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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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酒を呑みながら思った事・・・

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2009/4/27(月) 午後 8:00最近の記事練習用  Yahoo!ブックマークに登録
 
 
 
      (写真はイメージです。決して行きつけのお店じゃありません^^)
    
      御来訪感謝申し上げます。

 いきなり冒頭から刺激的な画像をお見せして申し訳ありません。
 当ブログにいらっしゃる皆様にはお好きな方も多いかと存じます。

 先週からSMAPの草なき剛くんの話題でマスメディアは持ちきりですが、草なぎくんの件について取り上げるのは本ブログの趣旨でもありませんし、特に興味はないのですが、不肖敬天愛人も酒は嫌いではないですし、また、今日は特に食指を動かされる話題もないので、私の独善と偏見そのものでお酒の話を記事にしてみたいと思います。

 今日は特に政治や社会情勢の話題は出てきませんので、決して皆様に有意義なお話にはならないとは思いますがお付合いいただければ幸いです。
 
 
私が生まれて初めてアルコールを口にしたのは、遅まきながら大学1年の時でありました。 ですから、いわゆる新入生歓迎コンパでお酒の洗礼を受けた訳であります。

 私の父は全くアルコール類を嗜まない男だったので、どうしても酒に縁の無い生活を送って来たのですが、上京して大学へ入ると意外とお酒が体に合うらしく、すぐお友達になれました。
 私が学んだ大学は男女共学でありますが女子の比率が全学部合せて70%以上と多く、経済学部だったのですが、それでも40%が女子学生でした。
 したがって、常に周囲には女子が居て、授業やクラブ活動は勿論、食事をするにしてもお茶を飲むにしてもはたまた夜になればお酒を飲むにも女子たちと一緒でした。
 御蔭様で、男子の大学生の遊びの定番である麻雀を覚えることなく4年間が過ぎてしまい、学生生活は「オンナと酒」の日々で終わりました。
 学生同士で飲む場合、純粋に男同士で酒を飲んだのはほとんど無かったように記憶しています。
 何故か女の子がいつも周りにいて健康的な(?)酒飲みをしていたように思います。
 大学がある場所は小田急線沿線の高級住宅街の中にあり、あまり遊ぶところが無かったので同じ沿線の下北沢や新宿近辺で「ヤッホー!!」とやっていました。
 いろいろと面白いエピソードもあるのですが、長くなるのでその件は後の機会に致します。

 その大学生活4年間の習慣が身についてしまったのか、その後社会人になってからも、よっぽど気の合う者同士で飲むとき以外は、男同士だけの飲み会は正直言って苦手であり、いまだに苦手意識が続いています。

 簡単に言うと、何人かで飲む場合は必ず女性がいないと飲んでいてもつまらないのです。男だけの飲み会なら、家で一人で飲んでいた方が良いと考える性悪なスケベ男なのでもあります。

 そうは言っても現実には「男の付き合い」やどうしても顔を出さなくてはならない会合などもありますから、それはそれで義理を欠かさない程度に参加はして来ました。

 そんな中で、田舎へ帰って4~5年経って盛んに夜の街へ繰り出していた27・28歳くらいの頃、飲んだ翌朝になると前の晩の記憶がすっぽりと抜け落ちていることが多くなった時期がありました。
 前の晩、おそらく相当酒を呑み、何軒のはしごしてドンちゃん騒ぎをした筈なのですが、その間の記憶がすっかり失念してしまっているのです。
 当然、気になるので同席した友人・知人に様子を聞く事になるのですが、皆笑って「大丈夫、心配することは無いよ、・・君はいろいろと楽しませてくれたよ^^」と言ってくれるのですが、本人にしてみれば「何か恥ずかしいことでもしでかしていたのでは?」と不安になるばかりでありました。
 しかし、それでも相変わらず飲み会には必ずお誘いを受けますし、特に心配するような馬鹿な醜態は晒していないだろうとタカをくくってお付合いをしていました。

 結局は記憶がなくなるだけで、特に問題になる性癖はなかったようでしたが、飲み屋の人に聞いた話ではシラフの時とは打って変わって、これ以上の幸せは無いという顔で陽気に騒いでいたようであります。
 幸い、酒で失態を犯すようなことはなかったのですが、翌日の朝目覚めると記憶を失うほど飲んでしまう我が身のだらしなさに反省する日々が続いていました。

 ある日の朝、いつものように前の晩の記憶が無い事に気付きながら布団の上で起き上がった私はしばらくそのまま正座をし、何故か考え込んでしまいました。
 「何で俺は記憶を失うほどだらしなく酒を飲んでしまうのだろう。これでは酒に飲まれているのではないか!」と自省していたら、「いや、待てよ。酒と俺はどっちが存在が重い? 俺が死んでも悲しむ人間なんかはたかが知れている。
 せいぜい、親兄弟、親しい友人くらいのものだろう。いや、案外、そんな連中も悲しむどころか逆に喜ぶかも知れない。
 しかし、酒が無くなったら、日本中、いや世界中の酒好きが深く悲しむだろう。そればかりか、料理を美味しくする隠し味にも使われるのだから、酒好きでなくても悲しむことになる。ということは、俺の存在は酒の存在に比べればチリやゴミほどの存在でもない、取るに足らないものなのだ!」という事に何故か行き着き、妙に納得したのであります。 そして「わかった! ということはこれからはお酒に対して、畏れながら飲ませていただきます、と断って飲むのが最低限の礼儀であるのだ。」と結論が出て自己完結したのであります(笑)
 これは、本当にあった話です。今でも、よくあの頃そんなふうに考える事ができたなあと思い出しては我ながら関心することがあるのです。
 事実、その後、大酒を飲んでも記憶を失うばかりか悪酔いをすることも無くなり、あれから25年ほど変わらず酒を飲んでいますが、酒にまつわる思い出は良い思い出しかありません。
 エラそうに言って申し訳ありませんが、酒を良くするのも悪くするのも飲む本人の「想い」次第なのだなあと経験上思えるのであります。

 「何事も心がけ次第」と言いますが、どうしても人間は「自分」「自己」が先に来てしまい、自分中心、自己中心的になってしまいます。
 しかし、自分の存在なんてタカが知れていると自分の分を弁えれば、何事に対しても謙虚な姿勢になれると考えるのです。
 「自分がやる(飲む)」のではなく「自分がさせていただく(飲ませていただく)」なのだと思います。

 私はクルマの運転を30年以上していますが、未だに事故を起こしたことはありません。 朝、クルマに乗り込んでエンジンをかけてると同時に心の中で「今日も一日運転させていただきます」とお断りをしてからクルマを発進させています。

 今日は、エラそうに生意気なことばかり取りとめも無く講釈をぶってしまいましたが、すべて実体験による紛れも無い事実であります。

 オヤジの戯言と御寛容下さり、皆様の生活のご参考にしていただければ至高の慶びであります。
 
 
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