我国は神の国です。
人生儀礼とは、人生の節目ごとに行われる大切な儀式です。
神様に感謝と、奉告をしましょう・・・・・
いかに往古の昔より、日本人が神々に感謝し、無事を祈ってきたか、下図をご覧いただければ理解いただけるものと思います。
往古の昔より、我が国では、年令を数え年で数えてきました。数え年とは、誕生日に関係なく、生まれた年を1歳、翌年を2歳として数えます。1月1日元旦をもって年が改まり、年令も日本人全てが一緒に年をとると考えられていました。
七五三や厄年祓い・年祝いは、数え年で行うのが昔からのしきたりです。
赤ちゃんの儀礼
安産祈願(あんざんきがん)と腹帯(はらおび)
安産祈願(あんざんきがん)と腹帯(はらおび)
腹帯の効果がいま見直されています。懐妊すると五ヶ月目の戌の日に、母体の健康と、赤ちゃんが月満ちて元気に誕生するようにとの願いを込め、神社で安産祈願を受け、腹帯を着けます。「帯」を着けることから「帯祝い」とも「着帯の儀」ともいいます。この帯祝いの歴史は平安時代にさかのぼります。正式な腹帯は「岩田帯」といわれる、紅白の絹二筋と白木綿一筋を重ねたものです。
腹帯は、母体の保護安全のために懐妊五ヶ月の戌の日を選んでお腹に巻きます。戌の日を選ぶのは犬が安産であり、丈夫な子を産むとされ、それにあやかるためともいわれています。腹部の保温や、胎児の位置を正常に保つための理にかなったもので、授かった新しい命に対する社会的な認知の儀礼でもあります。
神さまの思し召しで胎内に宿った胎児の健やかな発育を願い、帯び祝いをします。普通は木綿の腹帯で、長さは六尺ほど、あるいは縁起をかつぎ七尺三寸五分にします。腹帯を着けることにより、子供が育ちすぎず、お産が軽く済むように願う日本固有の出産文化でもあります。
産湯(うぶゆ)
赤ちゃんが生まれて初めてするお清め
赤ちゃんが生まれるとすぐに湯をつかわせます。生後三日目につかわす湯を昔は産湯といって重視していました。産湯には、氏神さまがお守りくださるその土地の水を使いました。「〇〇で産湯をつかった」など、産湯が人の出生に大きく関わっていたことを聞かれたことがあると思います。赤ちゃんにとって産湯は、出産の際の穢(けが)れ祓い清める禊(みそぎ)であり、人間社会の仲間入りをさせるという重要な意味があるのです。
命名(めいめい、名づけ)
お七夜(おしちや)に命名
赤ちゃんが誕生したら、先ずは名前を決めなくてはなりませんが、役所への出生届けは生後十四日以内に提出すればよいのですが、誕生から七日目を「お七夜」といい、命名をします。
出産前に夫婦で字の画数や意味を考え名前を準備したり、あるいは尊敬する人や長老に名づけ親になっていただきますが、本来は生命をいただいた氏神さまから、その子の名前を授けていただくのが好ましいでしょう。神社に相談されると、お子さんの幸福を神前に祈り、相応しい名前を命名していただけます。
名前は単なる識別符号ではありません。一生の幸せを祈って、慎重に考え、読み方の難解なもの、あまり奇抜な名前はほどほどにしたいものです。決まりましたら命名書を書き、家の神棚に貼ってお披露目します。用紙は半紙、または命名用紙に書きます。
出産前に夫婦で字の画数や意味を考え名前を準備したり、あるいは尊敬する人や長老に名づけ親になっていただきますが、本来は生命をいただいた氏神さまから、その子の名前を授けていただくのが好ましいでしょう。神社に相談されると、お子さんの幸福を神前に祈り、相応しい名前を命名していただけます。
名前は単なる識別符号ではありません。一生の幸せを祈って、慎重に考え、読み方の難解なもの、あまり奇抜な名前はほどほどにしたいものです。決まりましたら命名書を書き、家の神棚に貼ってお披露目します。用紙は半紙、または命名用紙に書きます。
初宮参り(はつみやまいり)
赤ちゃんが初めて神社に参拝し、氏神さまの氏子として認めてもらい、健やかな成長と神様のご加護を願うものです。
日一日と可愛く成長するわが子。この子が丈夫に賢く育ちますようにと出産後初めて氏神さまにお参りに行くことを初宮参りといいます。初宮参りとは、お産の穢れを祓うと共に、子どもの無事誕生を感謝し、今後の健やかな成長を願い、氏神さま、または安産祈願をした神社にお参りします。「神さまの御霊(みたま)を賜ってお蔭様で無事誕生しました。今日よりこの子も神さまの氏子となります。末永くお見守り下さいますよう宜しくお願いします」と奉告かたがた神社でご祈祷を受けます。一般には、男の子は三十一日目に、女の子は三十三日目以降に神社にお参りしますが、地方によっては百日目に行うなど若干の違いがあります。天候や、母子の健康状態を見て参拝の日を選びます。お宮参りには赤ちゃんに母親の実家から贈られた晴れ着を着せ、姑や母親が抱いてお参りするのが古来よりのしきたりです。お宮参りは地域の人から認知してもらうよい機会でもあります。
地方によっては、生後一年目の初めての誕生日に「初誕生参り」を祝います。満一歳の誕生日を無事に迎えられたことを感謝します。誕生日前に歩き始めた子には「一升餅」を背負わせ、わざと尻餅をつかせるところもあり、これから二本足で歩く新しい魂の力を身につけさせるためのお祝いともいわれています。
お食い初め(おくいぞめ)
生後百日目に、赤ちゃんにはじめて本膳(一汁三菜)を食べさせるまねをする儀式を「お食い初め」といいます。「この子が一生食べ物に困らないように」という親の願いが込められています。赤ちゃんの食器を整え、食膳には、赤飯や尾頭付きの焼き魚、煮しめ、なます、お吸い物を並べ、食事の真似をさせます。また丈夫な歯が生えるよう「歯固め」として小石を添える習慣もあります。地方によって違いがあり生後百二十目にお食い初めを行なうところもあります。初めにご飯から食べさせるまねをします。お食い初めの塗り膳は神社で受けるか、ベビー用品の店で購入できます。
女の子の初節句
生まれて初めて迎える節句を「初節供」といいます。節目の行事の時には、家族で神さまに料理等をお供えしてお祝いをしてきました。
神さまのお供え・・・ということで、”節供”と書かれていましたが、現在は”節句”を使うことが多いようです。
3月3日を「上巳(じょうし)の節供」(桃の節供)といい女の子の節供。
5月5日を「端午の節供」(菖蒲の節供)といい男の子の節供。
お雛(ひな)さまの原型は?
女の子が生まれてはじめて迎える三月三日を初節句といいます。「桃の節句」「上巳(じょうし)の節句」ともいわれ、昔、中国ではこの日を「悪日」とし、水辺に行って口をすすぎ、手を洗い、身を清める習慣があり、お祓いの行事でもありました。これが日本に伝わり「上巳(じょうし)の祓(はらえ)」として定着し、紙で作った人形(ひとがた)で身体を撫で、息を吹きかけ、その人形に罪穢れを移し、海や川に流すといったお祓いの行事となりました。この人形は流し雛(ながしびな)ともいわれ、時代を経て、王朝風の美しい雛人形へと変化し、人々に親しまれるようになりましたが、お雛様の原型はこの流し雛です。初節句には、お嫁さんの実家から雛人形が贈られることが一般的な傾向です。親王飾りの男雛は天皇陛下を表し、向かって左に、女雛は皇后陛下を表し、向かって右に飾るのが正しい飾り方とされています。宮中の伝統を三人官女(さんにんかんじょ)、五人囃子(ごにんばやし)、随身(ずいしん)、衛士(えいし)、左近の桜(さこんのさくら)、右近の橘(うこんのたちばな)に見ることが出来ます。
娘の幸せな将来を願い、嫁入り道具の雛形(ひながた)を飾ります。雛あられ、菱餅などの縁起物をお供えしますが、菱餅の赤・白・緑の色は桃の色・白酒・蓬(よもぎ)を表し、これらには邪気を祓う力があるとされています。貞操・良縁成就を祈りハマグリの吸い物もお供えします。早めに飾り、ひな祭りが終わったらすぐ片付けます。片付けが遅れると婚期が遅れるなどともいわれます。桃の花と菜の花を活けて祝います。
男の子の初節句
男の子が生まれて初めて迎える端午(たんご)の節句を初節句といいます。中国のしきたりが平安時代に日本に伝わり日本古来の慣わしと結びつきました。端午の「端」には初めという意味で、「端午」は月の初めの「午(うま)」の日を指し、これは数字の五と同じ音であり五を重視する中国の思想から漢時代以降は五月五日を端午の節句というようになりました。
端午の節句には、滝登りをする鯉のように力強く育つことを願い鯉のぼりを飾ったり、立身出世するよう鎧兜(よろいかぶと)・武者人形を飾って、健やかな成長を祈ります。
五月人形は甲冑を中心に、のぼり・太刀、弓矢・太鼓・陣笠・軍扇を飾り、菖蒲酒・粽(ちまき)・柏餅を供えます。その日には邪気を祓うとされている菖蒲と蓬の葉を軒につるし、更に湯船に入れ菖蒲湯にする行事が行われます。「菖蒲」が「尚武」に通じることから、男の子の成長を盛大に祝うようになったのです。柏餅をお供えする由来は、柏の葉は新芽が出ないと古い葉が落ちないことから、「家系が途絶えない」すなわち子孫繁栄につながり、五月節句に欠かせないめでたい食べ物とされたのです。
[子供の儀礼]
三つ子の魂百までも。あなたが行なう儀礼がお子さんの心を豊かに育みます。
三つ子の魂百までも。あなたが行なう儀礼がお子さんの心を豊かに育みます。
七五三のお参り
七五三とは、古くからの風習に由来する子供の年祝いのことで、
・3歳の「髪置(かみおき)」~男女ともこの日から髪を伸ばし始める儀式
・5歳の「袴着(はかまぎ)」~男の子が初めて袴を着ける儀式
・7歳の「帯解(おびとき) 」~女の子が着物の付紐から帯にかえる儀式
七五三は、子どもの人生儀礼の代表にあげられます。数え年三歳の男の子と女の子、五歳の男の子、七歳の女の子が十一月十五日に氏神さまにお参りし、健やかな成長と健康を祈ります。七五三と呼ばれる儀式の原型は江戸時代、将軍綱吉の子徳松君の髪置きに始まったとされています。庶民など一般に広まったのは明治の初めといわれています。古くは、平安時代の公家の習慣である髪置き(かみおき)、袴着(はかまぎ)、帯解き(おびとき)に由来します。髪置きとは、誕生後初めて髪を伸ばし始める儀式で男女共に三歳の吉日を選んで行いました。袴着というのは、五歳の男の子が初めて袴をはく儀式です。碁盤(ごばん)の上に立って、吉方に向き、左足から袴をはいて、小袖を着て、扇を持ちました。碁盤の上に立つのは、宮中では、碁盤は吉方を占う道具であり、武家では碁盤の上の勝負を城取りになぞらえて、それに乗ることで天下を取ることを願ったのです。左から袴をはくのは、吉とされた陽の足から入れることに由来するものです。帯解きは、帯結びなどとも言われ、室町時代の上流階級の女の子が七歳になるまで着ていた着物から付け紐だけとって、初めて本格的な帯を締めることができるようになったことをいいます。「七つまでは神の子」といわれますが、七つになってはじめて社会からその人格が認められたのです。
七五三が十一月十五日に行われるようになったのは、その日が暦の上で満月に最も近い日であり、陰陽道(おんみょうどう)でいう最上の吉日とされているからです。稲の収穫を終え、比較的天候の安定した時期ということもあります。晴れ着を着て家族揃って神社にお参りし、長寿と健康の願いが込められた千歳飴をいただきます。
受験合格祈願
人生最初の試練 神さまどうかお見守り下さい
辛(つら)い受験勉強。受験生の負担は相当なものです。このような人生最初の試練に力を貸していただけるよう、試験に当たり合格祈願を致します。厳しい受験戦争に勝つため、お神札やお守りを受け、体調もよく、平常心で実力を発揮できるようお願いします。合格祈願は一般には天神さまが有名で、絵馬が沢山奉納されているのを見かけることがありますが、地元の神社にお参りすることが基本です。合格した折は、御礼参りをし、更なる学業成就をお願いします。就職祈願も同様です。
不幸にして不合格になっても、心新たに再挑戦する事を誓い、神さまのご加護をいただけるよう努力したいものです。
普段、何気なくあるいは当たり前のように行っていることが、実は昔からの伝統に従った理論・原則に基づく生活文化なのです。
情緒豊かな日本の生活文化を、今一度見直し、昔ながらの日本の風習、慣習に触れ、先人、先祖の子孫繁栄への思いを、次世代へと繋いでいきましょう・・・
投稿文字数に制限がありますので、次回は[大人の儀礼]について記載いたします。
参考文献 格「神社庁HP」より抜粋
投稿文字数に制限がありますので、次回は[大人の儀礼]について記載いたします。
参考文献 格「神社庁HP」より抜粋