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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]NHKの毎日繰り返される放射線量公表は必要か? 国益よりも、真実よりも、日本を核アレルギーに誘導してきたマスコミ。民主政権とマスコミと反核運動者たちの日本弱体作戦で日本はダメになる。

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本日も渡部昇一氏の『原発興国論』(WILL 20124月号)から一部掲載させて頂きます。
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敗戦後の日本人男子はだらしなくなったと言われる。
なにしろ、二百万人以上の最も身体能力に優れ、気迫も忍耐力もある青年が戦死した後だから仕方がないともいえる。
しかし、そこで生き残った人たちは「死んだ者の分まで頑張ろう」と言って、国土復興と経済再建を成し遂げた。戦後の日本から出た新技術・新製品も実に多かった。
 
しかしその一方、常に「栄えゆく日本」を呪詛(じゅそ)し、その足を引っ張る言動や運動をしてきた勢力があった。それは、日本が独立回復を成し遂げたサンフランシスコ講和条約に反対した共産党や社会党の系統の人たちと、全面講和という美辞のもとに日本の独立回復に反対した学者とその系統の人たちである。
 
イメージ 2東日本大震災の時の日本政府の中心にいた人たちの多くは、その系統の人たちであった。
菅総理も学生運動ではゲバ棒組であり、「産学協同反対」の運動をしていた。これは産業界に大学、つまり学者は協力してはいけないということで、資本主義日本の産業の弱体化と日本の窮乏化を目指した運動であった。
この人たちは本能的に日本に害をなすことに熱心のように見える。そしてその背後には、いつでも隣国の手がチラチラ見え隠れする気がする。
 
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まだ吉田茂が総理だった昭和293月にビキニ環礁で行ったアメリカの水爆実験で、第五福竜丸が被災した。この船長さんは知っての上で禁止海域の境界に近づき、核の灰をかぶった。
乗組員全員28人がベータ線熱傷を受けた状態で母校の焼津に戻り、肝炎ウィルスに汚染した買血輸血の治療を受け、17人が肝臓障害を起こし、そのうちの一人、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。
その死因は肺炎であり、放射能でなかったことを高田純博士が検証している。
しかし、世は原水禁運動・反核運動花盛りの時である。この人たちの中には、社会主義国(ソ連や中国)の核爆弾はきれいだが、アメリカのは悪いというようなトンチンカンな人たちもいたほど反米親共であった。これにマスコミは乗っかっていた。
それで、久保山さんは買血による肝炎という本当の死因は隠されて、核爆弾の放射線によるものとされ、反米運動のシンボルにされてしまった。
久保山さんは静岡漁民葬になり、木下航二作曲の「原爆許すまじ」のコーラスで送られた。
日教組はこれを反原発・放射能恐怖・反米という三位一体の教育方針に利用した。
 
その時の子供たちは今や大人になって、福島の放射線に神経症的反応を示しているのである。
当時の騒ぎは大したもので、マグロ(第五福竜丸はマグロ漁船)も食べてはいけないというような話だった。世論は滔々(とうとう)として放射線恐怖を煽る方に流れた。
マスコミは反米、反自民を反核と一緒にした(といっても、ソ連や中国の核開発への反対運動があったという記憶はない)、その煽りをくらって悲しい最期を遂げたのが原子力船「むつ」であった。
 
この船は昭和44年、佐藤栄作内閣の時に東京湾で進水し、青森県大湊を母港にしていたが、5年後に北太平洋で放射能漏れを起こした。それはレントゲン1回分にもならないほどのものだったらしいが、マスコミが騒ぎたて、寄港できなくなった。
ある社会党の代議士などは「放射“能”がだんだんたまっていって、しまいに爆発し、そこらの村民はみんな死んじゃうぞ」と言った。放射“能”と放射“線”の区別もしない乱暴な話だったのだが、それが通用したのだから恐ろしい。
それで、時の田中角栄内閣の自民党総務会長・鈴木善幸が、陸奥湾の帆立貝漁へ被害がないのに補償金を払って帰港させてもらったが、2年半以後は大湊を母港にしないという約束までさせられた。
被害がないのに補償金を貰うという発想も情けないが、そこまで核アレルギーを日本人に起こさせた左翼的マスコミと反核運動者たちの方が恐ろしい。
これで、日本では原子力船はつくれなくなってしまった。原子力船「むつ」が運航され続け、実験を繰り返せば、今頃は日本にも原子力潜水艦もできていたであろう。
これほどわかりやすい国防手段・対中抑止手段もなかったと思われるのだが。
日本の「むつ」を葬ったマスコミや反核団体は、中国の核実験、核爆弾に反対する運動を起こしたというのは聞いたことがない。
 
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福島原発事故は、政府とマスコミ、そして事故直後に“万歳”をした市民団体の撒き散らした放射線恐怖のために善良なる日本人は不安を煽られ、周辺自治体の農産物、海産物、酪農、工業製品にまで放射能の汚染を心配され、風評被害に遭ってしまいました。
いい加減な放射能恐怖のため日本の国益は大きく損じたのです。
 
渡部氏はこう指摘しています。
「福島第一原発では核分裂反応が、地震が来る前の余震はをキャッチして自動停止したため、原子炉の爆走はなく、急性放射線障害となった職員はおらず、その原因で亡くなった人はいない」
 
「地上よりも宇宙で放射線が高いということは常識である。毎時0.045ミリシーベルトを浴びるという。宇宙飛行士の古川聡さんが半年で帰った時は、180ミリシーベルトの放射線を浴びていたことになる。
女性宇宙飛行士もいて、地球に帰ってからお産をしているが、奇形児が生まれたという話はない。
NASAの宇宙機関飛行士の健康データは、行く前よりも良くなっているという。そうでなければ、アメリカみたいな人権にうるさい国が継続的に宇宙飛行士を送り続けることができるはずがない。
こんな事例を出せばきりがないようだ。ラジウム温泉やラドン温泉はいずれも放射線温泉で、通常の環境の200倍くらいの放射線量がある。たとえば、鳥取県の三朝(みささ)温泉地区と全国平均のがん死亡率を比べると、三朝温泉の人たちは半分以下であり、特に大腸がんが五分の一以下というデータが出されたこともある。三朝温泉周辺の人たちの場合でも、全国平均より20%から30%、死亡率が低いといわれる」
 
私の住む地域も東日本大震災の被災地であり、福島原発事故直後から放射線量は増えており、測定器で測ると海岸では常にブザーが鳴りっぱなしで、メーターを振り切った時もありました。
建設業を営んでいるため、あの震災の翌日から休むことなく毎日、海岸や道路、港湾などの緊急作業、そして復旧に当たっておりました。もちろん誰ひとり欠けることなく全員が必死で危険の最前線で働いていました。その間、放射能は相当浴びたことでしょう。
ある社員がこう言いました。「毎日、無料で放射線治療を受けられる」と。
今現在、誰ひとり異常もなく健康で、みんな元気で復旧・復興に当たっております。
 
しかし、地元NHKニュースは毎日飽きもせず「県内各地の放射線量」というのを今も垂れ流しています。数値は毎日ほぼ同じ。しかも「人体に影響を及ぼすことはない」と繰り返す毎日です。
「もう必要ないだろう」と思いつつ、これは一体何のためにやっているのでしょう・・・?
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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