Quantcast
Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

[転載]歴史を取り戻すことが誇りを取り戻すことになる

$
0
0

気ブログランキングに参加しています。 
まずはここをポチッとお願いします。 イメージ 2



イメージ


大東亜戦争時、ペリリュー島の戦は「さくら、さくら」という最後の電文で玉砕したが、その戦いぶりは凄まじかった。

米軍最強であった「第一海兵連隊」と戦い、日本軍は敵に損耗率60%を超えさせ「全滅判定」で撤退させた。
 
終戦後18カ月もペリリュー島に残って戦い続けた上等水兵だった土田喜代一さん(上写真)はこう言った。
 
とにかく自分達が負けたら日本は後がないんだと考えていましたから必死でした」。
 
そして戦いを振り返りながらこう語った。
「いよいよ米軍の戦車が我々がいる壕に近づいてきた時、中隊長が『これから敵戦車を攻撃するが、志願する者は手を挙げろ』と言った。
 
その攻撃とは、棒地雷を抱いて敵戦車に対する肉弾攻撃ですから決死隊です。その攻撃に出れば生きて帰ってくることは出来ません。
 
それでも勇敢な2人が志願し、あと1人になった時、私よりも若い小寺亀三郎という男が手を挙げたんです。これには驚きました。だって、その前の日にやっと私が銃の打ち方を教えたばかりの男が名乗り出たんですから。
 
それまで、少し動きが鈍くて、皆から『お寺さん、お寺さん』とからかわれていたような男ですよ。
 
それで私は小寺に『お前、大丈夫か?』と聞いたんです。そうしたら小寺がこう言ったんです。
 
『両親から、死ぬ時は潔く死ねと言われました!』
 
これを聞いて私は、そりゃ胸が張り裂けそうでした。小寺はそう遺して、他の2人と一緒に壕を出て行きました。そして、しばらくしたら、外でドーンという大きな爆発音がしたんです。
 
翌朝、敵に見つからないように水を汲みに壕の外へ出たら、何と先の方に敵の戦車2両が燃えていたんです。
 
小寺亀三郎は見事に敵戦車をやっつけたんです。あの男は本当に立派でした」。
 
そう言い終えた土田氏の目には涙が溢れていた。・・・
 
 
我々の先人達は、祖国日本を守るため、尊い命を捧げられた。
 
それを我々は現在の目線ではなく、出来るだけ当時の目線で、また当時の日本を取り巻く状況をきちんと理解した上で、大東亜戦争を見なければいけない。
 
特に今を生きる日本人が誇りを持てないのは、シナや朝鮮から「日本は侵略戦争をした」と言われるたびに頭を下げてきた日本の卑屈な姿にある。
 
英国も、米国も、オランダも、フランスも、侵略して植民地にした国に対して謝罪したことはない。
 
日本は侵略も植民地支配もしていないのに「耐え難い苦痛を与えた」とお詫びしている。その言葉は現地の住民に苦痛を与えた白人どもが言う言葉である。
 
いつまでもこういうことをやっていては、日本人が日本に対して誇りを持つことが出来ない。
 
日本人の戦というものがどういうものであったのか、正しく知れば知るほど誇りに思うものである。

・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。 
もうペコペコするな、と思った方はここをポチッとお願いします。 
                    イメージ 2  

転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>