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当地福島は今日もハッキリしない空模様で、やや肌寒いお天気でした。
高齢所帯としては、まだまだコタツを片付けることは出来ない状況です(恥)
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今日は昨日の記事で「福田康夫氏が途中退陣したのも他ならぬ公明党の圧力があったと言われていますが・・・」と記しましたが、このことについても、同じく昨日の記事の引用元である『黒い手帖』(矢野絢也著)に経緯が書いてありますので、御紹介したいと思います。
公明党の横槍で突然辞任した首相
「天下を取る」「創価王国をつくる」---この池田名誉会長の政治的野望は、現在、既に半ば達成されているといってもいいかもしれない。現在の自公政権は公明党に振り回されており、公明主導といってもいい状況にあるからだ。
その象徴的な出来事ともいえるのが、2008年(平成20)年9月の「福田おろし」である。
福田康夫首相の突然の辞任の大きな原因の一つは公明党にあったといわれている。
首相は辞任の際の記者会見で、「重要案件の審議引き延ばしや審議拒否を行った」と民主党を非難していた。
だが、これは理屈に合わない。福田氏が総理に就任する前から、参議院では与野党が逆転しており、民主党が政権に非協力的なのは承知していたはずであるからだ。
むしろ福田氏の恨み節の本質は、2007年(平成19)年秋の、民主党との大連立構想の失敗にあるのではないか。
結局、民主党の小沢一郎代表が党内をまとめきれず、大連立は幻に終わったが、福田氏には無念の思いがあったのだろう。
大連立は唐突な話で、捨て身の戦略ではあったものの、一面では、今後の日本の政局を見据えた大構想でもあった。
実はその大連立において、公明党を外そうという話があったとされている。
この「公明党はずし」は公明党にとって大きなトラウマになって残った筈である。
創価学会を守るため、また池田氏の証人喚問を阻止するため、多数派に身を寄せて政権与党であり続けねばならない公明党にとって、これは絶対に許せぬことだったのだ。
「天下を取る」「創価王国をつくる」---この池田名誉会長の政治的野望は、現在、既に半ば達成されているといってもいいかもしれない。現在の自公政権は公明党に振り回されており、公明主導といってもいい状況にあるからだ。
その象徴的な出来事ともいえるのが、2008年(平成20)年9月の「福田おろし」である。
福田康夫首相の突然の辞任の大きな原因の一つは公明党にあったといわれている。
首相は辞任の際の記者会見で、「重要案件の審議引き延ばしや審議拒否を行った」と民主党を非難していた。
だが、これは理屈に合わない。福田氏が総理に就任する前から、参議院では与野党が逆転しており、民主党が政権に非協力的なのは承知していたはずであるからだ。
むしろ福田氏の恨み節の本質は、2007年(平成19)年秋の、民主党との大連立構想の失敗にあるのではないか。
結局、民主党の小沢一郎代表が党内をまとめきれず、大連立は幻に終わったが、福田氏には無念の思いがあったのだろう。
大連立は唐突な話で、捨て身の戦略ではあったものの、一面では、今後の日本の政局を見据えた大構想でもあった。
実はその大連立において、公明党を外そうという話があったとされている。
この「公明党はずし」は公明党にとって大きなトラウマになって残った筈である。
創価学会を守るため、また池田氏の証人喚問を阻止するため、多数派に身を寄せて政権与党であり続けねばならない公明党にとって、これは絶対に許せぬことだったのだ。
この「大連立構想」という原子爆弾が不発に終わってからは、自民党と民主党の政策協議が成り立たなくなり、国会運営は暗礁に乗り上げるばかりか公明党も福田政権に不信を抱き、距離を置き始め、「ごり押しともいえる強気が目立った」のであります。
それがはっきり表面に出てきたのが2008年7月からであり、7月2日には、公明党の神崎武法前代表が、講演会で「『支持率が上がって福田さんの手で解散になるのか、支持率が低迷して次の総理で解散になるのかわからない』と連立パートナーとはとても思えない発言をして注目を浴びた」のです。丁度「洞爺湖サミット開催」間近のことであります。
事実上の公明党の「福田おろし」発言であります。
さらに公明党の自民党攻撃が続くのであります。
私は以前から本ブログ記事でも申し上げているとおり、福田康夫は父親の赳夫とともに「日本の国益を大きく毀損した」戦後歴代首相の一人であり、その罪の大きさは重大なものであると考えている者であります。
したがって、今回の本記事でも福田氏を擁護するつもりは全く無く、ただ、既に過去の事になってしまっているとはいえ、これも日本の政治史の一編であることは紛れも無いことであり、誤りのない史実を後世に伝える事と真相をマスコミが取り上げないため、国民が真実を知らないままになっている現状において、少しでも多くの皆さんに事の真相を知らしめるのもこの時代に生きた者の務めであるという矜持から、事実はどうだったのか?という視点で「福田辞任の背景」を上記引用を元に記事に上梓させていただきました。
それがはっきり表面に出てきたのが2008年7月からであり、7月2日には、公明党の神崎武法前代表が、講演会で「『支持率が上がって福田さんの手で解散になるのか、支持率が低迷して次の総理で解散になるのかわからない』と連立パートナーとはとても思えない発言をして注目を浴びた」のです。丁度「洞爺湖サミット開催」間近のことであります。
事実上の公明党の「福田おろし」発言であります。
さらに公明党の自民党攻撃が続くのであります。
公明党はその後も福田政権を攻め続けた。自民党への一連の「口撃」のあと、今度は臨時国会の召集について福田内閣に注文をつけ始める。福田氏は秋の国会の会期は、新テロ特措法改正案の成立に万全を期すべく、衆議院での再議決に必要な日数を見越し、8月末召集、90日間の心積もりでいた。
ところが、公明党は、「遅く、短く」に固執し、9月末召集、会期60日間を強硬に主張して譲らなかった。公明党が細かい会期にこだわったのは、私(矢野氏)の国会招致問題が絡んでいるといわれている。要は、私の国会招致のチャンスをつくらないためである。 結局、福田内閣は公明党に半分妥協する形で、9月12日召集、会期70日間で決定した。首相は持つ国会召集権などの権限は、事実上、無視されてしまったのだ。
だが、公明党の横槍はこれだけでは終わらなかった。国会召集は9月12日なのに、首相の所信表明は9月29日に先延ばしせよと主張したのだ。これはどういう意味を持つか。12日から29日までの間、首相は実質的に何もできないということに他ならない。なんのことはない。公明党がこだわった「9月末召集」を事実上、蒸し返したわけである。
福田氏が突然の辞任表明に踏み切ったのは、この公明党からの要求の翌日だった。官邸筋の情報によると、福田氏は公明党の度重なる横槍に激怒したとも伝えられている。
これが公明党の「福田おろし」の経緯である。
ところが、公明党は、「遅く、短く」に固執し、9月末召集、会期60日間を強硬に主張して譲らなかった。公明党が細かい会期にこだわったのは、私(矢野氏)の国会招致問題が絡んでいるといわれている。要は、私の国会招致のチャンスをつくらないためである。 結局、福田内閣は公明党に半分妥協する形で、9月12日召集、会期70日間で決定した。首相は持つ国会召集権などの権限は、事実上、無視されてしまったのだ。
だが、公明党の横槍はこれだけでは終わらなかった。国会召集は9月12日なのに、首相の所信表明は9月29日に先延ばしせよと主張したのだ。これはどういう意味を持つか。12日から29日までの間、首相は実質的に何もできないということに他ならない。なんのことはない。公明党がこだわった「9月末召集」を事実上、蒸し返したわけである。
福田氏が突然の辞任表明に踏み切ったのは、この公明党からの要求の翌日だった。官邸筋の情報によると、福田氏は公明党の度重なる横槍に激怒したとも伝えられている。
これが公明党の「福田おろし」の経緯である。
私は以前から本ブログ記事でも申し上げているとおり、福田康夫は父親の赳夫とともに「日本の国益を大きく毀損した」戦後歴代首相の一人であり、その罪の大きさは重大なものであると考えている者であります。
したがって、今回の本記事でも福田氏を擁護するつもりは全く無く、ただ、既に過去の事になってしまっているとはいえ、これも日本の政治史の一編であることは紛れも無いことであり、誤りのない史実を後世に伝える事と真相をマスコミが取り上げないため、国民が真実を知らないままになっている現状において、少しでも多くの皆さんに事の真相を知らしめるのもこの時代に生きた者の務めであるという矜持から、事実はどうだったのか?という視点で「福田辞任の背景」を上記引用を元に記事に上梓させていただきました。
上記の引用を整理するといくつかの重要なポイントがあります。
・自民党と民主党は大連立を組む事によって政権を安定させ、混迷を極める政局を打破しようとした。そこには、余計な存在にしか過ぎない公明党を排除する意図もあった。
・そのため、存在価値を失いかねない公明党が危機感を募らせ、連立パートナーである自民党への信頼関係が崩壊し、自民を攻撃するようになり、政権内部での亀裂が生じた。
・それに対し、能力は無くてもプライドだけは高い福田首相にしてみれば自らの拠所である自民党は有効な手立ても打てず、自民党総裁である自分も守れない自民党の体たらくにさすがの福田もキレテ「ヤッテラレナイよ!」とさっさと辞任をしたのが真相のようであります。
そもそも、宗教に名を借りた稀代の独裁者である池田の飽くなき野望を実現するために結成された「政教ド一致」の宗教政党公明党と、政権保持だけの下世話な目的で組んだ自民党の自業自得のお粗末な話ではありますが、しかし、公明党(=創価学会)恐るべし!であります。
自民党も政治政党としての国家観、政治観が既に欠如してしまっているから、そんな宗教としての正当性もない単なるオカルト集団に化している組織を母体とするエセ政党に付け入る隙を与えてしまったのであります。
異形なオカルト集団に牛耳られているのが、今の日本の政界の現状であります。
これを打破するには、彼らが最も嫌う「投票率のUP」することしかありません。
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