佐内は天保5年、福井の医者の家に生まれました。16歳で全国の優秀な青年が集まる緒方洪庵の適塾(てきじゅく)に学び、20歳にして福井藩の藩校の責任者を務め、さらに藩主の側近として藩政や教育改革に当たっただけではなく、国の政治にまでかかわり、全国を飛び回っていました。
そうして出会った人々は目の覚めるような佐内の頭脳と才能に、みな驚嘆したと言います。
しかし、このように書くと橋本佐内という人物は幼い頃から素晴らしい才能を発揮して、周囲からも期待されたに違いないと思うかもしれませんが、佐内は子供の頃に自分のことをこのように語っていました。
「自分は何をしてもおろそかで、注意が行き届かず、しかも弱々しくてぬるい性格であるため、いくら勉強しても進歩がないように思う。これではとても父母の思いに応え、藩や主君のお役に立ち、祖先の名を輝かすような人間になれるはずもない。一体自分はどうしてこんなに駄目なんだろう。そう思うと情けなくてたまらず、毎晩涙で布団を濡らした・・・」
深く自分を恥じた佐内は15歳の時、決意を固めます。そしてこの時に書き上げたのが『啓発録』です。
これこそ佐内を福井の一少年から日本の橋本佐内へと変えるものとなったものでありました。
『啓発録』の冒頭にはこう書かれています。
稚心(ちしん)を去れ
稚心とはおさなごころということにて、俗にいう童(わらび)しことなり
私たちは一人ずつ顔や声が異なるように、みんな違う個性を持って生まれています。
長所も短所も人それぞれです。しかし、みんなに共通していることもあります。それは反省や工夫、努力もないのに、魔法をかけたかのように、勉強が急に出来るようになったり、競争に勝てたり、夢がかなえられたりすることは、決してあり得ないということです。自分とその運命を変えようと思うなら、結局、自分の手で何とかする以外に方法はないのです。佐内は自分を変える第一歩を「稚心」、つまり「子供っぽい心」を捨て去ることだ、と考えました。
佐内は続けて言います。
野菜や果物がまだ熟れていない状態にあることも稚という。稚とはどれもこれも水っぽく、食べてもうまい味がしない。それと同じように、どの道に進んだとしても自分から稚心が離れない間は、決して物事が上達することはない。
人の中にある稚心とは何か。それは竹馬や凧揚げなどの遊びを好む心、お菓子などを欲しがる心、また父母の眼を盗んでは仕事や勉強をさぼり、そのくせ困ったことがあればすぐ父母に頼ろうとする心、また、父や兄の厳しい指導を恐れ母の膝元に隠れようとする心などである。
これらはみな幼いうちであれば許されることであるが、十三、四歳という学問をしようという年になってもこういう心が残っているようであれば、何をやっても決して上達せず、とても世に知られる人物となることは出来ない。従って私は「稚心を去る」ことそこ立派な武士になるための第一歩と考える。
そして『啓発録』の第二には「振気」を説きます。
気を振(ふる)う
気とは人に負けない心を立てることであり、恥ずかしいことを無念に思うことから生まれる意気込みのことである。この「気」というものは、命を持っているものは皆同じように持っていて、鳥や動物も持っている。その鳥や動物も気が立ったときは、人を困らせたり、怪我をさせたりすることがあるので、人間はなおさらである。
つまり佐内は、負けてたまるか、くじけてなるものかという負けじ魂こそが人を変えるエネルギーになるのだ、と言っているのです。
では、そうして得たエネルギーは次はどこへ向けるべきなのでしょう。
佐内は第三に「立志」を掲げこう言い切ります。
志を立つ
志のないものは魂のない虫けらと同じである。いつまでたっても成長することはない。
そして、どれだけ目標を高く掲げても、あくまで地道な努力が大切だと次に言っています。
志を立てた者とは、ちょうど江戸行きを決めた旅人のようなものである。朝のうちに福井の城下を出発すれば、明日はどこ、あさってはどこ、という具合に次第に江戸に近づいて行く。どれほど才能が劣っている者であっても、このように努力を続けていけば江戸の到着しないということはあるまい。
そして佐内は第四に「勉学」とし、次のように言います。
学に勉む
学ぶ、ということは習うということに等しい。すばらしい人物の良い行いを手本として慕い、その人の生き方に劣らないように努めることこそ何より大切な学問である。
詩をつくったり読書することが学問だ、などというのはお笑いぐさだ。それらは学問の道具のようなものであり、例えば刀のつかや鞘(さや)、二階に上がる階段のようなものである。つかや鞘は刀のためにあるのであり、階段は二階に上がる手段にすぎない。
勉強とは、単にいい成績をとることでも、暗記した知識をひけらかすことでもありません。そのような考えは、勉学の意味を誤解している、と佐内は言います。
例えば、机というものは「机自身」のためにあるのでなく、それを「使う人」のために存在するものです。同じように人間も「自分自身」のために生きるというより、もっと大きな「なにものか」のために生きてこそ真の生き甲斐に巡り会えるのではないでしょうか。佐内にとって勉学の目的は「主君に忠義を尽くすことと親に孝行すること」以外にはありませんでした。
そして佐内は最後に「友を選べ」と書いています。
交友を選ぶ
友達には「損友」と「益友」という二つの種類があるので、その違いをよくみて選ぶことが必要である。友人の中に「損友」がいたら自分でその人を正しい方向へ向けてやらなければならない。
でも、もし「益友」がいたら、自分の方から声をかけて、どんなことでも相談していつも兄弟のようにつきあうべきである。
私たちの周りには多くの友がいます。しかし、一緒に遊んだり同じ趣味を持つ友人はたくさんいても、自分を高めてくれ、心から尊敬でき、何かあった時に、真剣に心配してくれる友達がどれほどいるのでしょうか。佐内はそういう友を「益友」と呼び、そのような友人を、何においても大切にするべきであると言っています。(*佐内の言葉は現代の言葉に改めています)
以上、「稚心を去れ」「気を振え」「志を立てる」「学に勉める」「交友を選ぶ」の五つの大切なことについて書かれた『啓発録』ですが、これらの文章は橋本佐内が15歳の時に書いたもので、100年以上も前の文章でありますが、ここには今でも充分通じる大切な心を教えてくれるものです。
我々にはこのように日本の偉大な先人の生きた教えが残されていることを知り、そして活かし、さらには次の世代へ伝えていくことが必要である思います。
(福井県福井市の佐内公園内の「啓発録」。福井市内の小中学の読本になっています。)
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