2009/4/6(月) 午後 8:27最近の記事練習用 Yahoo!ブックマークに登録
御来訪感謝申し上げます。
せっかくの週末も北のミサイル騒ぎで、休日どころでは無かった方々が多かったのではないかと推察申し上げます。
いくら政府から通常通りの生活をして下さいと言われても、何処にミサイルが飛んで来るかも分からない有り様で普段と同じような気持ちで過ごすことは無理というものです。
幸い事なきを得ましたが、「科学技術の平和利用」なぞ微塵も考えていない隣のゴロツキ国家にいいように振り回された2日間でもありました。
人民は飢餓に苦しんでいるのに約300億円もかけてミサイルを発射する神経には理解に苦しむのが常識ある人間だと考えますが、そもそも北の将軍様に常識を求めることが間違っているのかも知れません。
将軍様に常識が備わっていたら、とっくの昔に体制が崩壊していた事でしょう。
冒頭写真は豪華クルーザー、いわゆるメガヨットというヤツです。
ブログ友人の千葉日台さんも記事で取り上げておられますが、この写真より一回りも大きいクルーザーを将軍様はこっそりと2隻も注文していたそうであります。
しかし、金の出所が将軍様からとバレテしまい、イタリア当局が欧州の特定国に対する国際協定に基づく「贅沢品輸出禁止条例」に違反するということで、既に将軍様から手付金として受け取っていた代金の3分の一を差し押さえしたそうです。
乗り物好きの不肖敬天として少々講釈をぶたせていただきますが、この写真のクルーザーは全長26m(85ft)のタイプですが、将軍様はこれより大きい95ft(30m)と105ft(32m)タイプの2隻を注文したらしいです。
小型船舶1級免許で操縦できるのは26mまでであり、それ以上は「通常船舶」扱いとなり、機関士・航海士などの船員免許を持っていないと操縦できないため、船員になるための勉強を時間をかけてするかプロの船員を雇う甲斐性がないとメガヨットを動かせません。
将軍様ですから、そんなことは問題ではないでしょうが、ちなみに注文したメガヨットは豪華クルーザーのメーカーとしても名高いイタリアのアジムット社であり、2隻で20億円以上するそうであります。
日本でもこれと同レベルのクルーザーを持っているのは、加山雄三くらいであり、愛艇「光進丸」は105ftの大型モーターヨットであります。
勿論、加山雄三は「船員免許」を所有しています。
芸能界では、タモリもヨット好きで約16mのクルーザーを所有していますが、このタイプだと新艇でも2億円くらいですから、如何に大きく高額なものであるかが御理解いただけると思います。
さて、話は横道に逸れてしまいましたが、結局、北の将軍様はせっかく注文したヨットも手に入らなくなり、既に支払い済みの代金も差し押さえの憂き目にあいました。
おそらく、誰も同情することは無いでしょう。
これも天罰が下ったのだと素直に喜ばせていただきます(笑)
今日の記事は標題を「事大主義と朝鮮民族」とさせていただきました。
御存知のように、朝鮮民族(韓民族)を語る上において切っても切り離せないのが「事大主義」であります。
「大に事(つかえ)る」ことから「事大」という言葉が使われています。
これに「イズム」をつけると「事大主義」になるわけです。
教養の無い敬天愛人は、何でも自分の頭のレベルでも理解できるように「翻訳」する癖がありますから、「事大主義」とは「長いものには巻かれろ」あるいは「寄らば大樹の陰」ということと自分なりに断定しています。
私は、朝鮮半島についてはあまり難しく考える必要はなく、極めて単純思考の底の浅い考えで何事も行われていると常々感じていますので、エラそうに勿体つけた言葉を見ても、そのまま額面通りに受け取ると後でガックリすることが多いので、自分如きの低脳でも簡単に理解できるように翻訳するようにしています。
したがって、以前の記事でも取り上げましたが、北朝鮮政府の「チュチェ(主体)思想」についても、要は、将軍様が絶対的存在として公私の区別なく国家を牛耳る言い訳としての弁法(詭弁)に過ぎないと思っています。
この辺のところは、実際に韓国に留学して朝鮮文化や歴史を学んで来た俊優であるブログ友人の「古の碧き泉より」さんが得意とする分野でもありますが、僭越ながら、私も私なりに独断と偏見にまみれた「朝鮮民族論」を展開したいと存じます。
本題に戻ります。
前述したように、朝鮮民族の来し方行く末(歴史)を理解する上においては「事大主義」を無視するわけにはいきません。
何故、韓国人は「パクリばかりで独創性が無いのか?」や「あれだけ北朝鮮の人民は飢餓に苦しんでいるのに暴動が起きないのか?」などの日本人であれば当然抱く疑問を解く鍵としても、「事大主義」はキーワードになります。
ここまで書いて来ると、聡明な御来訪者の方々は「なるほど・・・、そうか」とその先を想像をめぐらす方もいらっしゃると思いますが、はっきりと申し上げると朝鮮民族には「主体的なアイデンティティー」がなく、「何かに(外国)依存して」依存元の配下にあることをアイデンティティーとしているのであります。
日本人が「天皇の臣民」であることをアイデンティティーとして来たのに対し、彼らは「自民族より絶対的に強い大きな勢力(他民族)」に自らの運命を委ねることで生き永らえて来た訳であります。
簡単にいうと「他力本願」のひと言に尽きると思います。
弱小民族であり、民族としての集約できる絶対的な要を持たない民族の「生き延びて行くための知恵」であったと考えています。
日本民族が「天皇」という「民族としての御本尊」を戴いて、君臣一体となって「民族の誇りと自信」を持って民族主体を守りながら歴史を刻んで来た今日までの歩みとは決定的に異なるのであります。
そうすると、今現在の北朝鮮の人民たちがどんなに圧制を受けて虐げられた生活を余儀なくされても、主体性を持って自分たちより絶対的に強いものに抗う事を考えることは絶望的であり、「誰かが助けに来てくれる」ことをひたすら待ち続けているのが現状なのだと想像致します。
北朝鮮の政治イデオロギーである「チュチェ思想(主体思想)」は絶対的権力者のためがその権力を維持守護するための「思想」であり、民族的「主体思想」ではないのです。
半島南側に住む同胞達(韓国人)も実は「事大主義」から逃れられずに日本や米国に依存して「世界第13位」とかの経済大国として近代化されたのではありますが、ノーベル賞受賞者が未だに一人も輩出していないことでもお分かりのように、「主体的な独創性」や「自ら命を懸けて努力」するという自立精神が、残念ながら過去の民族の歴史の中でも遺伝子として生まれ得なかったのであります。
今日の記事をまとめてみると、対外開放した韓国は、日米の技術と資本を得て一応工業国家になりましたが、分かり易くいうと、世界的な大企業の資本と技術の傘下に入った地方の系列企業である中小企業の存在なのであります。
北朝鮮は、中国・ロシアを一応の後ろ盾としてはいますが、隷属の精神しか持たない両大国でありますので、物心両面の援助は少なく、自分の食い扶持は自分で何とかしろ!というある意味突き放されて苦心惨憺して、かろうじて体制を維持しているのですが、情報が開示されていない人民はそんな権力側の実態も知らずに諦めにも似た「逆らうだけ損」と昔ながらの「国家内隷属」で平穏を保っている過疎地域の農村地帯の様なのであります。
しかし、日本に併合されるまでの「乞食同然の民族の生活」を鑑みると北朝鮮にしてみれば「民族の歴史と伝統は何も変わっていない」と諦めの境地に居るのかも知れません。
何事も恵まれた先進国のレベルで考えていては、理解出来ないことが往々にしてあるのです。
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