南京大虐殺インチキ話を作る人たち
マスコミが報道することは正しいとは限らない。
昭和12年(1937年)12月の支那事変南京戦で南京大虐殺が行われたというホラ話が作られました。
金陵大学社会学科スマイス博士が南京の被害状況を調査しており、日本兵の暴行による死者を2,400人としています。(これも実は捏造された節がある) 南京虐殺を捏造する人たちはスマイス調査のこの数字を無視し、周辺6県の死者の数をあげて「一般市民の死者があまりに多い」として「上海・南京間の人民の殺された数30万は妥当」などと書き上げてしまいます。大量殺害に使えるところだけ使ってあとは切り捨てるという手法です。(決定版・南京大虐殺 洞富雄氏 ~ 「南京事件の総括」より)
昭和59年(1984年)8月7日。毎日新聞は「元陸軍伍長、スケッチで証言、南京捕虜1万余人虐殺」という大見出しで65連隊の伍長であった栗原利一氏の証言を紹介しました。さらに本多勝一氏が栗原氏を訪問して「朝日ジャーナル」に連載して1万3500人の虐殺の模様、軍司令部からの命令と報道しました。栗原氏は30万40万という虐殺というウソに腹を立てて、これに反論するために記者に話しをしたのに都合のよい部分だけをつまみ食いされ、意思とは全く逆の報道をされ、匿名の中傷や悪罵を浴びて困っていると抗議します。
「毎日にも本多氏にも言いもしないことを書かれた。自分の本当に言いたいことは書かないで、結果的には逆なことになってしまった。悔やんでいる」としきりに嘆き、取材を受け付けなくなりました。同隊にいた平林貞治氏の話だと、捕虜を解放(あるいは移動)しようとしたところ、暴動がおき、自衛のため機関銃で1000から3000人は射殺したのだといいます。日本兵も9名が死亡しました。これを歪曲して大虐殺にしたてあげられたわけです。
第16師団(京都)歩兵第20連隊(福知山)中隊長 森王 琢(もりおう みがく)氏の公演記録があります。マスコミの取材について激怒しています。
「まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。また、証言者が、『中隊の軍紀は非常に厳正でありました。』などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮で買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、"そんなことはあり得ないことである"と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです」
テレビ報道などひどいものです。2008年4月の「NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺」がユーチューブにあります。何の気なしに見ていると気づきませんが、注意してみているとやけに証言がぶつ切りにされて、編集されているのがわかります。例えば歩兵六十五連隊 元兵士証言「1万人ぐらいあつめる広場」ここで切って「有刺鉄線を張って」で終わりにしており、これだけだと何のことだかわかりませんが、前後関係から捕虜を集めて大量虐殺したように視聴者にイメージさせているのです。上記の栗原利一氏の証言もあります。捕虜を船に乗せて解放しようとしたところ捕虜が反乱を起こしたのが証言内容のはずですが、まったく違う編集にされてしまっています。マスコミの捏造手口がよくわかります。この番組報道は虐殺は12/16と12/17と述べています。「朝日グラフの写真」1938年1月5日を出しておいてナレーションでは「ここにはおびただしい数の捕虜が収容されています。」「既に虐殺への序章が始まっていました」というところなど見ていてズッコケました。
参考文献
小学館文庫「南京事件の総括」田中正明(著)
WAC「南京大虐殺のまぼろし」鈴木明(著)
参考サイト
三ヶ根通信ブログ版 「南京大虐殺」はなかった森王琢さん講演 http://blogs.yahoo.co.jp/sanganehp/14294402.html
添付写真
「南京の雪景色」(昭和13年1月25日)食料品を運ぶ支那人を警護する日本兵 日新報道「南京の真相」より ・・・このような写真も日本軍に強制連行されている、などと書けば簡単に騙されてしまう。
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マスコミの南京大虐殺捏造手法
南京大虐殺の真実 http://www.youtube.com/watch?v=c7CYCen8HX0(栗原さんのスケッチ 4:50あたり)
(NNNの動画のショット)
ナレーション
「栗原利一さんが書いた虐殺現場のスケッチです」「揚子江と幕府山の間の岸辺に捕虜が集められています」「機関銃を持った日本兵が取り囲んでいます」「捕虜たちには全く逃げ場がありません」「栗原さんは捕虜の人数を13,500人としています」
栗原利一さんのスケッチには揚子江に船が見える。栗林氏はマスコミ不信になり証言しなくなったが、同隊の平林氏の証言だと、「捕虜は揚子江を船で鎮江の師団に送り返す」という命令がきていた。
平林氏「・・・船がなかなか来ない・・・捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。突然、どこからか、ワッとトキの声があがった。日本軍の方から威嚇射撃をした者がいる。それを後はもう大混乱です。一挙に、われわれに向かってワッと押し寄せて来た感じでした。殺されたもの、逃げたもの、水に飛び込んだ者、船で漕ぎ出す者もあったでしょう。なにしろ、真っ暗闇です。機銃はキチガイのようにウナリ続けました」
マスコミは捕虜を船で運ぼうとしたこと、捕虜が暴動を起こしたこと、日本兵にも死傷者が出たことを隠し、大虐殺にしたてあげたわけです。
金陵大学社会学科スマイス博士が南京の被害状況を調査しており、日本兵の暴行による死者を2,400人としています。(これも実は捏造された節がある) 南京虐殺を捏造する人たちはスマイス調査のこの数字を無視し、周辺6県の死者の数をあげて「一般市民の死者があまりに多い」として「上海・南京間の人民の殺された数30万は妥当」などと書き上げてしまいます。大量殺害に使えるところだけ使ってあとは切り捨てるという手法です。(決定版・南京大虐殺 洞富雄氏 ~ 「南京事件の総括」より)
昭和59年(1984年)8月7日。毎日新聞は「元陸軍伍長、スケッチで証言、南京捕虜1万余人虐殺」という大見出しで65連隊の伍長であった栗原利一氏の証言を紹介しました。さらに本多勝一氏が栗原氏を訪問して「朝日ジャーナル」に連載して1万3500人の虐殺の模様、軍司令部からの命令と報道しました。栗原氏は30万40万という虐殺というウソに腹を立てて、これに反論するために記者に話しをしたのに都合のよい部分だけをつまみ食いされ、意思とは全く逆の報道をされ、匿名の中傷や悪罵を浴びて困っていると抗議します。
「毎日にも本多氏にも言いもしないことを書かれた。自分の本当に言いたいことは書かないで、結果的には逆なことになってしまった。悔やんでいる」としきりに嘆き、取材を受け付けなくなりました。同隊にいた平林貞治氏の話だと、捕虜を解放(あるいは移動)しようとしたところ、暴動がおき、自衛のため機関銃で1000から3000人は射殺したのだといいます。日本兵も9名が死亡しました。これを歪曲して大虐殺にしたてあげられたわけです。
第16師団(京都)歩兵第20連隊(福知山)中隊長 森王 琢(もりおう みがく)氏の公演記録があります。マスコミの取材について激怒しています。
「まず、第一に、取材する相手に、虐殺を証言する人間しか選ばないという点があります。虐殺を否定すると思われる人には取材をしません。そればかりか取材をすると何とかデッチあげてでも虐殺に仕立てるという事を致します。
場合によっては、証言を意図的に歪曲し、時には正反対の解釈をして、証言者がそんなことは言ってない、と憤慨(ふんがい)している例もあります。また、証言者が、『中隊の軍紀は非常に厳正でありました。』などと証言しても、そんなことは一切取り上げようとしません。自分の取材意図に合ってさえいれば、証言内容が明瞭(めいりょう)なウソであると判っていても、そのまま記事にしております。
宮崎県の農家で写真と参戦者の日記を発見したとして南京虐殺の決定的証拠とした、朝日新聞の昭和58(1983)年8月4日の記事に対し、その写真は満州の馬賊の写真で、昭和初期に朝鮮で買ったものであると、読者が抗議しています。
また森村誠一の「続・悪魔の飽食」に、日露戦争当時の伝染病による死体写真を今次大戦の関東軍の虐殺の証拠写真としていつわって掲載しているのを、読者よりの指摘抗議によって暴かれたのは有名な話です。
そのような記事について、"そんなことはあり得ないことである"と反論されても、無視し、認めないか、言を左右にしてうやむやにするのが、彼らの常套手段(じょうとうしゅだん)なのです」
テレビ報道などひどいものです。2008年4月の「NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺」がユーチューブにあります。何の気なしに見ていると気づきませんが、注意してみているとやけに証言がぶつ切りにされて、編集されているのがわかります。例えば歩兵六十五連隊 元兵士証言「1万人ぐらいあつめる広場」ここで切って「有刺鉄線を張って」で終わりにしており、これだけだと何のことだかわかりませんが、前後関係から捕虜を集めて大量虐殺したように視聴者にイメージさせているのです。上記の栗原利一氏の証言もあります。捕虜を船に乗せて解放しようとしたところ捕虜が反乱を起こしたのが証言内容のはずですが、まったく違う編集にされてしまっています。マスコミの捏造手口がよくわかります。この番組報道は虐殺は12/16と12/17と述べています。「朝日グラフの写真」1938年1月5日を出しておいてナレーションでは「ここにはおびただしい数の捕虜が収容されています。」「既に虐殺への序章が始まっていました」というところなど見ていてズッコケました。
参考文献
小学館文庫「南京事件の総括」田中正明(著)
WAC「南京大虐殺のまぼろし」鈴木明(著)
参考サイト
三ヶ根通信ブログ版 「南京大虐殺」はなかった森王琢さん講演 http://blogs.yahoo.co.jp/sanganehp/14294402.html
添付写真
「南京の雪景色」(昭和13年1月25日)食料品を運ぶ支那人を警護する日本兵 日新報道「南京の真相」より ・・・このような写真も日本軍に強制連行されている、などと書けば簡単に騙されてしまう。
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マスコミの南京大虐殺捏造手法
南京大虐殺の真実 http://www.youtube.com/watch?v=c7CYCen8HX0(栗原さんのスケッチ 4:50あたり)
(NNNの動画のショット)
ナレーション
「栗原利一さんが書いた虐殺現場のスケッチです」「揚子江と幕府山の間の岸辺に捕虜が集められています」「機関銃を持った日本兵が取り囲んでいます」「捕虜たちには全く逃げ場がありません」「栗原さんは捕虜の人数を13,500人としています」
栗原利一さんのスケッチには揚子江に船が見える。栗林氏はマスコミ不信になり証言しなくなったが、同隊の平林氏の証言だと、「捕虜は揚子江を船で鎮江の師団に送り返す」という命令がきていた。
平林氏「・・・船がなかなか来ない・・・捕虜の方でも不安な感じがしたのでしょう。突然、どこからか、ワッとトキの声があがった。日本軍の方から威嚇射撃をした者がいる。それを後はもう大混乱です。一挙に、われわれに向かってワッと押し寄せて来た感じでした。殺されたもの、逃げたもの、水に飛び込んだ者、船で漕ぎ出す者もあったでしょう。なにしろ、真っ暗闇です。機銃はキチガイのようにウナリ続けました」
マスコミは捕虜を船で運ぼうとしたこと、捕虜が暴動を起こしたこと、日本兵にも死傷者が出たことを隠し、大虐殺にしたてあげたわけです。