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新年祝賀の儀 天皇陛下、皇后陛下 御尊影=1日午前、宮城・宮殿「松の間」
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君が代
謹んでお伝え致します。
畏くも天皇陛下御製、皇后陛下御歌を拝し奉りて、東日本大震災の被災地・被災者に寄せられる叡慮がひしひしと胸に響きわたります。
いつの時代も我々臣民は陛下の大御心に護られているのです。
諸外国の王室のように、征服者の禅譲・殺掠による君主ではなく、肇国以前の神話の時代より、皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅をご歴代の天皇陛下が一系で引継いでこられた比肩するもののない尊い存在であられるのです。
そして、我国の歴史、文化はすべて皇室を淵源としています。
そして、我々の祖先は皇室を崇め、ともに歩んできたのも紛れもない事実です。
先帝陛下は、66年前の今日、大東亜戦争直後の昭和21年1月1日、「国運振興の詔書」を発しておられます。
平成の国難と言われる東日本大震災、畏くも今上陛下におかせられましても、先帝陛下と同じ叡慮であらせられます。
我々臣民は陛下の大御心に応え、被災地の復興・美しい国日本の復興を成し遂げねばなりません。
畏きあたりにおかせられましては、宮城・宮殿におかれましては元日午前、朝から新年の祝賀行事が行われ、皇族方や臣民から祝賀をお受けあそばされました。
午前中には首相や衆参両院の議員、認証官、知事ら立法・行政・司法各機関の要人と配偶者らを対象とした「新年祝賀の儀」が4回に分けて行われ、両陛下と皇族方が計470人から祝賀を受けあそばされた。
畏くも天皇陛下は衆参両院の議員らに対し、「新しい年をともに祝うことをまことに喜ばしく思います」と叡慮を賜りました。
新年祝賀の儀には、昨年成年皇族におなりあそばされた秋篠宮文仁親王殿下のご長女、眞子内親王殿下も初めて臨みあそばされ。
また、畏くも天皇陛下におかせられましてはこれに先立ち、午前5時半からお住まいの御所で「四方拝」を行いあそばされた。
四方拝は伊勢神宮や四方の神々などを遙拝する祭祀で、例年宮中三殿の近くにある神嘉殿で行いあそばされてきましたが、昨年11月のご不例あそばされたことなどを勘案して御所での祭祀となりました。
一般参賀が2日、宮城(皇居)で行われます。
畏くも天皇陛下、皇后陛下と皇族方は午前10時10分ごろ▽同11時ごろ▽同11時50分ごろ▽午後1時半ごろ▽同2時20分ごろの計5回、宮殿・長和殿のベランダにおでましあそばされ、奉賀に参集した臣民の参賀に応じあそばされます。
臣民(参賀者)は午前9時半から午後2時10分までに皇居・正門(二重橋)から入場する。
新年に当たり、宮内庁は畏くも天皇陛下、皇后陛下が平成23年に詠まれた御製・御歌のうち、計8首を発表しました。
【天皇陛下御製】(5首)
《東日本大震災の津波の映像を見て》
黒き水うねり広がり進み行く仙台平野をいたみつつ見る
《東日本大震災の被災者を見舞ひて》
大いなるまがのいたみに耐へて生くる人の言葉に心打たるる
《東日本大震災後相馬市を訪れて》
津波寄すと雄々しくも沖に出でし船もどりきてもやふ姿うれしき
《共に喜寿を迎へて》
五(い)十(そ)余(よ)年(とせ)吾(あ)を支へ来し我が妹(いも)も七十七(ななとせなな)の歳迎へたり
《仮設住宅の人々を思ひて》
被災地に寒き日のまた巡り来ぬ心にかかる仮住まひの人
【皇后陛下御歌】(3首)
《手紙》
「生きてるといいねママお元気ですか」文(ふみ)に項(うな)傾(かぶ)し幼な児眠る
《海》
何事もあらざりしごと海のあり かの大波は何にてありし
《この年の春》
草むらに白き十字の花咲きて罪なく人の死にし春逝(ゆ)く
いつの時代も我々臣民は陛下の大御心に護られているのです。
諸外国の王室のように、征服者の禅譲・殺掠による君主ではなく、肇国以前の神話の時代より、皇祖天照大御神(あまてらすおおみかみ)の神勅をご歴代の天皇陛下が一系で引継いでこられた比肩するもののない尊い存在であられるのです。
そして、我国の歴史、文化はすべて皇室を淵源としています。
そして、我々の祖先は皇室を崇め、ともに歩んできたのも紛れもない事実です。
先帝陛下は、66年前の今日、大東亜戦争直後の昭和21年1月1日、「国運振興の詔書」を発しておられます。
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民挙ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我カ国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル、今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努力ヲ効スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亙レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦燥ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰ヘ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等臣民ト共ニアリ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等臣民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。
我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、倫ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ、自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
<現代語訳>
『ここに新年を迎える。ふりかえれば、明治天皇は明治のはじめにあたって、国の基本方針として「五箇条の御誓文」を、おさずけくださった。それは、
一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。
一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。
明治天皇の叡智にあふれた御旨は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、この上、付け加えるべきものはなにもない。余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。
わが国の大小を問わない都市がこうむった戦争の災禍、罹災民の苦難、産業の停止と頓挫、食糧の不足、失業者の増加などのありようは、まことに余の心を痛ませるものがある。しかし、その一方、わが国民が現在の試練に直面しながらも、徹頭徹尾、平和な文明を求める決意を固くし、国民どうしの結束をまっとうすれば、わが国のみならず、全人類のためにも、輝かしい前途が開けることを疑わない。
わが国民においては、家庭と国家を愛する心が、ことに熱烈である。今まさに、その精神を拡大充実させ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をすべき時である。
余が思うに、これまで長きにわたった戦争に敗れた結果、わが国民はややもすれば絶望感にかられ、失意の底に沈んでしまう傾向がある。言動がしばらく過激に流れるようになり、道義に従う心もいちぢるしく衰え、そのために思想の混乱の兆候が見られるのには、まことに深い憂慮の念を覚えずにはいられない。
しかし、余は汝ら国民とともにある。常に利害を同じくし、喜びも悲しみもわかちあいたい。余と汝ら国民との間の絆は、いつも相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説を根拠に生まれたものではない。天皇をもって現人神とし、また日本国民が他民族より優れており、そのゆえに世界を支配すべき使命をもつといった架空の観念によって生まれた絆でもない。
余の政府は、国民の試練と苦難とをやわらげるため、あらゆる政策と国家経営に万全の手段を講ずるべきである。同時に余は、現在の苦難にあたってわが国民が奮起し、当面の困窮を克服するため、また産業と文化の振興のため、勇気をもって進むことを心より願う。
わが国民が、その実生活において団結し、互いによりそい助けあい、寛容をもって相手を許すという気風を高めるならば、わが国の至高の伝統に恥じることのない、日本民族の真価を発揮するに至るだろう。このように考えるのは、実にわが国民が、人類の福祉と向上のため、絶大なる貢献を爲すであろうことを疑わないからである。
一年の計は年頭にある。余は、余の信頼する国民が、余と心をひとつにして、みずから奮い、みずから励まし、もって以上の大業を成就することを、心より願うものである。』
『ここに新年を迎える。ふりかえれば、明治天皇は明治のはじめにあたって、国の基本方針として「五箇条の御誓文」を、おさずけくださった。それは、
一、広く会議を開き、あらゆることについて公の議論の場で決定すべし。
一、上の者も下の者も互いに一致協力して、国家秩序を盛んにすべし。
一、役人・軍人から庶民にいたるまで、だれもがその志をまっとうし、途中であきらめたり怠けたりしないよう計るべし。
一、過去のあやまった風習や弊害をやめ、なにごとも天地の道理にのっとるべし。
一、新しい智恵や知識を世界じゅうに求め、大いに天皇国家をふるいたたせるべし。
明治天皇の叡智にあふれた御旨は、この五箇条の御誓文にすべて集約されており、この上、付け加えるべきものはなにもない。余はここに、改めて五箇条の御誓文をもって、国の運気を開きたい。すべてはこの御誓文の御趣旨にのっとって、旧来の弊害を去り、国民の意欲を高め、官民協力して平和主義に徹し、教養も豊かな文化を築き、国民生活の向上をはかり新しい日本を建設すべし。
わが国の大小を問わない都市がこうむった戦争の災禍、罹災民の苦難、産業の停止と頓挫、食糧の不足、失業者の増加などのありようは、まことに余の心を痛ませるものがある。しかし、その一方、わが国民が現在の試練に直面しながらも、徹頭徹尾、平和な文明を求める決意を固くし、国民どうしの結束をまっとうすれば、わが国のみならず、全人類のためにも、輝かしい前途が開けることを疑わない。
わが国民においては、家庭と国家を愛する心が、ことに熱烈である。今まさに、その精神を拡大充実させ、人類愛の完成に向けて、献身的な努力をすべき時である。
余が思うに、これまで長きにわたった戦争に敗れた結果、わが国民はややもすれば絶望感にかられ、失意の底に沈んでしまう傾向がある。言動がしばらく過激に流れるようになり、道義に従う心もいちぢるしく衰え、そのために思想の混乱の兆候が見られるのには、まことに深い憂慮の念を覚えずにはいられない。
しかし、余は汝ら国民とともにある。常に利害を同じくし、喜びも悲しみもわかちあいたい。余と汝ら国民との間の絆は、いつも相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説を根拠に生まれたものではない。天皇をもって現人神とし、また日本国民が他民族より優れており、そのゆえに世界を支配すべき使命をもつといった架空の観念によって生まれた絆でもない。
余の政府は、国民の試練と苦難とをやわらげるため、あらゆる政策と国家経営に万全の手段を講ずるべきである。同時に余は、現在の苦難にあたってわが国民が奮起し、当面の困窮を克服するため、また産業と文化の振興のため、勇気をもって進むことを心より願う。
わが国民が、その実生活において団結し、互いによりそい助けあい、寛容をもって相手を許すという気風を高めるならば、わが国の至高の伝統に恥じることのない、日本民族の真価を発揮するに至るだろう。このように考えるのは、実にわが国民が、人類の福祉と向上のため、絶大なる貢献を爲すであろうことを疑わないからである。
一年の計は年頭にある。余は、余の信頼する国民が、余と心をひとつにして、みずから奮い、みずから励まし、もって以上の大業を成就することを、心より願うものである。』
平成の国難と言われる東日本大震災、畏くも今上陛下におかせられましても、先帝陛下と同じ叡慮であらせられます。
我々臣民は陛下の大御心に応え、被災地の復興・美しい国日本の復興を成し遂げねばなりません。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。