タイトルにしたのは、言うまでもないかも知れないが、中島みゆきの歌「ファイト!」の一節。此の一説に私の言いたい事はほぼ集約されているので、先ずはこの歌詞を想起させた朝日の社説から御一読願おうか。
転載開始=========================================
朝日社説 夏の電力需給―第三者機関で検証せよ
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
欧米の原発関係者が不思議がっているという。日本で54基ある原発のほとんどが止まっているのに、電力がまかなえていることについてだ。確かに昨夏もこの冬も、電力不足が言われながら、大きな停電は起きていない。先日も日本列島を寒波が襲ったが、暖房を止める必要はなかった。その理由として、まず国民全体の節電努力がある。電力会社も、ガスタービンなど臨時の設備を増やしたりしている。しかし、そもそも日本の電力設備自体が過剰だったといえるのではないか。電力会社は、最も電気が使われる季節・時間帯の「ピーク需要」にあわせて発電所を増やしてきた。設備投資を料金に転嫁できる「総括原価方式」がこれを後押しした。発電所の稼働率が諸外国に比べて低いのは、そのあらわれだ。需要見積もりも不透明だ。政府の見通しでは、今夏、2010年並みの需要があった場合、原発がないと日本全体で約1割の電力が不足する。ただし、昨夏並みに需要が抑えられれば、何とかまかなえる水準になるとも指摘している。だから、実際に電力不足が言われても、「原発を動かしたい電力会社が需要を過大に見積もっているのではないか」との疑念が晴れない。私たちは昨夏の電力需給の実態や今後の見通しについて、詳細な分析を求めてきた。だが、電力各社は口を閉ざしたままだ。彼らの「電力不足」を、うのみにはできない。政府は、電力需給について第三者の立場からチェックする外部委員会を設けるべきだ。参考になるのは、原子力や火力など電源別の発電コストを洗い直した政府の「コスト等検証委員会」だ。立場の違いを超えて学者や専門家が集まり、徹底討論や詳細な情報収集を通じて統一見解を導き出した。電力需給でも、電力各社の提出する電源別の供給能力や発電計画、利用者への働きかけなどを専門家たちが検証する。企業が所有する自家発電をもっと活用するよう促すほか、他社との電力融通を念頭に、各発電所の稼働率や定期検査時期を調整し、広域でやりくりする。いざというときに電力を減らしたり止めたりする代わりに料金を割り引く大口顧客との「需給調整契約」を徹底し、ピーク時にどれだけ電力確保ができるか調べておく必要もあろう。電力需給の情報は、電力会社の独占物ではない。政府は情報公開を徹底させるべきだ。
=================================転載完了
所詮は「戦わぬ」奴バラよ
さて、如何であろうか。
本記事のタイトルにもした中島みゆきの「ファイト!」の歌詞に擬えて言うならば、マスコミなんてのは所詮「戦わない奴ら」の集まりなのである。社会の木鐸として無知蒙昧を啓き、一般大衆に先駆けて警鐘を鳴らすと言うのは、マスコミの理想状態で、あるべき姿ではあるが、これが実現された例は誠に稀有である。暁天の星よりまだ少ない。
例えば、ベトナム戦争における報道が米国の厭戦感情を煽って遂には南ベトナム撤退に至らしめたのは、そんな稀有の例の一つとされる。が、其れはどう贔屓目に見たって「米国マスコミが戦い、社会の木鐸としての責を果たした」例にしかならず、日本のマスコミはただその尻馬に乗っかっただけ。一寸穿った見方をすれば、日米始め西側自由世界のマスコミは、まんまと共産主義世界の宣伝戦術に引っかかっただけ、である。
であるならば、日本のマスコミが「戦わない」ことを憤ったところで、特にそのマスコミの権化とも言うべき朝日新聞に憤ったところで虚しいばかり、とは判っているのだが、それにしても此の社説は・・・・看過しかねる。
本文で千字ほどの当該社説だが、要約すれば以下の数行となろう。
(1) もうすぐ54基ある日本の全原発が止まるが、電力不足には至っていない
本記事のタイトルにもした中島みゆきの「ファイト!」の歌詞に擬えて言うならば、マスコミなんてのは所詮「戦わない奴ら」の集まりなのである。社会の木鐸として無知蒙昧を啓き、一般大衆に先駆けて警鐘を鳴らすと言うのは、マスコミの理想状態で、あるべき姿ではあるが、これが実現された例は誠に稀有である。暁天の星よりまだ少ない。
例えば、ベトナム戦争における報道が米国の厭戦感情を煽って遂には南ベトナム撤退に至らしめたのは、そんな稀有の例の一つとされる。が、其れはどう贔屓目に見たって「米国マスコミが戦い、社会の木鐸としての責を果たした」例にしかならず、日本のマスコミはただその尻馬に乗っかっただけ。一寸穿った見方をすれば、日米始め西側自由世界のマスコミは、まんまと共産主義世界の宣伝戦術に引っかかっただけ、である。
であるならば、日本のマスコミが「戦わない」ことを憤ったところで、特にそのマスコミの権化とも言うべき朝日新聞に憤ったところで虚しいばかり、とは判っているのだが、それにしても此の社説は・・・・看過しかねる。
本文で千字ほどの当該社説だが、要約すれば以下の数行となろう。
(1) もうすぐ54基ある日本の全原発が止まるが、電力不足には至っていない
(2) 上記(1)は国民全体の節電努力と、電力会社のガスタービン火力発電稼動などの努力のお陰である
(3) そもそも日本の電力設備自体が過剰だったといえるのではないか
(4) 電力会社は、最も電気が使われる季節・時間帯の「ピーク需要」にあわせて発電所を増やしてきた
(5) 電力会社は電力受給見通しを公開すべきだ
(6) 政府は、電力受給見通しを第三者機関で検証すべきだ
(7) 電力会社は、原発を動かす為に電力需要を過大視してきたのではないか。
さて、斯くも言いたい放題の朝日社説であるが、では、昨年3.11東日本大震災と、その後の津波及び福島第一原発事故に煽られた放射能アレルギーと反原発ヒステリーに拠って、定期点検に入った原発がそのまま再稼動せず、現状に至るまでの間、東電を含む電力会社各社は何をしていただろうか。当該朝日社説が「原発を動かす為の電力需要過大視を疑い、電力受給見通しに第三者の監査を求め、日本の電力設備過剰を疑っている」所の電力会社は。
無論東電には、福島第一原発事故収束へ向けての作業と言う大仕事があった。が、東電も、他の電力会社も、火力発電所に予定外の燃料を供給し、旧式な火力発電所を再稼動させるなどしていたのではないか。他でもない、電力不足を生じさせず、停電と言う事態に至らせない為に。
電力の安定供給が、電力各社の最大の使命であるが故に(*1)。
上記(2)で朝日社説も認める通り、国民の節電努力と相まって、各電力会社は美事にその使命を全うした。国民と各電力会社の「戦い」=努力の結果である。
その戦いに払った代償のひとつが、電力各社の経営悪化であり、電気料金の値上げである。「設備投資を料金に転嫁できる「総括原価方式」がこれを後押しした。」等と朝日社説は呑気に抜かすが、「総括原価方式」ではなく設備投資が料金に転嫁できなかったら、電力各社は停電を阻止し、電力不足を回避するだけの火力発電所稼動・再稼動を為しえただろうか。
言い換えれば、総括原価方式で地域割り独占体制であるからこそ、電力各社は此処まで戦え、電力の安定供給と言う使命を達成した。尚且つ、電力各社は確かに戦ってきたし、今も戦っているのである。
翻って、朝日新聞はじめとしたマスコミは何をしている。節電キャンペーンの一つぐらいはやったかも知れない(*2)が、大半は記事を売る為に放射能の恐怖を煽り、其れに拠って原発を止めているのだから、少なくとも「電力会社の戦い」逆に言えば「国民の節電努力の戦い」を妨害しかしていない。
その挙句に、電力不足を回避したと言う、国民の節電努力と電力会社の努力の賜物を取り上げて「発電設備が過剰だったのではないか」と抜かすのだ。
無論東電には、福島第一原発事故収束へ向けての作業と言う大仕事があった。が、東電も、他の電力会社も、火力発電所に予定外の燃料を供給し、旧式な火力発電所を再稼動させるなどしていたのではないか。他でもない、電力不足を生じさせず、停電と言う事態に至らせない為に。
電力の安定供給が、電力各社の最大の使命であるが故に(*1)。
上記(2)で朝日社説も認める通り、国民の節電努力と相まって、各電力会社は美事にその使命を全うした。国民と各電力会社の「戦い」=努力の結果である。
その戦いに払った代償のひとつが、電力各社の経営悪化であり、電気料金の値上げである。「設備投資を料金に転嫁できる「総括原価方式」がこれを後押しした。」等と朝日社説は呑気に抜かすが、「総括原価方式」ではなく設備投資が料金に転嫁できなかったら、電力各社は停電を阻止し、電力不足を回避するだけの火力発電所稼動・再稼動を為しえただろうか。
言い換えれば、総括原価方式で地域割り独占体制であるからこそ、電力各社は此処まで戦え、電力の安定供給と言う使命を達成した。尚且つ、電力各社は確かに戦ってきたし、今も戦っているのである。
翻って、朝日新聞はじめとしたマスコミは何をしている。節電キャンペーンの一つぐらいはやったかも知れない(*2)が、大半は記事を売る為に放射能の恐怖を煽り、其れに拠って原発を止めているのだから、少なくとも「電力会社の戦い」逆に言えば「国民の節電努力の戦い」を妨害しかしていない。
その挙句に、電力不足を回避したと言う、国民の節電努力と電力会社の努力の賜物を取り上げて「発電設備が過剰だったのではないか」と抜かすのだ。
1> 電力会社は、最も電気が使われる季節・時間帯の「ピーク需要」にあわせて発電所を増やしてきた。
当たり前ではないか。何度も書くのでもう書く方も飽き飽きだが、現状に於いて大容量電力を貯めておく方法は「揚水式ダムの水量」でしかない。貯めておける量も少なければ、効率も悪い。現時点と少なくとも当面の間、大容量蓄放電技術が開発されて普及するまでの間、電力と言うものは「需要に応じて発電する他ない」商品だ。「「ピーク需要」にあわせて発電所を増やす」のは当たり前で、増やせなくて供給が不足すればどこかが停電する事になる。震災直後のまだ火力発電増強等が整わなかった頃の「計画停電」さえ、「計画外停電」はなかったというのに「無計画停電だ!(*3)」等と非難されたのは、それだけ今までの電力供給が極めて安定していた証左であろう。
逆に電力会社がその発電能力に応じた電力需要圧縮を訴えると言うのは、如何に異常事態・非常事態かと言う事に気づかないのか。今、日本の原発が完全停止しつつあるというのは、正にその異常事態・非常事態である。
で斯様な事態の下で朝日社説と来た日には、「夏の電力受給を第三者機関に検証させろ」と堂々と抜かすのである。要は「仕分け作業」を電力需要に対して実施しろと言う事であろう。
その効果も、弊害も、「仕分け作業」と同列になるだろうな。
長々と駄文を連ねたが、最初に宣告したとおり、私の言いたい事はタイトルにした中島みゆき「ファイト!」の一節に、やはり尽きるようだ。
戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。
電力各社は戦っている。国民もまた、節電努力と言う形で戦っている。
朝日新聞は、戦っていない。「そもそも電力設備が過剰」「電力需要の第三者検証」等と囃し立て、笑っているが、笑う資格なぞあるものか。
如何に、朝日社説。
当たり前ではないか。何度も書くのでもう書く方も飽き飽きだが、現状に於いて大容量電力を貯めておく方法は「揚水式ダムの水量」でしかない。貯めておける量も少なければ、効率も悪い。現時点と少なくとも当面の間、大容量蓄放電技術が開発されて普及するまでの間、電力と言うものは「需要に応じて発電する他ない」商品だ。「「ピーク需要」にあわせて発電所を増やす」のは当たり前で、増やせなくて供給が不足すればどこかが停電する事になる。震災直後のまだ火力発電増強等が整わなかった頃の「計画停電」さえ、「計画外停電」はなかったというのに「無計画停電だ!(*3)」等と非難されたのは、それだけ今までの電力供給が極めて安定していた証左であろう。
逆に電力会社がその発電能力に応じた電力需要圧縮を訴えると言うのは、如何に異常事態・非常事態かと言う事に気づかないのか。今、日本の原発が完全停止しつつあるというのは、正にその異常事態・非常事態である。
で斯様な事態の下で朝日社説と来た日には、「夏の電力受給を第三者機関に検証させろ」と堂々と抜かすのである。要は「仕分け作業」を電力需要に対して実施しろと言う事であろう。
その効果も、弊害も、「仕分け作業」と同列になるだろうな。
長々と駄文を連ねたが、最初に宣告したとおり、私の言いたい事はタイトルにした中島みゆき「ファイト!」の一節に、やはり尽きるようだ。
戦う君の歌を、戦わない奴らが笑うだろう。
電力各社は戦っている。国民もまた、節電努力と言う形で戦っている。
朝日新聞は、戦っていない。「そもそも電力設備が過剰」「電力需要の第三者検証」等と囃し立て、笑っているが、笑う資格なぞあるものか。
如何に、朝日社説。
<注釈>
(*1) 而して社民党やらマスコミやらから最近非難かますびしい現状の「地域割り送発電一体独占体制」は、「電力の安定供給責任を明確にする」上で極めて有利なのである。例えば、東電管区に複数の電力会社があったとして、東電管区内が電力不足から一部停電に陥ったとしたら、其れは一体、どの電力会社の責任となるのか。責任に優先順位をつけるとするならば、それで第二責任の電力会社が「責任を果たす」と思えてしまうのは何故だ。正に「連帯責任は無責任」となろう。(*2) やったかも知れないが、私は知らない。つまりは広報として甚だ不十分と言うべきだろう。(*3) 繰り返すが、「計画外の停電はない」つまり、計画停電で予告されていた時間・地域の中でさらに実際に停電したのは最小限に止めた「計画内停電」で文句を言われるたのだ。ま、文句言う奴も言う奴だとは思うが。「計画したのだから計画通り停電しろ」とでも、思っているのだろう。