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日本の防衛を支える<12>

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日本の防衛を支える<12>
太陽工業株式会社 塗師文剛特需課長に聞く

2018年10月3日更新

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 太陽工業の東京本社前で、主力製品の「膜構造物」を紹介する看板の横に立つ同社の塗師(ぬりし)特需課長


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 太陽工業が取り扱っている、車両に貼り付けるタイプの最新の偽装キット「モバイル・カモフラージュ・システム」。断熱効果もある
 戦場で敵の目を欺き、ハイテクセンサーによる探知を避けるためには、陣地や装備品を隠す必要がある。そのときに欠かせないのが「偽装網」であり、これを自衛隊に納入しているのが太陽工業だ。
 自ら〝膜や〟と称する同社は大阪に本店を置き、国内外に多くの営業所や工場、グループ拠点を展開する大手の〝膜構造物(テント)メーカー〟である。大正11年(1922年)に能村テント商会として創業し、数々のテントを作製してきた。戦後の昭和22年(1947年)に現在の社名に改めて再スタートし、米軍で使われていた天幕の修理などから始まり「世界で最も多くの実績を持つ膜構造物のリーディングカンパニー」へと成長を遂げた。
大型膜面構造物の先駆者 進化形「偽装網」や「テント倉庫」を納入
 主要製品は「大型膜面構造物」だ。コーティングされた特殊な膜素材を裁断し、つなぎ合わせることで、さまざまなものに形を変え商品を作っている。東京ドームの屋根に使われているのも、同社製の「膜」だ。従来の重くて硬い屋根に代えて、柔らかく軽量で丈夫な「膜屋根」を開発。日韓サッカーW杯の舞台にもなった埼玉スタジアム2002の屋根や、東京駅八重洲口の大屋根など、さまざまな建築物に同社の「膜」は採用されている。
 太陽工業と自衛隊の関係は昭和45年頃にさかのぼる。同社が海外から輸入した偽装網を自衛隊に提案したところ、正式に「偽装網Ⅱ型」として採用が決定。その後も偽装網は〝進化〟を続け、現在は冬用の「偽装網V型」も納入されており、遠赤外線やミリ波レーダーにも対処できる「ウルカス」も開発されている。
 平成9年度には、阪神・淡路大震災後に陸自が調達を開始した「人命救助システム」を格納するための簡易格納器材として、「テント倉庫」を納入。これが現在の自衛隊のテント倉庫の始まりとなった。
 近年、同社は・・・





 防衛関連ニュース

海幕長が米で国際シーパワー・シンポジウム出席
(2018年9月18日~23日)

2018年10月3日更新
 村川海幕長は9月18日から23日まで、米海軍作戦本部長の招待で米国ニューポートを訪れ、米海軍大学校主催の「第23回国際シーパワー・シンポジウム(ISS)」に出席した。
 ISSは海軍種最大規模のシンポジウムで、会議には100カ国以上の海軍のトップや沿岸警備隊などの代表が参加。海賊対処、人道支援・災害救援(HA/DR)、・・・





 防衛関連ニュース

護衛艦「さざなみ」が豪海軍艦艇と訓練
(2018年9月16日~18日)

2018年10月3日更新
 豪海軍主催の多国間共同訓練「カカドゥ2018」の参加を終えた海自4護隊(呉)の護衛艦「さざなみ」(艦長・石川将司2佐)は9月16日から18日まで、豪州北方海域で同国海軍のフリゲート「ニューキャッスル」と各種戦術訓練を行い、日豪間の連携強化を図った。





 防衛関連ニュース

海自と米海軍が衛生特別訓練 テロを想定
(2018年9月21日)

2018年10月3日更新
 海自は9月21日、横須賀地区で米海軍と共同の衛生特別訓練を実施した。
 訓練は平成8年に始まり今回で22回目。海自は永徹二横須賀病院長を訓練統制官に横監、横病、基地業務隊、衛生隊の隊員約160人、米海軍は横須賀米海軍病院長を統制官に同院の医療従事者や基地司令部の要員計約350人が参加した。
 日米衛生隊員らは「・・・




 防衛関連ニュース

戦争モノ、描きたかった~元1等陸佐の米倉さん
第2の人生はマンガ家

2018年10月3日更新

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 ペンネーム「石原ヒロアキ」で出版した自作のマンガを手にする米倉宏晃元1陸佐(9月13日、東京都中央区の並木書房で)


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 大作『日米中激突!南沙戦争』の一場面。細部まで元陸自幹部ならではのリアルな軍事描写が光る
化学防護隊長など歴任 32年の経験生かす
 「俺が描きたいのは戦争マンガだ!まずは自衛隊で軍事を学ぼう」――。都内の青山学院大学に在学中、マンガ家になるための登竜門「赤塚賞」に準入選した若き日の米倉宏晃さん。ところが、ネタ探しのため入隊した陸上自衛隊に約32年間も在籍し、化学防護隊長など要職も務め、最後は1等陸佐で退職した。その後、念願のプロのマンガ家となり、このほど「石原ヒロアキ」としてデビュー。元1等陸佐という異色のマンガ家・米倉さんに、若き日の夢を実現するまでの道のりと、単独著書としての第1作『日米中激突!南沙戦争』(並木書房刊)を描き上げるまでの苦労を聞いた。(聞き手・菱川浩嗣)

マンガ家への道断り陸自に入隊 地下鉄サリン、福島原発事故に対処
 青山学院大学理工学部で化学を学びながらマンガの執筆に没頭していた22歳の頃の米倉さん。その努力が実り、マンガ雑誌『少年ジャンプ』の新人賞である「赤塚賞」に準入選し、大手出版社の集英社から「マンガ家にならないか」と誘われた。
 「出版社側から提示されたものと自分の作風はマッチしないと思い、断りました。自分は戦争モノを描きたかったので、現場を知らなければ、賞をとれるような実力はつかないと思い、自衛隊に飛び込みました」と振り返る。
 行動派の米倉さんは1982年、本当に陸上自衛隊に入隊し、大学の専攻が生かせる化学科職種を選んだ。その後、キャリアを積み上げ、初代の7化学防護隊長(東千歳)をはじめ、101化学防護隊長(大宮)などを歴任した。
 在職中、「地下鉄サリン事件」や東日本大震災での「福島第1原発事故」などへの対処も経験、危険を伴う任務にも臆することなく出動し、日々の任務に没頭した。このため、現職中は多忙を極め、マンガは一切描けなかったという。
 「それでも自衛官時代に直面した凄惨(せいさん)な光景や困難な出来事は、マンガを描く上で大きな糧となった。それが・・・





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