが瑞穂(みずほ)の国に繁栄と平和をもたらすのだと託しました。天壌無窮の神勅です。
かって我国は、
豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)の國と呼ばれました。
神宮では春先の祈年祭(きねんさい)から秋の神嘗祭(かんなめさい)まで、稲作に関わる神事(かみごと)が多く行われます。
春に祈り、秋に感謝する。瑞穂の国のありようが神代のままに伝えられています。


天壌無窮の神勅


別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125の社宮を「神宮」と総称します。所在地は三重県内の4市2郡に分布しています。
皇大神宮(こうたいじんぐう)は、内宮(ないくう)と呼ばれ、御祭神は皇室の御祖神(みおやがみ)であり、また、私たち日本民族の大御祖(おおみおや)の神でもある天照大御神(あまてらすおおみかみ)です。皇孫の葦原中津国(あしはらのなかつくに)への降臨に際して、天照大御神が皇孫にお授けになった八咫鏡(やたのかがみ)に由来し、天照大御神はこの御鏡を自らの御霊(みたま)として皇孫(天皇)と同じ御殿でまつるように命ぜられたのです。
しかし、第十代崇神(すじん)天皇は、その御神威を畏(かしこ)み、皇女によって皇居外の神聖な地を選んでおまつりするようになり、大和の国(奈良県)の笠縫村(かさぬいむら)におまつりしました。
神社のお話(九)でも記述していますが、日本最古の大神神社の摂社の檜原神社は天照大神をはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の一つとなっています。
元伊勢とは、三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮内外両宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所をいいます。
やがてその御社殿でおまつりのご奉仕をしていた豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が年老いたので、第十一代垂仁(すいにん)天皇の皇女である倭姫命(やまとひめのみこと)がそのおつとめをかわりました。
倭姫命は天照大御神さまがお鎮まりになるのにふさわしい土地を探して諸国を尋ね歩かれました。上述の元伊勢の由来です。
宇陀(うだ、奈良県)の篠幡(ささはた)、近江(おうみ)の国(滋賀県)、美濃(みの、岐阜県)と諸国を巡られた末に伊勢の地に入り、現在の地にお鎮まりになりました。このことは、日本で一番古い歴史書である『日本書紀』に記載されており、そのなかで「この伊勢の地は、大御神の御心にかなった、最も美しい永遠の宮処としてふさわしい場所である、伊勢の地を「うまし国」(美しい、おいしい、すばらしい国)と称えてご鎮座を望まれ、天照大神のお告げがあった」と書かれています。ご神体(神鏡)を現在の場所にお遷ししたのは約2000年前のこと。
 
そこで倭姫命は、この地に御社殿を建てて天照大御神さまをおまつりしました。以上のことから、伊勢の神宮の御鏡と、宮中の賢所におまつりされている御鏡は、一体にして不可分のものとされ、現在でも皇室の御祖先である天照大御神さまにお仕えする神宮の祭主は天皇陛下のお定めにより皇族、また元皇族の方がおつとめされています。現在の祭主は、今上天皇陛下の姉にあたる池田 厚子(いけだ あつこ)様が御祭主であられます。
また臨時神宮祭主に、畏くも天皇、皇后両陛下の長女であられる黒田清子様が4月26日付で就任したと発表しました。神宮祭主を務める陛下の姉君、池田厚子様が高齢であることを考慮されたものです。
古は令外官のひとつであったもので、近代以前は、代々中臣氏(大中臣氏)が任命され、神祇大副が兼任していました。


豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮、げくう)


豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は、外宮(げくう)と呼ばれています。御祭神の豊受大御神(とようけおおみかみ)は、私たち日本民族の主食であるお米をはじめ五穀、衣食住のめぐみを与えてくださる産業の守護神でもあります。豊受大御神は第二十一代雄略(ゆうりゃく)天皇二十二年(今から約千五百年前)に、天照大御神のお告げによって丹波(たんば)の国(現在の京都府・天橋立(あまのはしだて)現在の元伊勢籠神社(丹後国の一之宮)から、現在の地に迎えられてお鎮まりになられました。
外宮には御饌殿(みけでん)という御社殿があり、ここで天照大御神さまに毎日朝夕二回のお食事がお供えされています。

別宮(べつぐう)とは、十四社あり、両正宮(りょうしょうぐう)に次いで格式のあるお社(やしろ)です。内宮に十社、外宮に四社あり、これらは祭祀(さいし、お祭り)・祭神などにおいて両正宮と特別な関係にあるお宮で、正宮の「わけみや」とされ、特に重んじられています。別宮の中でも「遙宮(とおのみや)」とよばれる大紀町に鎮まる瀧原宮(たきはらのみや)と志摩市の伊雑宮(いざわのみや)の二つの宮は地元からも篤く崇敬されています。

伊雑宮(いざわのみや)




瀧原宮(たきはらのみや)


 摂社(せっしゃ)は、延喜式(えんぎしき)の神名帳(じんみょうちょう)に所載されている神社をいい、両宮あわせて四十三社、末社(まっしゃ)は、延暦(えんりゃく)の儀式帳には記載されているが延喜式の神名帳には記載されていない神社で、同じく二十四社あります。
所管社(しょかんしゃ)は、前記以外で神宮の祭祀に直接関係のある神々をまつっている神社で、四十二社あり、いずれのお社においても天照大御神の祭祀を行う上で重要なお社です。参詣者を内宮へといざなう宇治橋(うじばし)をお護りする橋の神さま、塩作りの神さま、織り物の神さまなど御正宮や別宮の御料(ごりょう)や祭典に関わる神々がおまつりされています。

以上のように神宮は一二五社にも及ぶ大神社群です。その中でも内宮御正宮におまつりされている天照大御神(あまてらすおおみかみ)は皇室の御祖神(みおやがみ)として貴いご存在であるとともに、常に我々国民をお守りくださっている日本の総氏神さまです。
年間千五百回ほどにおよぶ祭典では、皇室国家の繁栄と国民の幸せを願って篤い祈りが一途にささげられています。
悠久の歴史の流れの中で、深く静かにささげられてきたこの無垢(むく)の祈りこそが、神宮の森厳(しんげん)を醸成(じょうせい)し「日本人の心のふるさと」として人々をいざなってきました。
神宮は全国で八万社ある神社の中でもその根本となるお社です。しかし神社の場合、寺院などのような本山末寺といった上下関係を表すものはありません。
古来の日本人の考え方が平等であった証でもあるのです。

 神道の祝詞(のりと)のなかでも、非常に古い形態を残している「大祓詞(おおはらえのことば)」に、八百万(やおよろず)の神々が集まり、話し合いの結果、皇孫に豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国(みずほのくに、日本の国)を安らかな国として治めるようにと御委任なされたことが記され、天孫降臨(てんそんこうりん)に際して、国つ神である大国主命(おおくにぬしのみこと)が天照大御神の御子孫に国を譲り渡したように、多くの神々との関係においても、それぞれの神々の立場、役割が尊重され、話し合いの精神をもって諸事が決められています。こうした考えは現在の私たちにも受けつがれており、「和」をもって尊しと為したわが国の美風の淵源がここにあるのです。
こうした神々の関係は同様に神社についてもいえることで、現在、全国の神社の多くが「神社本庁」のもと、それぞれに祭祀が厳粛に行われるよう努めており、神社界全体として、伊勢の神宮をはじめ、全国神社の振興をはかるための諸活動が行われています。
伊勢の神宮を格別のご存在として、神社本庁でも特に「本宗(ほんそう)」と仰いでいるのは、そういった全国の神社の総意にもとづいているのです。 

一般の神社の「神社祭祀(じんじゃさいし)」と別けて、神宮での祭祀を「神宮祭祀(じんぐうさいし)」と呼ばれています。
神宮では、新年の歳旦祭(さいたんさい)から大晦日の大祓(おおはらえ)まで、年間を通じて千五百回ほどのお祭りがおこなわれています。これらの祭りは、十月の神嘗祭(かんなめさい)、六月・十二月の月次祭(つきなみさい)などの「恒例祭(こうれいさい)」と、皇室・国家及び神宮の重大事に臨んで行われる「臨時祭(りんじさい)」、そして「遷宮祭(せんぐうさい)」に分ける事ができます。どのお祭りも古い儀式を重んじておごそかに奉仕されています。
神宮の祭りの本義は、天皇陛下が御親(おんみずか)ら皇室の祖先の神である天照大御神をおまつりされることです。第十代崇神(すじん)天皇の御代(みよ)までは皇居内で、また皇居を離れられた約二千年前からは伊勢の地で、どの時代も皇室の彌榮(いやさか)、国家の安泰、国民の平安、五穀の豊穣を祈るお祭りが変わることなく行われているのです。


豊受大御神(とようけおおみかみ)を伊勢の地にお迎えになった天照大御神(あまてらすおおみかみ)は「我が祭りに仕え奉る時は、まず豊受の神の宮を祭り奉るべし、しかる後に我が宮の祭り事を勤仕(つかえまつる)べし」と重ねて命ぜられました。この御神託(ごしんたく)によって神宮では古くから重要なおまつりである「三節祭(さんせつさい、六・十二月の月次祭、十月の神嘗祭)」においても、まず外宮でおまつりした後、内宮でおまつりするという「外宮先祭」によって祭祀(さいし)が行われ、現在に至っています。一般の参拝もこれにならって、外宮・内宮の順にお参りするのが慣わしになっています。

 
内宮・外宮の両御正宮(ごしょうぐう)はともに唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)ですが、少しずつ違いがあります。まず屋根の棟に飾られた丸い鰹木(かつおぎ)を数えてみると、内宮は十本、外宮は九本(御正宮以外の社殿は、内宮が偶数、外宮が奇数)。また、屋根の両端から空高く伸びる千木(ちぎ)も、内宮は「内削(うちそぎ)」といって地面に対して水平に切られていますが、外宮では垂直に切られる「外削(そとそぎ)」です。このほか内宮には御饌殿(みけでん)がなく、外幣殿(げへいでん)が板垣(いたがき)の外に建てられているのに対して、外宮では御饌殿と外幣殿が共に板垣の中にあります。
外宮・内宮の御正宮とともに、別宮・摂社・末社を巡拝(じゅんぱい)し、日本の息吹を確認されるといいでしょう・・


神宮はまさに、日本人の魂と、文化、伝統の淵源なのです。






 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元: 美しい国


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