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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]「皇族の三人や五人死ね」 終戦と皇族

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「皇族の三人や五人死ね」
 
 
竹田宮恒徳王は大本営に勤務していたとき、第一線の実情を知るために
前線に行くことをしばしば願い出るも、毎回聞き入れられることはなかった。
しかし、ニューギニア、ソロモン方面の戦線をどうするかの決定をするために、
参謀次長と軍令部次長がラバウルの前線司令に出向くとき、竹田宮は強い
態度で随行を願い出た。
 
 
そのときの様子を辻政信中佐「当時」が次のように記している。
「第一部長綾部中将が、幕僚数名と共にラボール(ラバウル〉に出張されるとき、
真先に志願されたのも殿下(竹田宮恒徳王)であつた。
 
 
併し、杉山総長と、東條大臣は頑として肯かれない、<中略>此の日の殿下は
血相さへ変つてゐた。眼に涙を浮べながらラボール行きの選に漏らされた
事を慨いてゐられる。「班長さん<辻正信のこと>、御願ひです。私を、ラボールに
やるよう、総長・大臣に班長から是非もう一度、申上げて下さい。
 
私が皇族なるがため、当然なすべき仕事をさせて貰へないなら、今すぐ
大本営参謀をやめさせていただきます。
 
この大戦争に、もし明治天皇様がお出になりましたら、きっと、
皇族の三人や五人死ね!と仰言るでせう」(辻政信『ガダルカナル』)

竹田宮の迫力に押された辻中佐は杉山元参謀総長を説得にかかった。
話を聞き終えると杉山はしばらくうつむいて考え込み、万一のことがあったら
切腹する覚悟を決め、涙をぬぐいながら「さうか、それほどの御決心か!」と
言い、今度は杉山が東条陸軍大臣を説得に出掛けたという。戻った杉山は
辻に「大臣も、泣いてゐたよ……」と伝えた。
そしてついに竹田宮は海軍の水上機でラバウルに向かった。
 
 
「皇族の三人や五人は死ね」というのは明治天皇の皇女である竹田宮妃昌子が
息子の恒徳王にしたためた手紙の中の一節であった。昌子内親王はそのほか
にも、「皇族だからといって甘えるようなことをしてはなりませぬ」「けっして死を
恐れてはなりませぬ」などと手紙に書いて外地の戦場にいるわが子を励ました。
 
 
また、竹田宮の祖父に当たる北白川能久親王も台湾への出発に際して
「今回の如き国難に際しては皇族の一、二人は戦死する位ゐの覚悟なかる
可らず」と述べたことが伝えられている。




続く




                                              竹田恒泰著  「皇族たちの真実」より



転載元: サイタニのブログ


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