伊勢神宮(外宮)
我国は皆さんご存知のように、稲作文化の国です。
日本人は、米を作り、米を主食としてきました。日本人の生き方、また日本文化は、稲作なしではありえません。
日本人の民族性、祭祀、生活様式、伝統芸能等の多くが、米と関係があります。稲作文化は、各地の民話、民謡から絵画や詩歌、工芸品そして建造物や衣服、日用品に至るまで、日本人の生活のすみずみにまで浸透しているのです。ですから稲作を語るということは、日本人の心を語ることであり、日本文化の土台と特徴を語り知ることにも繋がるのです。稲作を通じて日本人の心、日本の文化を知ることができ、健康な生き方をし、自然と調和した文明をめざす「こころ」が得られるのです。
日本の心は、よく「和」の精神といわれます。この「和」の精神の発達において、米作りは大きな役割を果たしてきました。
欧米の白人種と違い、日本人は農耕民族です。そして米を主食としてきました。稲は連作が可能な作物です。一定の土地で、何代にもわたって水田を続けることができ、一つの土地に先祖代々にわたって生活すると、その土地にたいする強い愛着が生じ、同じ土地に住む村の人々は、先祖以来の知り合いであり、血縁・地縁による強い結びつきをもつことになります。そして、社会全体が、村を単位とした共同体の集まりとなっています。こうした日本社会を特徴づけているものが、稲作なのです。
日本の稲作は、集約的灌漑水田稲作です。灌漑水田稲作は、個人労働ではは賄えません。開墾や灌漑、そして水の管理等、すべて協同労働で行なわなければ、不可能なのです。田植えから稲刈りまで、労働は集団的・組織的に行います。水田の所有権は各戸別であっても、営みは共同的な営みで行なわれます。こうした協同労働を通じて、団結心が育まれました。また、米作りは、家同士が争っていては、大切な協同労働ができません。そこで、相手との協調性が発達しました。
灌漑水田稲作で、一番重要なのは水です。水は共有のものであり、共同の営みの中で全体で管理します。水を田に、いつ、どれくらいの量や割合で入れるか、は勝手に決められません。同じ水系の上・中・下流の人たちが、何度も話し合いながら全体を調整しました。そこから話し合いによる合議が重んじられることになります。
日本の水田は海外の水田とは違い、狭く、また水田と水田が互いに接しています。ある田で病虫害が発生したり、雑草が生えたまま放置すると、その影響はすぐ周りに及びます。昔は、今日のように食糧が豊かではありません。乏しい食糧を家族みなで分け合って生きてきました。もし稲が病虫害でやられると、多くのの生命に関わり、自分の家だけでなく、村の他の家にも及びます。自分の田を荒らすことは、よそ様に申し訳ないことになります。自分勝手なことをして、人に迷惑をかけてはいけのです。まさに命懸けで、他人に気配りをすることや、相手の立場を考える思いやりの大切さを、日本人は稲作を通じ学んできたのです。
このように、日本人は米作りを通じて、勤勉性、団結心、協調性、合議、迷惑を掛けない意識、気配り、思いやりなどを、身につけてきました。それゆえ、米作りによって、日本人は「和」の精神を発達させてきたということが言えるでしょう。
今上陛下 御田植え 御尊影
畏くも今上陛下におかせられましては、神代の御神勅を、現在に体現あそばされておられます。
宮城で陛下自ら田植えや稲刈りをされています。そして、神に収穫を感謝し、神の加護を祈っておられます。これは先帝陛下が始められ、平成になってからは今上陛下が引き継がれたものです。今上陛下は、5月末ころに宮城内の水田で、五穀豊穣を祈る「お手植え」を行いあそばされ、稲の苗を植えられます。そして、10月初め頃、「お稲刈り」をされます。収穫された稲は、新嘗祭に使われます。
このように今上陛下におかせられましては、自ら稲作をすることによって、人間と自然との調和のために、本来の日本人があるべき姿、あるべき精神をお示しなられているのです。
今日の我国は、我欲が横行し、他人様の迷惑も顧みず、権利を要求し、平和を乱す輩の行為は目に余るものがありますが、一部の劣化した愚民にしかすぎません。
これらはまっとうな方々への迷惑になるだけです。
これらはまっとうな方々への迷惑になるだけです。
「一所懸命」という言葉があります。一生懸命ではありません。「一つの場所、この土地に命を賭けて働く」ことです。田に米が出来なければ、人は食べるものがなくて死ぬのです。幼い子どもや年寄りが死ぬのです。そういう命がけの真剣さで家族・一族が働くとき、小さな土地に労働が集約されます。そこで、一所懸命にやれば水田の生産量は目に見えて上がるのです。このことが、日本人の勤勉さや真面目さ、几帳面さ、また郷土愛の強さを醸成しました。
今一度、祖先がもっていた精神、「生かされていることへの感謝と和」の精神に立ち返ってみることが重要ではないでしょうか?