皇族唯一の戦争犯罪人
敗戦から3か月半ほど経過した昭和20年12月3日、当時外務大臣であった
吉田茂が梨本宮邸を訪れ、総司令部からの重大な決定を伝えた。渋谷に
あった2万坪の梨本宮邸は、昭和20年5月24日の東京大空襲で二つの蔵を
残して全て焼失しており、その跡に建てられた6畳と4畳半の二間だけの小さな
仮住居に当主の守正(もりまさ)王と王妃伊都子(いつこ)の二人が住んでいた。
この日、吉田外務大臣が伝えたのは、総司令部が梨本宮を戦争犯罪人に指定
したということだった。皇族が戦争犯罪人とされることは、政府や皇室関係者が
最も恐れていた事態である。伊都子の日記によると、梨本宮はなぜ自分が戦争
責任者であるのか皆目見当がつかない様子だったという。
終戦間際に閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王が薨去となってから、
明治7年(1874)生まれで72歳の梨本宮は皇族軍人の中で最長老だった。
宮は当時皇族では唯一の陸軍元帥で、軍事参事官だったこと、また数々の
団体の総裁を務めていたことなどもあり、総司令部の目についたと思われる。
翌4日の新聞には、梨本宮をはじめとする五十九名に逮捕命令があり、出頭日
は12月12日であることが掲載された。これら一連の決定は総司令部が外務省を
経由して各人に通達され、宮内省にはなんの通知もなかった。
5日、梨本宮邸には 天皇陛下からの御見舞いで野菜一籠(かご)が届けられ、
6日には各方面からの見舞いが相次いだ。梨本宮と同妃は出頭前日の11日の
夕方、宮中に参内して両陛下に別れの挨拶をした。「このたび、戦争犯罪容疑
者としてマッカーサー指令部より出頭を命じられましたので参りますが、私として
は疑われることはなに一つありません。陛下の御名代と思って参ります」と
梨本宮が言上すると、昭和天皇は顔を曇らせ、「気の毒だね。年をとって
いるのに……。一日も早く帰られるようにとりはからうから、身体には充分気を
つけてください」と御話しになった。そして宮は毛布二枚を賜った。
宮は帰宅すると入浴を済ませ、隣家からもらった赤飯を夫婦でゆっくりと食べて
早く床に就いた。そして12日、李王家、松平慶民(まつだいらよしたみ)・宮内省
宗秩寮(そうちつりょう)総裁、松平家、広橋家、宮家職員多数が見守る中、
梨本宮は国民服に下駄姿、右手には宮中杖、左手で肌着の入った風呂敷包みを
一つ抱き、宮内省の用意した自動車に乗り込んで宮邸を出発、巣鴨拘置所に
向かった。
伊都子妃の父は侯爵・鍋島直大(なべしまなおひろ)、母は伯爵・広橋胤保
(ひろはしたねやす)の娘である。また伊都子妃の妹の信子は松平家に嫁いで
おり、信子は秩父宮妃勢津子(せつこ)の母親に当たる。そして梨本宮と伊都子
妃の間に生まれた方子(まさこ)は李王垠(りおうぎん)に嫁いでいる。この日は
各方面の親戚が一同に集まり、梨本宮を送り出したのだ。
梨本宮は拘置所の独房に入れられた。70年以上も皇族として生きてきた梨本
宮は、この日生まれて初めて身の回りのことを自分でやらなくてはいけなかった。
しかも季節は冬、拘置所には暖房はなく、老体には応える獄中生活の始まり
だった。家族の面会は許されたものの、伊都子妃の元には「金網越しだから
来るにおよばぬ」という葉書が届けられたため、ついに伊都子妃は巣鴨拘置所
に出かけることはなかった。金網越しの囚人服姿を家族に見せるのには抵抗が
あったのだろう。そのため伊都子妃は拘置所内の梨本宮の様子を人、づてに
聞くのみだった。
梨本宮は間もなく独房から移され、若い士官と同室になった。若い士官は親切に
梨本宮の身の回りの世話をしたと伝えられている。しかし季節は真冬、暖房の
ない拘置所の寒さは72歳の老体には酷だった。梨本宮はこれまで寒冷地での
演習を何度も経験してきたものの、手に霜焼けができたのはこのときが初めて
だった。
梨本宮が釈放されたのは、桜も散った昭和21年(1946)4月20日のことだった。
前の座席に米兵二名、そして後部座席に宮を乗せたジープが何の予告もなく、
梨本宮邸に現れた。宮はご自慢のお髭をピンとさせ、胸を張って堂々と座席に
腰掛けていた。宮の帰りを待ちかねていた伊都子妃が、「お帰りなさいませ」と
声をかけると、宮は「ウム、今帰った。変わりないか」と答えた。なんの変哲も
ない会話であるが、二人がお互いの存在を確かめ合うにはこれで十分だった。
伊都子妃は胸がいっぱいになった。夫婦はこうして四か月ぶりの再会を果た
したのである。
仮家の小さな玄関に腰を下ろした梨本宮が最初に求めたのは風呂に入ること
だった。風呂といっても、仮家の脇にトタン板で囲った粗末な風呂である。
その風呂が沸かないうちに李王家の二人をはじめ、松平家、鍋島家からも
続々と身内が集まりだした。梨本宮は散髪と入浴の後、乾杯の食膳に着いた。
ご馳走もお粗末なものだったが、梨本宮家には久しぶりに笑いが満ち溢れた。
宮の釈放がラジオで伝えられると、宮邸の電話は鳴りっぱなしだったという。
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より