Quantcast
Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

[転載]日本語とメール

$
0
0
http://img5.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a2/99/sort5694/folder/262526/img_262526_17118234_0?20120328041237

  御来訪感謝申し上げます。

 今日は日曜日ということもあり、日頃の政治関連のエントリーとは趣を変えた記事を上梓させて頂きたいと思います。

 休日の今日、たまたまテレビを観ていたら「携帯電話の可能性」というテーマの番組がありました。

 当然、今や現代人にとっては携帯は必須のアイテムであり、携帯電話といってもまだ、ヤクザか悪徳ブローカー、はたまた土建屋か公的な立場のVIPしか使っていない頃から、携帯を所有していた不肖敬天愛人にとっても携帯の機能のめざましい進歩には驚くばかりであります。
 私が携帯を初めて所有したのは今から17年前のことで、電話回線を1本開設するほどの費用もかかり、まだ通話可能区域も限られ、地方に住む者としては携帯を所持していること自体が特別な目で見られるという時代でもありました。

 そんな時代から携帯を使用している立場の者としても昨今の携帯の進化には、むしろ追いていけないくらいの戸惑いを感じています(汗)

 今から34年前に私は大学に入学しましたが、入学してすぐにたまたま誘われて「言語学研究会」というサークルに入りました。
 そのサークルで、いろいろな研究成果を書類にして発表しなくてはならないのですが、当時はワープロもパソコンもなく日本語タイプライターしか存在しませんでした。

 その時、私は実家が「英字タイプライター」を販売していたので、漢字・ひらがな・カタカナの3種の文字を使い分けなくてはならない日本語を使う日本人に生まれた事を非常に不便に思った記憶があります。

 英語ならアルファベット26文字でことが済むわけですから、英字タイプライターでどんどん文書なり手紙を作成できる訳であります。

 しかし、複雑且つ奥深い文字体系の日本語の場合、タイプで打つ労力はその数倍もの時間を要します。

 これでは時間効率を考えても手書きで書いた方がどれだけ時間の節約になるか!と真剣に日本語を恨んだものです。

 しかし、その後日本語ワードプロセッサーができ、それでも不便な思いをしている内にパソコンが誕生し、日本語で文書を作成することが飛躍的に早くなりました。

 携帯電話という場所を選ばずに連絡を取り合えるツールが出来た事も画期的なことではありますが、電話でメールという「文書通信」が可能になったことは、今までの経緯を知っているアナログオヤジとしては感無量の思いがあります。

 さて、本題であります。
 
今、IT時代と言われて久しいですが、ITを代表するPCネット、携帯ネットを世界で一番活用しているのが日本人であるという現実が存在します。

 それはブログ・メールというIT時代の申し子とも言うべきツールを日常的に取り込んで生活の一部とさえなっているのが日本社会なのだそうです。

 確かに言われてみれば、単に会話だけでなく相手の状況を考慮してメールを送る携帯メールや、書類・画像等の資料を添付してのPCメールのやり取りなど、公私を問わずITをフルに活用している日本人の実態がそこにはあります。

 ブログの件数、メールの数のを合わせるとIT世界に占める日本語の占有率は世界トップだそうであります。
 日本語を駆使する人口の割合は世界の人口に比して微々たるものでしょうから、驚異的な現実であると思います。

 その背景はどこにあるのか?という考察が先に紹介した番組だったのです。

 皆さんが学校時代古文や日本史で学んだように、今から千年以上も前の昔平安時代、特に娯楽や楽しみもなかった頃、人々が夢中になれる世界は「男女の恋愛」であり、男と女が意志を疎通される唯一の手段が、互いの思いを込めた「31文字で彩る和歌の世界」でありました。
 つまり、どこぞに美しいおなごがいると聞き及べば「和歌」を使ってアプローチを試みていたという事であります。
 そのために和歌を届ける「文の配達人」が存在し、今の郵便屋さんのように単に文を届けるだけでなく、その「返歌」を持って依頼人にお返しをする役目もあったそうです。

 また、デコメールの原型ともいえる、文に花を纏わせて贈る風習もあったそうであります。
 花にはそれぞれ「花ことば」がありますから、互いに相手への思いを花ことばに託し、さらに和歌に思いのたけを表現してお互いのコミュニケーションを取っていたのです。

 ここに、日本を愛してやまない敬天愛人としては日本語の完成された文化の高さを見る
のであります。
 敷島の国と言われるように、四季が明確に存在し季語や枕詞等々、それぞれの季節を背景にした薫り高い言葉を以って、心を通い合わせていた伝統が今につながっていることなのでしょう。

 世界に比類の無い日本語の崇高さを改めて再認識するものであります。

 言語としても文語としても奥深い完成された言葉である日本語だからこそ、言葉が文化にまで昇華し、その文化が今のIT時代においても生き続けているのも日本人のひとつの誇りであります。

 高校生や若者を中心としたメール文化にしても「千年の昔から」の伝統文化が息づいているのであれば、「文字」を使ったコミュニケーションに目くじらを立てる必要も無く、むしろ、それをもっと文化的にも次元の高いものにして行くことを考えるのが我々大人世代の役目ではないか?と思った次第であります。

 これほど、国民全体が母国語を駆使してコミュニケーションや文化を形作れる社会は日本だけの特典であり、日本人の有利性であると思います。

 ブログという活字を基にした表現手段を媒体にして、未知の人々とのコミュニケーションを模索する者としては、日本語の使い手として生まれた僥倖を実感するのであります。

 同時に、世界に誇れる文化力を持つ「日本語」という言葉を大切にしていきたいと改めて切実に感じるのであります。


 【お勧めサイト】
  http://polestar.0510.main.jp/ 

  

   ※人気ブログランキングに参加しています。
       下記クリックのご協力をお願い申し上げます。

転載元: 敬天愛人(東北の片田舎から憂国の発信)


Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>