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この写真を見て、「あっ、これは」とわかる日本人は少ない。
なぜ日本人が知らないのか?
日本のマスコミがほとんど報じなかったからである。
平成26年9月1日、来日したインドのモディ首相は安倍総理と首脳会談で日印の安全保障や経済関係の強化と友好を発展させる宣言をした。
その翌日の9月2日、モディ首相は、チャンドラ・ボースと親しかった三角佐一郎さん(99歳)と会った。
車椅子の三角佐一郎さんの前でモディ首相は、膝を折って、手を握り締め、感謝を表した。その時の写真が上の画像である。
かつて三角さんは参謀本部に勤務し、インパール作戦に関わったインド独立の功労者、つまりインドでは”英雄”である。
インドにとって「インパール作戦」は英国からの独立戦争である。インパール作戦を日本軍がチャンドラ・ボースのインド国民軍と戦ってくれたお蔭でインドの独立があるとインドの人達は誰でも知っている。
この感動的な場面をインドのマスコミは大々的に報道して大ニュースとなっていた。
また、平成27年、インド政府は三角さんに国家勲章を授与した。これも日本のマスコミは報道しなかった。
日本ではインパール作戦は「牟田口中将が無謀な戦いをした」とされて、そのまま信じている人が多い。
しかしインパール作戦は決して英国の一方的な戦いではなく、よく調べれば日本軍は敵を圧倒して戦っていたことがわかる。
日本軍が如何に勇敢に戦っていたか、如何に軍紀粛正であったか、そして如何に強かったか。現地の住民はよく見ていた。
大激戦地のロトパチン村の村長はこのように語っていた。
「日本の兵隊さんは上の中でも実に勇敢に戦った。そして、この村のあちこちで壮烈なな戦死を遂げていった。この勇ましい行動すべては、みんなインド独立のための戦いだったのです。私達はいつまでもこの壮絶な記憶を若い世代に残していこうと思っています」
激戦地コヒマでも日本兵は地元に住民に称賛されており、日本軍が去った後に群生した紫の花を「日本兵の花」と名付けた。
日英軍が激しく戦ったマパオの村では「日本兵士を讃える歌」が今も歌い継がれている。
こういうことは日本人はほとんど知らない。
こういう事実は日本が侵略戦争をしたことになっているマスコミにとっては都合が悪いのだ。
大東亜戦争をいまだに“太平洋戦争”としか報じることが出来ない占領時のままのマスコミの愚かさは、今やネットで全て見透かされている。
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