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知性と恥性(痴性)

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2009/5/22(金) 午後 9:20敬天愛人の屁理屈練習用  Yahoo!ブックマークに登録
   (ご要望にお応えして・・・記事本文との関連性はありません^^;)
 

  御来訪感謝申し上げます。

 ここ数日、当ブログ記事のエントリーUPをしながらずうっと考えていたことがあります。

 それは標題にもあるように「知性と恥性」についてであります。
 勿論、「恥性」という言葉は厳密には存在しません。
 音読みでは共に「ちせい」と読むことを利用して作った造語であります。
 「恥性は、イコール痴性」と解釈しても良いのではないかと思います。

 これから先は、屁理屈を語り出したら韓国人にも負けない、不肖敬天愛人の独断と偏見による屁理屈であります。
 
 
 
私が考える「知性」の定義とは、単に無尽蔵の知識を持っているとか、深い教養を身につけているとかの次元ではなく、「恥を知る」という観念を有していることだと思っています。

 どんなに知識や教養があっても、恥を知らない人間は永遠に「知性の人」にはなれないと考えております。

 ご承知のように、日本には「恥の文化」が存在し、滔々と日本人の精神に根付いて来ました。
 恥の文化がもしなかったら、日本が世界に誇る、現在まで息づく固有の文化の大半が存在していなかったといえると思います。

 私は、「恥」とは「謙虚」と密接に結びついていると考えるのであります。

 つまり、謙虚さがあって初めて「恥を知る」ことができるのではないかと思うからなのです。

 謙虚とは、大自然や目に見えない人間世界を超越した存在(神仏)に対する畏れの気持ちから生まれる姿勢であります。

 目に見えないものを信じない者や人間の力で自然すらどうにでもなると考える者には謙虚さはありません。

 人間社会はここ100年のほどの間に、それまでの長い歴史におけるゆったりとした進歩からは考えられないほど急速な進歩を見ました。

 特にコンピューターが出現してからのこの30年のあゆみは目を見張るばかりであります。
 今や人間の力で不可能なことがないのでは?と錯覚するほどでもあります。

 したがって、これだけ発達した現代社会においては、人間が謙虚さを失いつつあるのは仕方がないことなのでは、と一定の理解を示すこともできるのですが、そこに大きな落とし穴が潜んでいることも間違いのない事実なのです。

 昨今の世相を見ると、先人達のお徳を受け継いで来た我々日本人にも「恥を知らない」者が多くなって来ました。

 一番の典型例が、多くのブロガーたちに叩かれた「ピースボート」であります。
 主催者は海上自衛隊のソマリア沖海賊対策派遣に声高に反対していたにも拘わらず、いざ自分たちがソマリア沖を航行するに及んで海上自衛隊の護衛を要請して大顰蹙を買いました。
 これなどは「自らの不明」を恥じない「恥性」そのものであります。
 こういう輩(辻元清美など)は自分たちの頭で考えたお花畑の机上論ですべてを御することができるという浅はかな考えで活動を行っている無知蒙昧さを曝け出した良い例だと思います。

 要するに謙虚さが足りないか全く無いかのどちらかなのです。

 昨日記事に取り上げた「架空の人物のエコノミスト」や小沢一郎先生をはじめとする民主党の方々も同類であります。

 考えてみれば、皆さん祖国日本を否定し外国の方ばかりを向いている方々ばかりであります。
 謙虚さとは、自らの国の成り立ちや来し方を真摯に見つめ、日本人として生まれた自分のアイデンティティを再確認することによって、自分のご先祖や先人達への敬意が自然と芽生える中で生まれるものでもあります。

 しかしながら、自らのアイデンティティーを「日本の来し方を否定し、外国の価値観を無批判に受け入れて媚を売り、自分たちの利権のために国を貶める事も厭わない」ことに求める輩どもに「知性」を見出す事は、宝くじに当たるより難しいと感じます。

 知性とは、謙虚さを持って真理を追求する事によって「恥を知ること」から得られる
ものなのであります。

 外国の論理をそのままに鵜呑みにする姿勢を横の筋目と考えます。
 しかしながら、日本人は太古の昔から「縦の筋目」を最も大切なものとして来ました。
 縦の筋目とは、自分たちのご先祖、先人達への敬意でした。
 純粋な日本人に生まれた者として、縦の筋目を最優先することが信条でありますから、日本は散々悪い事をしたと外国から言われても、「果たして、ご先祖や先人達が本当にそのような事をしたのか?」と素朴な疑問を抱き、時期は様々ですが、自ら調査・確認をするのが「日本人の知性」であると思います。
 また、それが良識ある日本国民であると断定しています。

 私は自虐教育真っ盛りの中で教育を受け、日本が戦前行った所業を「悪」と教えられ、それを否定することを「進歩的・知性的」とされて育ちました。

 しかし、長じるにしたがって、自らの目で国際社会、日本社会の現状を冷静に見るようになって数々の素朴な疑問を抱くようになりました。

 それは、何故日本人は自らを否定するのか?でした。
 隣国の中国や韓国・北朝鮮の近代史を見ても決して誇れる歴史もなく、むしろ恥ずべき歴史しかないのに、時には内政干渉ともいえる無謀ともいえる圧力を日本にかけてくる彼らの「プライド」がどこから生まれて来るのか?という素朴な疑問でありました。

 日本は、今の中国を支配している中国共産党と戦争した事実も無く、ましてや、韓国・北朝鮮の朝鮮は日本の領土内でありますから、敵国ではなかった筈です。

 例えば、喧嘩をして負けた場合、喧嘩した相手から何だかんだ言われても負けた以上従わざるを得ませんが、喧嘩相手でもなかった相手から言われる筋合いは何も無いのであります。

 言いがかりも良いところであります。

 しかし、悲しいかな、そこに自らの頭で考える知性がなければ真実を知る由もなく、相手の思うがままになってしまうのであります。

 逆に言えば、中国・韓国などは「恥知らず」なのであります。
 恥知らずの戯言に屈服することは、まさに「恥の上塗り」なのですが、知性がない連中はそれすら気付くことはできません。

 マスコミや言論界、学識経験者と称する連中もそうですが、日本を否定することが「進歩的・良識的」と中韓におだてられて悦に入っている「恥性」の持ち主たちなのであります。
 

 反日勢力(民主党含む)・左翼・マスコミ・日教組たちには「知性」は無いのであります。
 
 
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