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アーレイ・バーク大将の墓に「日の丸」の花が飾られているのは・・・
大東亜戦争のソロモン海戦でアーレイ・バーク大将は草鹿任一(くさか じんいち)中将率いる帝国海軍と激しく戦った。
戦後、占領軍の重鎮となったバークは日本人のことを「ジャップ」「イエローモンキー」と呼び、露骨に日本人を蔑んでいた。
ある時、バークは部下から「ソロモン海戦で戦った草鹿中将が公職追放となり、鉄道工事の現場で人夫としてやつれた姿で働いている」と知らされた。
それを聞いたバークは匿名で缶詰などの食料を草鹿に送った。
すると数日後、草鹿がバークのところにやって来て「負けたとはいえアメリカ人からこんなものを貰うのは日本人として恥だ」と食糧を突き返した。
バークは「自分も草鹿の立場であればそうするに違いない」と思い直し、草鹿に大きな敬意を払い、これが契機となって親交を深めるようになった。
草鹿中将
バークは帝国ホテルを定宿としていたが、殺風景な部屋に花一輪を“コップ”に挿しておいたら、次の日に花一輪が“花瓶”に移されていた。
バークはホテルに「勝手な事をするな」と言うと、ホテル側は「知らない」と言う。しかし花が枯れるたび、新しい花に代えられていた。
よく調べてみると客室係の女性が個人的に花を買って差し替えていたことがわかった。バークは感謝して花の代金を支払おうとすると、女性は「客室係として当然の事をしただけ」と受け取らない。
聞けば彼女は戦争未亡人で、夫はソロモン海戦でバークによって沈められた駆逐艦の乗組員であったという。
バークは「私は貴方の夫を殺した人間だ。どうか許して欲しい」と言うと、彼女は「お互いお国のために戦ったことです」と気丈に答えた。
彼女の毅然とした態度にバークは自分の卑小な態度を恥じ入り、以来、日本人のことを「ジャップ」と呼ばなくなった。
その後、バークは日本海軍の再建に尽力し「海上自衛隊創設の父」とも呼ばれ、その貢献で天皇陛下から叙勲された。
バークは生涯の中でアメリカや他国からも多くの高位勲章を受けたが、バークの葬儀には遺言により、遺体の軍服の胸には天皇陛下から賜った日本の勲章だけを付けていた。
アーレイ・バーク大将
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