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2月11日は「建国記念の日」となっている。戦前は「紀元節」と言われていた。
初代、神武天皇が即位された日である。
今、「紀元節」と言っても、わかる人は少ない。戦後消された言葉の一つである。
これはGHQが祝祭日を定める時に「紀元節」と「明治節」(明治天皇お誕生日)は絶対に許さなかったことにある。
日本と直接戦った米国は、日本の恐ろしいほどの屈強さは、天皇陛下につながる神道にあるとして、神道に関わるものはことごとく日本から消してしまった。
「明治節」はかろうじて「文化の日」として残すことが出来たが、「紀元節」だけは絶対に許されず、2月11日は平日となってしまった。
以来、日本には国の誕生日が消えたのである。国の誕生日がないのは世界でも日本くらいであった。まさに日本民族として屈辱である。
革命で出来た国は「革命記念日」があり、植民地にされていた国には「独立記念日」がある。
我が国は「革命」も起こらず、「植民地」にもされず、125代続く皇統を守り、独立も守り抜いてきたが、大東亜戦争の敗北で占領下となり「紀元節」が消されてしまったのである。
その後、国思う有志の皆さんが立ち上がり、昭和41年に「建国記念の日」として制定され、日本の誕生日が復活することができたのである。
しかしGHQの占領政策で戦後しばらくは国旗掲揚が禁止され、やがて国旗掲揚が許されるようになっても、ほとんどの日本人は祝祭日に国旗を掲揚しなくなった。
「紀元節」も「大東亜戦争」も「八紘一宇」も使われることはなく、今の日本の実態は占領下そのままである。
こういう流れをキチンを教えていけば、今の日本というのは戦後つくられた日本で、本来の日本でないことがよくわかるはずである。
明治の歌人、正岡子規は2月11日の日をお祝いして歌を詠まれた。
日の本の やまとの国のはじまりし その日を今日と梅咲きにけり
すべての花に先駆けて、香り高い梅の花で2月11日の紀元節を祝うのが日本の建国なのである。
日本の紀元を祝い、同時に本来の日本を取り戻すことを誓う日でもある。
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