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談合は税金の無駄づかいにもつながり、公共のメリットを損なう非常に悪質な行為です、は本当?
オンブズマン市民連絡会議という名の左翼的市民 目的は日本破壊?
談合。 今ではマスコミの報道姿勢を受けて、すっかり悪のように叩かれています。
しかし、談合はもともとは商人の生活の知恵、助け合い精神という面がありました。それはお互い分け合っていこうという非常に日本的な知恵でありました。
談合の意味は「話し合って決める」ことであり、聖徳太子の十七条憲法以来、「話し合って決める」というのが日本人の知恵になっているわけです。
競争原理・市場原理のもと、自分だけがという競争一辺倒、何事も戦って白黒はっきりつけて、勝った者が総取りするというのはアングロサクソン系の文化であって、そこには分け合うという考えはありません。しかし、農耕民族の日本人は自分だけがいい思いをするのではなく、話し合いで利益を広く薄く分け合って共存共栄をはかろうとしてきたのです。談合は誰も騒ぎ立てることのない、古くからの日本人の商習慣であり、慣習の一種でありました。そして、そういうことはあえて触れないことこそ日本の精神でありました。
問題は、談合が「伝統の知恵」なのか「排除すべき悪癖」なのかという点です。
談合がいけないことと声高に言われるようになったのは何故でしょうか。
マスコミで言われているのは、「談合で業者が公共事業を高額で落札することによって暴利をむさぼっていて、それが税金の無駄遣いとなり国や地方の財政を悪化させる原因になっている」ということです。
マスコミで言われているのは、「談合で業者が公共事業を高額で落札することによって暴利をむさぼっていて、それが税金の無駄遣いとなり国や地方の財政を悪化させる原因になっている」ということです。
よく公共事業が原因で借金まみれになったとも言われてきました。こう言われれば日本人は「そうだ!」と思うでしょう。これは民主党も言ってきたことであります。
しかし、実際は、国の借金は公共事業ではなく社会保障費が原因であるのです。
また、公共事業の工事費は他国より高くて建設業者が不当に儲けているとも言いますが、これも日本固有の理由があるのです。道路を他国と比較した場合、日本は土地の買収費用がかかり、トンネルや橋が多いこと、地震対策もしなければならないなど、他国では不要なコストがかかるので必然的に高くなります。他国と同じ条件ならば差はないのです。しかし、これらを国民に知らせず伏せておきながら、「公共事業は無駄だ」というのは明らかにおかしなことなのです。
また、談合によって膨大な額の税金が無駄使いされたというのはどうでしょう。
ほとんどの業者は、ぼったくる目的ではなく、共存共栄のため、広く薄く利益を分け合うために談合があるのであって、暴利をむさぼっているわけではありません。
しかも、公共事業はすでに予定価格が事前に決まっており、単価も公表されている中で、マスコミが言うような談合による暴利をむさぼるのは不可能です。
しかし、実態を知らない国民はマスコミの言うがままに乗せられて、おかしな正義を振りかざさせられています。
また、この公共工事というのは建設業をはじめとした建設関係にだけにお金が回るわけではありません。子供手当(今度は児童手当に名称変更)、高校無償化などの社会主義的政策によるお金が回らない無駄使いとは全く違うのです。
建設関係は仕事が増えると、当然、建設関連の業界への仕事が増え、雇用も増え、車も買い替え、建設機械も買い替え、不動産、弁当、写真、花屋、作業服、事務用品、さらには接待のための飲食業界、特に官官接待もあえて叩く必要などなく暗黙でやらせれば高級料理屋でもお金を使い、これらは食材業者にもどんどん波及していきます。夜の業界も当然潤うわけです。
公共投資は民間に与えて、これらさまざまな業界にお金が循環して益々膨らんでいくのです。こういうことを乗数効果といい、経済が活性化し経済成長していくのです。当然その地域の税収も増えていくのです。
今の日本は変えていくことが”よい”という勘違いの風潮があります。
「改革」という名のもとにどんどん新たに変えてきたのも事実です。
橋本内閣の行政改革、小泉内閣の構造改革から、今も、社会保障と税の一体改革、年金改革、財政改革、公務員制度改革、・・・。何でもかんでも改革、改革の日本です。
しかし、冷静になってよく考えてほしい。今までも改革といってはさまざま変えても、それによって日本はよくなったのでしょうか。
よくなったどころか、日本はよきものを失い、社会主義国家に邁進しているとしか思えないのです。
昔は厳格な祖父母と両親、先祖代々がそうであったように質素、倹約、勤勉を美徳とし、国や社会への何がしの貢献で名誉を得ることを家の誇りとしたものです。
しかし、日本は大家族から核家族、日本人は脈々と受け継いできた倫理観や道徳観を失い、国は変形してしまったのです。この上さらに改革と言って、どんどん違う方向へ変形していくことは日本にとって決してよいことではないと思います。変えなくていいものを変え、削減すべきでないものを削減してきた日本。そこには政治の判断基準が間違っていたといえるでしょう。
「古い体質を変える」、「改革だ」、とは言っても、古きに戻ろうとは言わない。
変えることが何かよくなると勘違いしているのです。
日本がやるべきことは変形していく改革ではなく、古きに戻ること、原点回帰ではないでしょうか。
批判を承知であえて談合ということを書かせて頂きましたが、しかし、私が言いたいことは談合を正当化しようとしているのではなく、日本は日本的なものを失っていくばかりで本当によいのか、もう考えてみる時期にあると思うのです。
日本は日本的なものを失ってよくなるわけがありません。変えるではなく戻るという発想も持ちたい・・・
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