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[転載]皇族内閣の組閣    「占領下の皇族」

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皇族内閣の組閣
 
 
組閣本部は赤坂離宮に決まった。宮は学習院時代からの古き友人である
近衛文麿を組閣の相談役だけでなく、内閣に入ってもらいたいと考えた。
木戸に招致を頼み、内閣書記官長〔現在の官房長官に該当する〕には穏健なる
新聞人として知られた緒方竹虎を登用することにした。

緒方は現在国際協力機構「JICA」の理事長を務める緒方貞子氏の義父に
当たる。近衛は午前11時頃に到着して入閣することが決まり、緒方は午後2時
頃に到着し、国務大臣として内閣書記官長に就任することを承諾した。政治家
たちを知らない東久邇宮は、木戸内大臣と石渡荘太郎(いしわたりそうたろう)
宮内大臣の意見を参考にしながら閣僚の人選をするように近衛と緒方に命じた。

東久邇宮らは閣僚候補者を決めて、就任の交渉をするために招致しようとした
。しかし、東京はほとんど電話が繋がらない状況にあり、電車も不通のところ
が多い有様だった。そのため陸軍から自動車を数台借り受け、手紙を持たせて
家に行き、その車で組閣本部に来てもらうことにした。だが侯補者のほとんどは
疎開していて、その疎開先に車を送るも、そこからさらに疎開している場合も
あったため、作業は難航した。

近県に疎開している候補者へは内務省の警察電話で連絡をとり、遠方に疎開
している人は侯補者から外した。組閣初日のこの日、東久邇宮は午前2時頃に
麻布の住友家に帰宅した。既に新内閣のおおよその顔ぶれが見え始めていた。

組閣本部の赤坂離宮から霊南坂辺りまでは完全な焼け野原になっていたが、
灯火管制中であるため、街は暗闇に支配されており、空の星ばかりが輝いて
いた。疲れきった東久邇宮は午前3時に寝床に就くもなかなか寝つかれない。
宮は床の中で、四半世紀前にフランスに留学していたときの、ほとんど忘れ
かけていた奇妙な体験をふと思い出した。

当時パリに評判のよい老婆の易者がいて、まだ30代半ばの東久邇宮がふざけ
半分でその老婆を訪ねたときのことである。宮は自分のことを「日本の画家で
ある」と言って身分を隠したところ、老婆は手相を見るなり「それはウソだ」と言い
、続けて「あなた、将来日本の総理大臣になる」と断言したという。宮は、自分は
日本のプリンスであり、政治にかかわることは禁じられているから、総理大臣
などにはなれないと説明したのだが、老婆は引き下がらず「いや、今に日本には
大革命か大動乱が起こる。そのときに必ずあなたは総理大臣になる」と言い
張った。東久邇宮はこの話をすっかり忘れていたのだが、老婆の予言が当たり
「薄気味悪く感じた」と日記に記した。

翌17日の午前中に閣僚全員が決定した。陸軍省は古い慣例にのっとって、
陸軍大臣には三長官の推薦する土肥原賢二(どいはらけんじ)大将を推薦
したが、東久邇はこれを撥ねつけ、宮の幼年学校時代からの友人下村定
(しもむらさだむ)大将を陸軍人臣とした。しかし下村は満州(中国東北部)
にいたため、当分の間は首相が陸軍大臣を兼任することになった。

東久邇宮は午前10時、皇居に参内して 昭和天皇に閣員名簿を奉呈し、
組閣は完了した。昭和天皇は組閣が迅速に行なわれたことを御喜びになった。
皇居を後にした東久邇宮は、陸軍大臣として市谷にある陸軍省を訪れて
訓示をし、続けて総理大臣として首相官邸の総理大臣室に入った。
首相としての仕事が始まった。


                  
                                   竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より


転載元: サイタニのブログ


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